第12話 予期せぬ再会

夜が明ける前の静けさの中、斉藤 学は研究室に戻ってきた。森下 啓の痕跡をたどり、古びた研究施設で得た新たな手がかりは、彼の胸に重くのしかかっていた。疲労が蓄積した体に鞭打ちながら、斉藤はデスクに向かい、森下の残したデータと自分のメモを広げた。そこに記されている数式や符号が、次第に何かを示し始めていることに気付いていたが、それが何を意味するのか、まだはっきりとは掴めていない。


「森下君、君は一体何を見てしまったんだ…?」斉藤は静かに呟き、森下が何を追い求め、そして何を見たのかを理解しようと必死だった。彼が行った実験がどのようにして「量子の迷宮」を生み出したのか、そしてその迷宮がどこへ繋がっているのか――それらを解き明かすための時間が迫っていると感じていた。


ふと、研究室のドアが軋む音を立てた。斉藤は驚いて顔を上げた。こんな時間に誰が来るのかと、心の中で不安が広がったが、その感情を押し殺して静かにドアの方を見つめた。


ドアがゆっくりと開き、そこに現れたのは、信じられない人物だった。


「森下君…?」斉藤は目を疑った。そこには、確かに失踪したはずの森下 啓が立っていた。彼は無表情で、まるで魂を失ったかのような目をしていた。その姿は、かつての彼とはまるで別人のようで、斉藤の胸に冷たい恐怖が走った。


「先生…」森下が低い声で呟いた。その声には、かつての彼の活気や情熱は全く感じられなかった。斉藤はその変わり果てた姿に言葉を失ったが、次第に意識を取り戻し、ゆっくりと立ち上がった。


「森下君…無事だったのか?一体どこにいたんだ?」斉藤は慎重に言葉を選びながら、彼に歩み寄った。だが、森下は斉藤の言葉に反応することなく、ただ静かに彼を見つめ返すだけだった。


「先生、私は…」森下が再び口を開いたが、その言葉は途切れ途切れで、何かを伝えようとしているが、それがうまく形にならないようだった。斉藤は焦りを感じながらも、森下が話しやすいように、そっと彼の肩に手を置いた。


「大丈夫だ、ゆっくり話してくれ。君はどこにいた?そして、何が起きたんだ?」斉藤は優しい声で問いかけた。しかし、森下はその質問に答えようとせず、代わりにぽつりと一言呟いた。


「戻るべきじゃなかった…」


その言葉に、斉藤は一瞬凍りついた。森下の言う「戻るべきじゃなかった」という言葉の意味を理解しようとしたが、その意図は掴めなかった。ただ、その言葉には深い絶望と後悔が込められていることは感じ取れた。


「森下君、何があったんだ?君はどこか異常な場所に迷い込んでしまったのか?」斉藤はさらに問い詰めたが、森下はそれ以上話すことなく、ただ黙って斉藤を見つめ続けた。その瞳には、何か深い闇が潜んでいるようで、斉藤は言い知れぬ不安に襲われた。


「先生…もう、遅いんです…」森下がようやく口を開いた時、その声には明らかな疲れと絶望が滲んでいた。「私は…取り返しのつかない場所に行ってしまった。もう、戻れないんです…」


「何を言っているんだ?ここに君がいるじゃないか。まだ遅くはない、何が起きたのかを教えてくれ!」斉藤は必死に森下を説得しようとしたが、その言葉は虚しく森下に届かないようだった。


森下は斉藤の言葉に耳を傾けることなく、ふいに立ち上がり、研究室のドアに向かって歩き出した。斉藤は慌てて彼を追いかけようとしたが、森下は振り返りもせず、静かに言った。


「先生、もう私を追わないでください。これは…私自身が引き起こした結果です。先生は…これ以上関わらない方がいい。」


斉藤はその言葉に動揺しながらも、森下が言おうとしていることの意味を理解しようとした。だが、何かが決定的に欠けているような気がしてならなかった。


「待ってくれ、森下君!君を見捨てるわけにはいかないんだ!」斉藤は叫んだが、森下はその声に反応せず、ただ静かにドアを閉めて去っていった。


斉藤はその場に立ち尽くし、森下の姿が消えたドアを見つめ続けた。何が起こったのか、そして彼が何を抱えているのか、斉藤にはまだ分からなかった。ただ一つ確かなのは、森下が深い闇に囚われているということだった。


「一体、何が…?」斉藤は自分に問いかけながら、頭を抱えた。森下が言い残した言葉の意味を考えれば考えるほど、答えは遠ざかっていくように感じた。


斉藤はしばらくの間、その場に立ち尽くしていたが、やがて深い息を吐いてデスクに戻った。森下が戻ってきたという事実は、何かが動き始めていることを示している。だが、それが何を意味しているのかを理解するためには、さらに深く掘り下げる必要があった。


斉藤は森下が残したデータと、自分が集めた手がかりを再び広げ、次の一手を考え始めた。森下が「量子の迷宮」の中で何を見たのか、そしてそれが彼に何をもたらしたのか。それを解き明かすことが、斉藤に課せられた使命であると強く感じた。


夜はまだ深く、静寂が研究室を包んでいた。斉藤はその静けさの中で、自らの決意を新たにし、森下を救い出すための新たな手がかりを探し始めた。

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