06

 吉原の遊郭、その一室。

 酒を飲みながら待っている九十。

 お初、店主に連れられて入って来る。


九十 来たか。お前はもう良い。俺はこの娘に話がある。

店主 へい。仰せの通りに。


店主、出て行く。


九十 怖がらなくていい。お前をどうこうするつもりはない。

お初 え…?

九十 気が変わるかもしれないが、今のところはな。

お初 あの…。

九十 聞きたいことはあるだろうが、まあ待て。まず酌をしろ。時間はたっぷりある。


 九十、お初に猪口を差し出す。

 お初、戸惑いながらも酌をする。

 九十、お初から徳利を取る。


九十 お前も飲むか?

お初 …。

九十 ん?

お初 …いただきます。


 九十、お初に酌をする。

 お初、猪口を持ったまま動かない。


九十 浮かない顔だな。

お初 え?

九十 売られてきたのだから当然か。

お初 …ええ。あの、あなたは…?

九十 漢数字の九と十で九十と読む。まあ、本名ではないがな。この辺りでは知れた名だ。

お初 なぜ、私をご指名に?

九十 ある筋からお前のことを聞いた。それなりに見所があると。

お初 そんな。

九十 思った通り…というわけではないが、好みの顔立ちだ。

お初 …ありがとうございます。

九十 まあ、何の意味も持たないがな。

お初 どういうことですか?

九十 俺にはどうしても手に入れたいやつがいる。お前のところへ来たのも、そいつを手に入れるためにお前が必要だからだ。

お初 …なぜ、私が?

九十 五助という名前を知っているな?

お初 ええ。…まさか、五助を?

九十 いや。あいつもなかなかだが、俺がほしいのはあいつじゃない。

お初 なら…?

九十 そいつとは、もうそれなりに長い付き合いになるんだが、俺は初めから嫌われていてな。

お初 どうしてですか?

九十 そいつに会いに行くときも、女を侍らせたままだからか、それとも、いつも十両足りない金しかおいていかないからか。

お初 それは…。

九十 嫌われるよな?当然。

お初 ええ。

九十 だが、もうあいつは俺のものだ。いくら嫌ってもな。

お初 何故です?

九十 雇い主に話をつけてある。あいつがあの店に来たときから。

お初 その方も、遊女なのですか?

九十 そいつは陰間だ。百尋という。この店の、そうだな、藤城にでも聞けばわかるだろう。

お初 そう、ですか。

九十 可愛いと思わないか?

お初 …何をです?

九十 俺から逃れることなど出来ないのに、それでも健気に俺のことを嫌っていることが。

お初 よくわかりません。

九十 そうか。…まあ、そうだろうな。

お初 その方と私と、どんな関係があるのですか?

九十 五助は、百尋と同じ店にいる。

お初 え…?それなら、人違いです。そんなはずありません。

九十 どうかな。お前の知っている五助は、女みたいな容姿ではなかったか?体つき

は男のそれだが、顔はお前も嫉妬するほど可愛いものだ。違うか?

お初 …それが、本当に五助だとしても、どうして…?

九十 五助とお前は幼馴染だそうだな。幼馴染が吉原にいると知った男は、どうにかして買い戻そうとする。

お初 まさか…!

九十 だが、俺は五助の客じゃない。俺がほしいのは百尋だけだ。

お初 なら、どうして…?

九十 買い戻したい女がいるが、そのための金はない。その時、お前ならどうする?

お初 …体で稼ぐか、あるいは…。

九十 …。

お初 頼まれたんですか?

九十 いや。ある条件があってな。

お初 条件?

九十 頼まれたというよりは、契約した、の方が近いか。

お初 契約、ですか。

九十 好いたやつのためなら、何だってする。百尋も五助もそういう男だ。もちろん、俺もだが。

お初 あなたは、その契約で私を買うと?

九十 そういうことだ。

お初 …私が断ったら?

九十 故郷に帰りたくはないのか?

お初 故郷にいても、食べていけないからここへ来たんです。戻ったところで…。

九十 安心しろ。その分の金も工面してやる。幼い兄弟が心配じゃないのか?

お初 …。

九十 近々また来る。その時は、お前が自由になるときだ。

お初 本当に、ここから出してくれるんですか?

九十 嘘をついて俺が得をするか?

お初 …ありがとう、ございます。

九十 礼は必要ない。俺にとってのお前は、ただの人質くらいの価値しかないからな。…あぁ、でも。

お初 …?


 九十、お初に口づけをする。


九十 味見ぐらいはさせてもらう。


 九十、部屋から出て行く。

 お初、自分の唇を袖で拭い、持っていた酒を一気に飲み干す。

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