有脳無脳

小狸

短編

 *


「実際さ、一番迷惑なのって、無能な人じゃなくて、自分を有能だと思いこんでいる無能な人だと思うんだよね」


 先日の飲み会で、職場の上司がそんなことが言っていた。


 上司は名言っぽく言おうとして滑っていた。私は適当に流したけれど、同期の由香子ゆかこは、間違いなくその言葉に傷付いていたように見えた。


 由香子は、おっとりしていてのんびりしている。


 厳しい言い方をすれば、要領が悪いことで有名である。それでも、持ち前の性格の良さで、何とか今の職場にしがみついている、良い子であるが、良い子であるだけ。


 それが、職場内での由香子の立ち位置だった。


 その言葉を、私は当初気にしなかったけれど、一人暮らし先の家へと帰って鞄を置いて、ふとその言葉が頭をよぎった。


 私も決して、自己肯定感は高い方ではない。


 だから由香子と同じような立場なら、こう思ってしまうかもしれない。


 ――そっか、私は、有能じゃないんだ。


 ――皆と一緒にはなれないんだ。


 ――じゃあ、もう頑張るの止めよう。


 せめて極力迷惑を掛けない、無能なだけの人間になろうとするだろう。


 有能であろうとすればするほど、頑張ろうとすればするほど人の迷惑になるというのなら、もう全てを諦めてしまうだろう。


 他の人が頑張っているのを見て、と思うだろう。


 その結果として、全体に不利益が被ろうとも、だ。


 だって上司がそういう思考なのだから。


 そもそも有能だの無能だのって、大して人の事を知ってもいないし、知ろうともしないくせいに、勝手にカテゴライズしようとする行為も、私は気に食わない。


 頑張っている人に対して、言う言葉としては、あまりに配慮が欠けているとは思わないだろうか。


 いや、お前らみたいなぬくぬく恵まれた幸せ者の成功者からすれば、当たり前のことかもしれない。しかしそういう者は少数派である、むしろ大半の者は、初めは何をすれば良いかも分からないし、言ったことをすぐに実行できる者は少ないし、向上心を常備しているかといえばそういうことでもない、それでも頑張ろう、人に迷惑を掛けまいとする意識だけはある、有能とか無能とか以前の問題なのだ。


 にもかかわらず、適切な教育も行うことなく、無能だの有能だのって。


 たかが中小企業で部下を持った程度で、偉くなったものだよな。


 そういう意識の高い事は、恵まれた奴だけでやってろよ。


 誰しもお前みたいに、笑顔で生きることができた訳じゃないんだよ。


 まあ、そんなことは上司には言えないけれど。


 せめて。


 そういう言葉を日常的に使うことは控えようと、私は思った。




(「のうのう」――了

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