婚約者ではないのでしょう?


 私は、先生の過去の話を聞いていたはずだった。

 それがいつから、先生を貶める話にすり替わったのだろう。なぜ私にそんな話を持ちかけたのかもわからない。


 婚約者じゃないと否定した時のわざとらしい反応を見るに、私と先生の関係性なんて本当にどうでもよく思っていそうなのに。


「なぜ、そこまでするんですか……?」


 いまだ見せられない本心を探ると、返ってきたのはこれまでに見たことのないほどの歪んだ笑みだった。


「私、格下の者に見下されるのも負けるのも、我慢なりませんの。あのクズは私の尊厳を踏みにじったので、そのお礼ですわ」


 理由はあまりに単純で、傲慢。

 その態度に相応しく、目が合った相手を簡単に萎縮させてしまう迫力に私は息を呑んだ。

 そんな私に、優しく声が潜められる。


「一部ではね、噂もありますのよ。ガルシア卿は強大な魔法、それも呪いのような邪悪な魔法で、心を殺されたんじゃないかって」


 潜めた声は、けれどすぐに演技めいた声に変わった。


「私は恐ろしいの。魔法で人の心を殺せる人間が、仮にも人に物を教える立場であるなんて」


 あなたもそう思うでしょう? と同意を求められ、私はぶるりと身震いした。

 私にとって恐ろしいのは、自分の尊厳のために人を躊躇なく破滅へ落とそうとしているこの人達だ。

 自分の唇や手先から熱が引いていくのを感じて、目の前の恐怖に足がすくむ。

 

「あまり周知されていない話ですから、みんなのためにも私は学院にこの事を伝えようと思っているんです」

「そ、れは……」

「ウェンディさんも甚だ迷惑を被って大変だったでしょう。あんな犯罪者に付きまとわれて、婚約なんてしていなくて本当によかったわ」

「ま、待ってください。私は……」

「婚約者ではないのでしょう?」

「こ、婚約者ではない、ですけど……」

「それなら止めないことね」


 親身に近づいたかと思えば、すぐさま突き放される。

 先生に対して何をしたいのかを知り、その理由も知った私は、恐れながらも残った疑問を口にした。


「だったらなぜ、私にこの話を聞かせたんですか……?」

 

 その疑問には、ふふっと笑い声が返された。

 

「私、先ほど言ったでしょう? 格下の者には見下されるのも負けるのも我慢ならないと。孤児のくせに頭だけは優秀なあなたを、私が許すと思って?」

「つ、つまり、どういうことですか……?」

「自分の立場もわきまえず言い寄るほど好きな女に裏切られたら、あのクズはどれほど絶望するでしょうねぇ」

「……っ!」

「本当に婚約者だったならあなたもクズの道連れにしてやろうと思っていましたけど、悪運の強いこと」

「私を共犯者にするつもりですか……!?」

「クズの道連れになるよりいいのでは? それと、間違えているので訂正しますわね。共犯ではなく、あなたが告発者よ」


 共犯だなんて、私達は犯罪者じゃないのよ? という言葉はふつふつと湧き上がる怒りで私の耳には届かなかった。

 この人達はつまり、私を使って先生を貶め、心まで傷つけて、その罪を私になすりつけることで私の良心まで傷つけるつもりなんだ。なんてひどい人達。


「私は絶対に先生を訴えたりしません……!」

「あら。余計なことはなさらない方がいいわよ。学院に残りたいならね」


 あまつさえ私にそんな脅しを残し、用件は済んだとばかりにくるりと踵を返す。

「では、ご機嫌よう」の声があまりにも清々しくて、私は震える手で拳を握った。爪が、手のひらにぐっと食い込む。


 ……どうしよう。先生がそんな人じゃないことは私が一番よく知っている。いつもふざけて求婚してくるくせに、いつもちゃんと私を守ってくれるわかりにくいところ。受けた恩は与えたもの以上に返そうとする義理堅い人なのに、ガルシア卿の心を壊すような魔法を向けるはずがない。起こった出来事が本当だとしたって、きっと理由があるはずなんだから。二人にしかわからない理由が、絶対にあるはずなんだから。


「先生のばか。どうして肝心な時に、助けてくれないんですか」


 握り込んだ拳を胸元にあげる。力を込めすぎて固まってしまった指をゆっくり解き、離れていく三人組の背中を見据える。

 これをすれば、きっと私は過去の先生の二の舞になる。倒れたとして、誰かが助けてくれるとも限らない。成功するかもわからないし、失敗してただ私が無駄死にするかもしれない。私の行動が正しいかさえ、もうわからない。


 怖い。人にこんな魔法を向けるのが。

 ……でも、それ以上に、先生を傷つけてしまうのが怖い。


 ごくりと唾を飲み込んだ私は、大きく息を吸って魔法を発動した。


 

「――――忘却オブリーオっ……」



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