第14話 さよならお父さん。カナホの過去
昼下がり。
古めかしい茶色の客車を連ねて、大井川鐵道の急行列車は山を下っていきます。
開け放たれた窓。
シアンはぼんやりと、車窓に流れる大井川を見つめます。
「ねえ、シアン」
ボストンバッグの中から、クロエが尋ねます。
「なに?」
「カナホはどうしてシアンの家で暮らしているの? カナホは、お父さんが望んだ子じゃない、としか言わなかった」
カタン、コトン。
カタン、コトン。
窓からか風が吹き込み、シアンの髪を揺らします。
「今のカナホのお父さん、二人目なの。一人目のお父さんは、去年の今頃、病気で亡くなって」
列車の走行音に負けそうな声で、シアンは語りはじめました。
「一人目のお父さんは家とは別の場所で、音楽教室をやってたんだって」
今度はラピタが尋ねます。
「もしかして、カナホがピハーモニカとか、ピアノとか上手なのって……」
「うん。お父さんに教えてもらったんだって」
それから、シアンは語りはじめました。
カナホのお父さんは自宅とは別の場所で、音楽教室を営んでいました。
別の場所と言っても、歩いて五分くらいの距離です。
カナホは物心ついたときから、ほとんどその音楽教室ですごし、音楽や楽器に触れていきました。
お父さんも、カナホに音楽教室の合鍵を預けてくれていました。
小学校に上がってからは、家に帰るとランドセルを置いてすぐに音楽教室へ行き、教室のお手伝いをしながら、カナホ自身もピアノや、他にも様々な楽器を教えてもらっていました。
しかしある日、お父さんは体調を崩しました。
最初は、風邪かな、と言っていたのですが、病院に行くと大きな病気が見つかり、そのまま入院することになりました。
そこからはあっと言う間の出来事で、お父さんの病気は日に日に顔色が悪くなり、あまりお話しもしてくれなくなりました。
そして、この世を去ってしまったのです。
カナホが現実を受け入れる時間もないくらい、あっという間の出来事でした。
お葬式の後、音楽教室は閉鎖となりましたが、部屋も楽器も全部そのまま残してありました。カナホは毎日、学校から帰ってくると、無人の音楽教室で楽器を弾き続けました。
それから数か月。
パートをはじめたお母さんは、日ごとに家に帰ってくるのが遅くなっていきました。お休みの日も減っていきました。
カナホは、お母さんがお仕事を頑張っているのだと思っていました。だから、元音楽教室に行く時間を減らして、家事を頑張りました。
そんなある日、お母さんは言います。
「お母さんね、好きな人ができちゃったの。それでね、今度の日曜日、その人に会ってくれないかな? その人も、シングルファザーでね、カナホの二つ年上の子供さんがいるんだって」
「……うん。わかった」
正直、カナホの心の中は、まだお父さんが死んでしまった悲しさでいっぱいでした。でも、お母さんが幸せになるなら、新しいお父さんのことも受け入れようと思ったのです。
それから何度か、カナホは男の人、そしてその息子と会いました。
二人ともずっとニコニコしていました。お母さんは「笑顔が素敵な人」と言っていましたが、カナホには少し不気味でした。
でも、お母さんが悲しむからと思い、男の人、そしてその息子と仲の良いフリをしました。
仲の良いフリでも、続けていればいつか本当に仲良くなれると思ったのです。
あるとき、男の人はこんなことを言いました。
「カナホちゃんは『いい子』にならないといけないよ。『いい子』でないとみんなに嫌われて、カナホちゃんは独りぼっちになっちゃう」
カナホはよくわからず「はぁ」と返事をしました。
ある日、お母さんが尋ねました。
「カナホ、いいかな?」
短い質問でしたが、カナホには意味が分かりました。
結婚したい、ということです。
「うん……。お母さんがそうしたいなら、いいよ」
カナホはそうこたえました。
お母さんに喜んでほしかったから。
きっときっと、お母さんが幸せになればそれが正解だと思ったから。
結婚式はありませんでした。
男の人と、その息子がカナホの家に住みはじめ、男の人はカナホのお父さんとなり、男の人の息子は兄になりました。
その直後、新しいお父さんは元音楽教室と、そこの残っている楽器を売りに出すと言い出したのです。
カナホは、泣いて、残しておいてほしいとお願いしました。
お母さんも「ずっと残しておいても、仕方ないでしょ?」という感じで、カナホの味方にはなってくれません。
結局、ピアノ一台とハーモニカ一個を家に運び、残りは売ることになりました。
狭いと感じていた音楽教室は広くなり、カナホは、前のお父さんに貰った、入り口の鍵を取り上げられました。
売り物件の看板が出ていたのもつかの間、なんだかよくわからない会社の事務所になりました。
とても、悲しかったです。
それから数日。
元音楽教室から持って帰ったハーモニカが、壊されました。
