先生は、知らないでしょうね


 学院のすぐそばにある学生寮。

 一人部屋の自室に戻ると、夕陽が窓から差し込んでいた。照らされた学習机に向き合って座り、小指の爪ほどの小さな水の玉を作り出す。

 魔力をコントロールしてざっくりとした人の形を成せば、それが机の上でお辞儀をする。


「……私が今できるのは、これくらい」


 魔力のコントロールは昔から長けていた。

 どんなに小さな魔法でも、器用に形を作っては人形遊びのように動かして遊んでいた。


 今できないのは、それ以上に大きな魔法を生み出すこと。


「これ以上大きな魔法だと、私の今の魔力では無理なんですよね」


 そう、今は。

 先生に少しだけ昔話をしたせいで、忘れたくても忘れられないあの日のことを思い出していた。


「先生はどうして、魔力欠乏症になってしまったんでしょうか……」


 孤児院に急遽運び込まれた銀髪の少年。

 それまで親はおらずとも、不便なく平穏に暮らしていた私は、わずか五歳だった。

 人より魔力量が多いだけの、平凡な女の子だった。


 そんな女の子が、死にかけの少年の前にいきなり立たされたら。不安がる大人達に強制力はなかったけれど、いつも私の魔法を見ていた周りの子供達に助けてあげなよと囃し立てたら。

 人の命を救うのは当たり前なことなんだよと、当然の正義感を押し付けられたら。


 善悪の区別がつき始めた幼い女の子は、震えて涙を流しながら一所懸命に魔力を注ぎ込むでしょう。

 幸か不幸か、魔力のコントロールも上手ければ、失敗することなく少年に魔力を分け与えることができたでしょう。


「本当に、助かってよかったです」


 少年は瞬く間に回復し、事なきを得た。

 大人達は私を褒め称えて私の将来に期待したが、それはすぐに裏切られることとなる。


 少年に魔力を注いでから、私の魔力量が戻らなくなったからだ。


「……本当は、少し違うけど」


 表向きでは、魔力量が戻らなくなったことになっている。けれど真実は、私の魔力はいまだ溢れるほどに湧き続けていた。


 それなのになぜ、私の魔力量がバカにされるほど少なくなってしまっているのか。


「答えは、簡単なことです」


 幼い子供の魔法は、未熟だ。

 どんなに強力な魔力を持っていても、コントロール力に長けていても、発展途上の魔法なのだ。


 そんな不安定な子供が、人の命を救うほどの魔力を動かす。今になって思えば諸刃の刃だった。先生に何の副作用も出ずに終えられたのは、奇跡だったのかもしれない。


 けれど私には、大きな副作用があった。


「まるで風船に、穴があいてしまったような……」


 ぽっかりとあいた穴。

 どこに、というのはわからない。湧き続ける私の魔力は、どこからともなく漏れ出し最低限の魔法しか使えなくなってしまった。


「先生は、知らないでしょうね」


 私の今の魔力の状態を。

 最低限以上に使おうとすれば、私はきっと過去の先生のようになってしまう。


「誰にも教えてないから、知ってるわけがないですよね……」


 つん、と人の形の水をつつく。

 たちまちに指先に水がくっつき、私の魔法は呆気なく消えてしまった。そんな、ちっぽけな魔法しか使えない。


 ――それでも。


「まだ魔法は使えるし、学ぶことができる環境をもらえた私は、恵まれてるんですよ」


 机の引き出しから色褪せた封筒を取り出す。

 入学書類に添えられた、名前のないあしながおじさんの手紙ではない。それより以前に送られてきた、感謝の気持ちが綴られた、差出人の名前がしっかりと記された手紙。


 特徴のある悪筆を、私は指でなぞった。


「名前を隠したって、字でバレバレなんですよね」


 ふふ、と笑いが漏れる。

 幾度となくなぞった「クウェレディズ」の文字は、わずかに薄れてしまっている。

 幼い頃の私が救った少年は、いつしか私の心をくすぐる憧れの存在に変わっていた。


 願い焦がれ奇跡的に対面できた正体がどうであれ、そんなことは関係ないほどに私の中では大きな存在なのだ。


「先生は、私の未来を奪ったと思ってるみたいですが――」


 だからこそ、私に学ぶ機会を用意してくれたのだろう。


「むしろ、私は未来を与えてもらったんですけどね」


 それだけで十分で、先生に会えたことで、十分で。

 それ以上を望まない私にとって、先生の執拗な求婚には申し訳なく思ってしまう。


「私はきっと、これ以上の先生からの厚意には甘えない方がいいんです」


 それが罪悪感からだとか、義理を通そうとするためなら、なおさらに。


「私も苦しくなるから……」


 伝えられない想いは、抱えるだけ苦しみを大きくしていくだけ。

 どんなに先生が私に好意を囁いてきても、それが本心かわからないし応えることはできない。たとえ本心でも、応えるべきではない。


 先生を自分に縛り付けてしまうことを、私は望んでいなかった。


「だからもう、私のことは気にしなくていいんです……」


 先生が求婚してくる罪滅ぼしな理由を考えながら、差し込む夕陽の中で私は涙を堪えた。




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