第8話 深まる闇

斉藤 学は廃墟の薄暗い部屋の中で、再びコンピュータの画面を見つめていた。森下 啓が残した「迷宮への扉」という動画が途切れた後、斉藤の胸には言い知れぬ不安が押し寄せていた。森下は「量子の迷宮」に迷い込み、そこで何か恐ろしいものを目撃したのだ。彼の言葉は断片的でありながらも、緊急性を帯びていた。彼は斉藤に助けを求めていたが、その場所がどこなのか、どのように彼を救い出せるのかは依然として謎のままだった。


斉藤は意を決して、コンピュータに残された他のファイルも調べることにした。森下が最後に残したデータやログが、何か手がかりを与えてくれるかもしれない。ファイルを一つ一つ開いていくうちに、斉藤はある異常なデータを発見した。それは、通常の記録とは異なる、極端に高いエネルギーが発生したことを示すものであった。


「これが…量子の迷宮の鍵なのか?」斉藤は、データの数値をじっくりと分析した。エネルギーのピークは、森下が最後に実験を行った瞬間に集中している。その数値は、通常の物理法則では説明できないほど高い値を示していた。


「これほどのエネルギーが…何を引き起こしたのか?」斉藤は考え込んだ。そのエネルギーが、森下が言う「迷宮」を作り出したのかもしれない。しかし、それがどのように現実と並行宇宙を結びつけたのかは、まだ解明されていない。


その時、斉藤はコンピュータの端末に何かの異変を感じた。画面が突然ちらつき始め、奇妙なノイズが耳元で響く。斉藤は一瞬驚いたが、すぐに冷静さを取り戻し、画面に表示された異常を確認しようとした。だが、その瞬間、画面全体が一瞬にして真っ暗になった。


「何だ…?」斉藤は声を漏らしながら、画面を注視した。その後、数秒の沈黙が続いたが、やがて画面に一連の奇妙なパターンが浮かび上がった。それは、まるで暗号化されたような複雑な模様であり、何かを伝えようとしているようだった。


斉藤はその模様をじっと見つめた。パターンは次第に形を変え、やがて一つのメッセージが浮かび上がった。


「助けて…」


そのメッセージは、まるで森下が斉藤に向けて発しているように感じられた。斉藤の心臓が早鐘を打ち、全身に冷たい汗が流れた。森下は、まだどこかで生きている。彼が作り出した「量子の迷宮」の中で、何かを必死に伝えようとしているに違いない。


「森下君…私は君を見捨てない。」斉藤は心の中でそう誓い、画面に表示されたメッセージに向かって決意を新たにした。彼はこの異常な現象を解明し、森下を救い出すために、さらに深く「量子の迷宮」へと踏み込む必要があると感じていた。


斉藤は画面に映し出された模様を一つ一つ解析しようと試みた。それが何を意味しているのかを解き明かすことで、森下が囚われている場所への手がかりを得られるかもしれない。彼は画面に表示されたデータを保存し、次に進むべき手段を考えた。


だが、その瞬間、部屋の中に不気味な冷気が漂い始めた。まるで何かが近づいてくるような感覚に、斉藤は不安を感じた。部屋の隅から、かすかな音が聞こえてきた。それは、誰かが床を歩く音のようであったが、視覚的には何も確認できない。


「誰か…いるのか?」斉藤は声を張り上げたが、返事はなかった。ただ、音だけが徐々に近づいてくる。斉藤は恐怖に駆られながらも、その場を動くことができなかった。彼は何か目に見えない存在が自分を見つめているような感覚に囚われていた。


その時、部屋の照明が一瞬にして消えた。斉藤は闇の中で立ち尽くし、周囲の音に耳を澄ませた。彼の呼吸音だけが静寂の中に響いていたが、やがて再び、あの足音が聞こえ始めた。


「誰なんだ…?姿を見せろ!」斉藤は強い声で叫んだが、その声は虚しく闇の中に吸い込まれた。足音はますます近づいてくる。そして、突然、彼の肩に何かが触れた。


斉藤はその瞬間、恐怖に凍りついた。だが、次の瞬間、部屋の照明が再び点灯し、彼の周囲を明るく照らした。斉藤は恐る恐る振り返ったが、そこには誰もいなかった。


「今のは…何だったんだ?」斉藤は自分自身に問いかけた。彼は背中を冷や汗が伝うのを感じながら、再びコンピュータに目を戻した。だが、画面は先ほどまでの異常な状態ではなく、ただのデスクトップ画面に戻っていた。


「幻覚…なのか?」斉藤は疑念を抱きながらも、自分が何を体験したのかを考え込んだ。量子の迷宮が作り出す現象が、彼自身にまで影響を及ぼし始めたのかもしれない。その考えが斉藤の胸に不安を募らせた。


「私は何をしている…?」斉藤はその場に立ち尽くし、森下を救うためにさらに何ができるのかを模索した。この廃墟には、まだ何かが隠されているに違いない。斉藤は再び周囲を見回し、次の手がかりを探すために部屋を出る決心をした。


その時、再び電話が鳴った。斉藤は急いで受話器を取ったが、電話口からはただ静寂が流れるだけだった。斉藤は耳を澄ませ、何かを聞き取ろうとしたが、やがてかすかな囁き声が聞こえた。


「…もうすぐだ…」


それは森下の声ではなかった。斉藤はその声に身震いしながらも、受話器を耳に押し当てた。しかし、その声はすぐに途絶え、ただの無音に変わってしまった。


斉藤は受話器をゆっくりと置き、心の中で一つの結論に達した。これ以上、ここに留まるのは危険だ。この場所には何か異常な力が働いている。しかし、それでも彼は森下を見捨てるわけにはいかなかった。


斉藤は部屋を出ると、廃墟の外に向かって足早に歩き出した。彼はもう一度、森下が残したデータを分析し、この「量子の迷宮」が何であるのかを解明するために、他の方法を模索することを決意した。


外の空気は冷たく、暗闇が一層深まっていた。斉藤は振り返ることなく、車に向かって歩き続けた。彼の心には恐怖が渦巻いていたが、それ以上に、森下を救うという強い決意が彼を突き動かしていた。


斉藤は車に乗り込むと、エンジンをかけ、ゆっくりと廃墟を後にした。彼は知っていた。これから待ち受けるのは、さらに厳しい試練であり、この「量子の迷宮」の真実に迫るには、命を賭ける覚悟が必要だということを。


夜の闇が車の窓から広がる中、斉藤は次の一手を考えていた。森下を救い出し、この迷宮の謎を解き明かすために、彼は何をすべきかを心に刻みながら、夜の道を走り続けた。

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