俺の魔法は、お前の魔法だよ


 それから三日後、脅されるままに研究室にやってきた私は、息を呑んだ。


「わ、あ……!」


 彩り豊かな小花がひらひらと蝶のように舞い、手のひらサイズの水がイルカの形でぐるぐると私の周りを泳ぐ。

 研究室の扉を開くなりそんな魔法の歓迎を受けて、私は思わず声を漏らしてしまった。


「綺麗……!」


 促されるままに入っていくと、ソファの背もたれにはまるで鳥のような動作で本が留まっている。授業で使った植物が小人のような動作で私の足をつつき、ソファに座るようにと引っ張る。

 くるくると優雅に回りながらティーカップとティーポットが宙を踊りながらやってきて、私の目の前で透き通る琥珀色の紅茶を注いだ。


 その紅茶ごしに、この部屋の主がドヤ顔で向かいのソファに座るのが見えた。


「どうだ思い知ったか。この天才的な俺の力を!」


 湯気の立つカップが私の手の中に収まり動きを止めて、私は感嘆した。


「先生、すごいです」


 カップの周りで小花の蝶が戯れる。

 水のイルカが泳いだ後に飛沫しぶきを残しながら、背に乗りたそうに蔓を伸ばす植物をもてあそぶ。

 先生の魔法でありながら、意志を持つその魔法達に、私は深く息を吐く。


「本当に、すごいです」

「……そう素直に褒められると、なぁ」


 ふんぞり返っていた先生は、気恥ずかしそうに脱力した。


「他にはどんな魔法が好き?」

「魔法のことばかり聞くんですね」

「お前が望むなら、どんな魔法でも見せてやるよ」

「どんな魔法でも、ですか」

「俺の魔法は、お前の魔法だよ」

「……新手のプロポーズですか?」


 その問いに答えない先生は、一瞬だけ寂しげな瞳を見せた。


「ウェンディ。お前は、自分の魔力で自由に魔法を使いたいか?」


 先生が私の名前を呼ぶのは、わりと珍しい。

 なのでこれは意外と真面目な話なのかもしれないと思い、先生の質問の裏を考える。


「これはもしかして、魔法が使えない私への同情だったりしますか?」

「そんなんじゃない」


 ……そんなんじゃないなら、どういうことなのでしょう。


 それ以降は黙ってしまった先生に、私も答えを出すことができずに黙り込む。しばらく沈黙が続いて、諦めて息を吐いた。


「私、昔はもっと使えていたんです。魔法」

「ふぅん?」


 先生は驚くことなく私を見ている。


「いつからか、使えなくなりました」

「いつからか?」

「幼かったので」

「覚えてないのか?」

「……覚えて、いないです」


 そう答えた私の中に、魔法の記憶とは別の記憶が思い起こされる。優しい色合いでふわふわとした魔法の記憶とは違う、鮮明で、人の死を近く感じたあの日のこと。


 

 ――魔力欠乏症により倒れた当時の少年は今、こうして私の目の前で立派……かはともかく、教師をしている。


 

 カップの琥珀色を揺らして、私は反射で映る自分を見つめた。


「昔のように魔法を使うことに、憧れがないと言ったら嘘になります。でも私、魔法の勉強だけでも楽しいので」


 その環境があるだけで、私の魔法の記憶は消えずに残り続けているから。


「どなたかは存じませんが、私を推薦して入学させて下さった方には、いつかお礼をしたいと思っています」


 カップの中の私は、ふわりと笑んだ。


「……そいつが誰かもわかんないのに、よく入学したな。お前の魔力がこんなに少なくなったのも知らず、やっかみの対象にだってされてるのに」


 私とは対照的に、先生は生真面目な表情をしていた。


「その方はきっとご存知なかったのでしょう。魔力を分け与えたせいで、魔力量が回復しなくなるなんて、稀なことですから。……入学の書類に添えられていた手紙からは、私に学ぶべき場所を与えてあげたいという、厚意しか感じられませんでしたので」


 魔法で淹れてもらった紅茶に口をつける。

 先生が直接淹れてくれたものより、少し渋みを感じた。


「俺みたいな悪いやつかもしれないのに?」

「先生は、悪い方ではありません」


 紅茶を飲み干して、私はソファを立った。


「帰ります。魔法を見せて下さって、ありがとうございました」


 引き止められることなく、私は研究室を出た。


「……――覚えてないって言う割に、知ってんだよなぁ」


 先生のつぶやきは、私の耳にも届いていた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る