お父さんの連れ子、一応カナホの兄になった男の子が、うっかり踏んでしまったというのです。真ん中でグニャリと曲がってしまいました。
「わざとじゃないんだ。大切なものを床に出しっぱなしにする方がわるいだろ?」
兄はそう言いました。
そして、お父さんが言います。
「そうだよ、カナホ。大事なものは、しっかりと片付けるようにしようね」
でも、カナホはハーモニカをずっと机の引き出しに入れていました。どうしてうっかり踏んでしまったのか不思議ですね。
カナホは口を開こうとしますが、それを遮るようにお父さんが言います。
「カナホは過去に捕らわれて前をむけずにいる。これで一つ、過去を捨てられたじゃないか。ほら、ありがとう、ってお礼を言って」
「でも……」
「ほら、ありがとう、って」
結局カナホは兄にお礼を言いました。言わされました。
「過去を捨てさせてくれてありがとう」
この一件以降、カナホは口数が少なくなり、たまにピアノを弾いているときくらいしか楽しそうな表情を浮かべなくなりました。
そのピアノも、父親は快く思っていないようでした。
「今のカナホの父親はボクなんだ。前のお父さんのことは思い出してはいけないよ。だから『いい子』になりたいならピアノは弾いちゃだめだよ」
それでも、カナホは弾き続けました。
そして、その日はやってきます。
春休みに入ったある日曜日。
カナホはお母さんに誘われ、ショッピングモールへ行きました。
前から欲しかった漫画本を買ってもらって、フードコートで美味しいご飯を食べて、ゲームセンターで遊びました。
カナホにとっては久しぶりの楽しい時間だったのです。
そして、帰りの電車の中。
「……ごめんね、カナホ。でも、私はあの人を好きになってしまったの」
お母さんが、ポツリと言います。
「お母さん、それって、どういうこと?」
カナホは聞き返しましたが、返事はありませんでした。
カナホがお母さんの言葉の意味を理解したのは、家に帰ってきたときでした。
「ほら、見てよカナホ」
お父さんは得意気に言いました。
リビングに置いてあったはずのピアノが無くなっています。
「へ?」
カナホは目の前の景色が信じられませんでした。お母さんに買ってもらった漫画の袋が手をすり抜けて、床に落ちます。
「ど、どこかに移動させただけだよね。ちゃんとあるよね。ピアノ」
カナホはお母さんの体にしがみつき、すがるように言います。ですが、お母さんはバツが悪そうな表情を浮かべたままで、何も言いません。
「前のお父さんのことを忘れられないみたいだから、処分してあげたんだ。思っていたより高く売れたよ。これで、将来お金に困ることはないよ」
お父さんは当然のように言いました。
「あ……ああ」
カナホの口から声にならない声がもれました。
「あのね、カナホ……」
お母さんが声をかけようとしたその途端。
「うわぁ!」
カナホは叫びながら近くにあった自分のマグカップをテレビにむかって、思いっ切り投げつけたのです。
ガッシャーン!
大きな音がしました。
陶器のマグカップも、テレビの画面も、粉々に割れました。
おばあちゃんに貰った、お気に入だった、クマのイラストのマグカップでした。
お父さんもお母さんも驚いていると、カナホは泣き叫びながら大暴れしはじめました。
椅子を投げて窓ガラスを割り、テーブルをひっくり返し、観葉植物の鉢を割り、食器棚の中身をぶちまけ、壁紙を引きはがして破ります。
「あ、あ、うわぁ!」
カナホの叫ぶ声と、次々と物が壊されていく音がグチャグチャになって家中に響き渡ります。
お父さんは怯えたようにカナホから距離をとるばかりで、お母さんはなんとか落ち着かせようとしましたが、カナホは暴れ続け、途中からは「ごめんなさい」と叫ぶばかりでした。
どのくらい暴れ続けていたでしょうか。
カナホは、グチャグチャになったリビングの真ん中にへたり込みます。
元がなんであったかがわからない破片が足に食い込みました。
いつの間にか、カナホは左腕に大きな怪我をしていました。それ以外にも、小さな傷が腕や脚に沢山できていました。
息を切らせながら、虚ろな目で天井を見上げます。
そのとき、カナホに後ろから抱き着いた人がいました。
お母さんです。
カナホは気が付きました。
お母さんも怪我をしてしまっています。
「……ごめん、なさい。お母さん、ごめんなさい」
カナホは涙を流しながら、何度も何度も「ごめんなさい」と言いました。
それからカナホは自室に引きこもり、出てこなくなりました。お父さんは「急に暴れ出すなんておかしい。病院に連れていった後、施設に入れた方がいいんじゃないか」という内容のことを言いました。
だけど、お母さんは二つ返事で賛成はできないようです。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます