第9話 揺らぐ現実

車のエンジン音が静かに響く中、斉藤 学は暗い道路を一心に走り続けていた。廃墟から離れた後も、彼の心には冷たく重い不安がまとわりついていた。森下 啓の声、異常なコンピュータの動作、そして不気味な囁き声…すべてが現実と幻想の境界を曖昧にしていた。


「森下君…君は今、どこにいるんだ…?」斉藤はハンドルを握りしめながら、再び心の中で問いかけた。だが、答えは返ってこない。ただ、彼の頭の中には「量子の迷宮」という言葉がぐるぐると回り続けていた。


夜の闇が深まるにつれて、斉藤の心の中にも漆黒の不安が広がっていった。彼は、森下が何を見たのか、そして何に囚われているのかを解明しなければならない。そのためには、もう一度、森下が残した手がかりを徹底的に分析する必要がある。


やがて、大学のキャンパスが見えてきた。斉藤は車を駐車場に停め、足早に研究棟へと向かった。夜の静寂がキャンパスを包み込み、どこか異様な雰囲気が漂っていた。斉藤はその静けさに不安を覚えつつも、目的を果たすために足を進め続けた。


研究室にたどり着くと、斉藤はすぐに電気をつけ、机に広げた森下の研究ノートに目を落とした。彼はそのページをめくりながら、再び数式や仮説を分析し始めた。だが、ふとした瞬間、視線がノートの隅に書かれたメモに止まった。


「時間の歪み…並行世界との交差…」


その言葉は、斉藤の胸に鋭く突き刺さった。森下が書き残したこのメモには、彼が何か重要な発見をしていたことが示唆されている。だが、それが具体的に何を意味しているのかは、まだ分からない。


「彼が見つけたものは…」斉藤はその言葉を反芻しながら、机に広げたノートや資料に再び目を通した。だが、森下が残したデータはどれも断片的であり、すべてを一つに繋げる手がかりは見当たらなかった。


その時、斉藤の背後で何かが動く気配を感じた。彼は驚いて振り返ったが、研究室の中には誰もいなかった。ただ、静寂が広がるだけだった。


「またか…」斉藤はため息をつき、再びノートに目を戻した。しかし、次の瞬間、彼の視界がぼやけ始め、頭がクラクラと揺れた。


「これは…?」斉藤は目をこすりながら、ふらつく足でデスクに手をついて体を支えた。だが、視界はますます歪み、彼の意識は急速に遠のいていった。


その時、耳元でかすかな囁き声が聞こえた。それは、どこか遠くから響いてくるような声だったが、その内容は全く理解できなかった。斉藤はその声に耳を傾けようとしたが、意識が薄れゆく中で、すべてが暗転した。


次に目を覚ました時、斉藤は見知らぬ場所に立っていた。周囲を見回すと、そこはまるで異次元の空間のようで、現実の法則が一切通用しないかのようだった。地面は不規則にねじれ、空には奇妙な光の模様が踊っていた。


「ここは…どこだ?」斉藤は困惑しながら周囲を見渡した。だが、その答えはどこにも見つからなかった。ただ、目の前には一つの扉が立っていた。扉は古びていて、まるで時を越えて存在しているかのように佇んでいた。


斉藤はその扉に近づき、手を伸ばした。扉の表面は冷たく、触れるだけで何か不穏なものを感じた。だが、斉藤は恐れを振り払うようにして、扉を開ける決意をした。


扉を開けると、そこには無限に続くかのような暗闇が広がっていた。斉藤はその中に一歩踏み出した瞬間、突然強烈な光が彼を包み込んだ。その光は目を開けていられないほどの眩しさで、斉藤は思わず目を閉じた。


そして、次に目を開けた時、彼は再び研究室に戻っていた。すべてが元に戻ったかのように、何事もなかったかのように、研究室は静まり返っていた。


「今のは…幻だったのか?」斉藤は自分に問いかけたが、答えは出なかった。ただ、彼の胸には一つの確信が芽生えていた。森下が言っていた「量子の迷宮」は、確かに存在している。そして、それは現実と並行宇宙が交錯する場所であり、斉藤自身もその一部を垣間見たのかもしれない。


斉藤はデスクの上に広げられた森下の研究ノートに再び目を落とした。そして、その中に隠された真実を解き明かすために、さらなる調査を進めることを決意した。


研究室の外では、夜が静かに更けていった。だが、その静寂の中には、何か不穏な影が潜んでいるかのように感じられた。斉藤はその影を振り払うように、再び資料に目を通し始めた。森下を救い出すため、そして「量子の迷宮」の謎を解き明かすために。

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