第十九話:密室の告白

 秋の夕暮れ時、椿花女学院のグラウンドには柔らかな陽光が差し込んでいた。体育の授業を終えた生徒たちが、次々と校舎へと戻っていく中、詩織と陽花の二人は体育用具の片付けを担当していた。


 詩織は長い黒髪を丁寧に結い上げ、汗で少し湿った前髪を耳にかけている。その仕草は、まるで上品な貴婦人のようだった。一方の陽花は、短い茶色の髪を元気よく揺らしながら、テキパキと用具を運んでいく。その姿は、まるで風に乗って舞う蝶のように軽やかだった。


「詩織ちゃん、これで最後だよ」


 陽花が、バレーボールの入ったカゴを持ち上げる。


「ありがとう、陽花さん。じゃあ、倉庫に片付けましょう」


 詩織は微笑みながら応える。二人は肩を並べて、グラウンド脇にある体育倉庫へと向かった。


 倉庫の中は薄暗く、体育用具の匂いが漂っていた。二人は慣れた手つきで用具を定位置に戻していく。


「ねえ、詩織ちゃん」


 陽花が、ふと詩織に声をかける。


「なあに?」


「今日の体育、詩織ちゃんすごくかっこよかったよ」


 陽花の素直な感想に、詩織は思わず頬を赤らめる。


「そ、そんなことないわ。私なんて……」


「うん、本当だよ! 特にバレーボールの時のジャンプサーブ、まるで翼が生えたみたいだった」


 陽花の目が輝いている。その純粋な賞賛に、詩織は言葉を失う。


「あ、ありがとう。でも、陽花さんの方がずっと……」


 詩織の言葉が途切れる。突然、倉庫のドアが大きな音を立てて閉まったのだ。


「え?」


 二人は驚いて振り返る。


「あれ? ドア、閉まっちゃった?」


 陽花が不思議そうに首を傾げる。


「開けてみましょう」


 詩織がドアノブに手をかける。しかし、ノブは回るものの、ドアは開かない。


「あ……」


 詩織の声が震える。


「どうしたの?」


「鍵が……かかってしまったみたい」


 詩織の言葉に、陽花の表情が凍り付く。


「え? うそ……」


 陽花も必死にドアノブを回すが、やはりドアは開かない。


「どうしよう……」


 詩織の声に、不安が滲む。


「大丈夫だよ、詩織ちゃん。きっとすぐに誰かが気づいてくれるはず」


 陽花が、強がりながらも詩織を励ます。しかし、その声には僅かな動揺が感じられた。


 二人は、途方に暮れたようにその場に立ち尽くす。薄暗い倉庫の中で、互いの呼吸だけが聞こえる。


「あ、そうだ! 携帯で連絡しよう」


 陽花が思いついたように言う。しかし、ポケットをまさぐっても、携帯は見つからない。


「あれ? ない……」


「私も持ってきてないわ。更衣室に置いてきてしまったみたい」


 詩織も肩を落とす。


 二人は、ため息をつきながら倉庫の隅に腰を下ろした。狭い空間に、二人の体温が満ちていく。


「ごめんね、詩織ちゃん。私が最後に入ってきたから……」


 陽花が、申し訳なさそうに言う。


「違うわ、私こそごめんなさい。ドアをしっかり固定しておくべきだった」


 詩織も、自分を責める。


 しばらくの間、二人は沈黙を守った。倉庫の中は、次第に暗くなっていく。外の喧騒も、徐々に遠ざかっていった。


「ねえ、詩織ちゃん」


 陽花が、小さな声で呼びかける。


「なあに?」


「怖くない?」


 陽花の声が、少し震えている。詩織は、陽花の不安を感じ取った。


「大丈夫よ、陽花さん。私がついているわ」


 詩織は、優しく陽花の手を握る。その温もりに、陽花は少し安心したように微笑んだ。


「ありがとう、詩織ちゃん」


 二人の指が、そっと絡み合う。


 時間が過ぎていく。外の光が徐々に弱まり、倉庫の中はますます暗くなっていく。二人は、互いの存在を確かめるように、黙ったまま手を握り合っていた。


「ねえ、詩織ちゃん」


 再び、陽花が声を上げる。


「なに?」


「なんだか、ドキドキする」


 陽花の正直な告白に、詩織は驚いて目を見開く。


「え?」


「だって、こうして二人きりで……」


 陽花の言葉が途切れる。詩織も、自分の心臓が早鐘を打っているのに気づく。


「私も……」


 詩織の小さな声が、倉庫に響く。


 二人は、ゆっくりと顔を見合わせる。薄暗い中でも、互いの瞳が輝いているのが分かった。


「詩織ちゃん、綺麗……」


 陽花の言葉に、詩織は息を呑む。薄暗い倉庫の中で、陽花の瞳が星のように輝いて見えた。


「陽花さんこそ、とても……」


 言葉が途切れる。二人の顔が、少しずつ近づいていく。心臓の鼓動が耳に響くほどに高鳴る。


 そして、唇が重なった。柔らかく、温かい感触。まるで羽毛のように軽やかで、それでいて深い愛情に満ちたキス。二人の呼吸が混ざり合い、時間が止まったかのようだった。


 キスが終わっても、二人は見つめ合ったまま。陽花の手が、そっと詩織の頬に触れる。


「詩織ちゃん……もっと……」


 陽花の囁きに、詩織は小さく頷く。


 再び唇が重なり、今度はより深いキスを交わす。

 陽花の腕が詩織の腰に回り、詩織の指が陽花の髪に絡む。


 二人の体が寄り添い、互いの温もりを感じ合う。

 陽花の手が詩織の背中を優しく撫で、詩織は小さな吐息を漏らす。


「陽花さん……」


 詩織の声が震える。陽花は詩織の首筋に顔を埋め、そっとキスを落とす。


 詩織の手が陽花のシャツの裾に触れる。

 ためらいがちに、少しだけ中に滑り込ませる。

 陽花の肌の温もりが、詩織の指先に直接伝わる。


 二人の呼吸が荒くなり、心臓の鼓動が早くなる。

 狭い倉庫の中で、二人の想いが溢れんばかりに膨らんでいく。


 しかし、その時――


「あら、まだ誰かいたの?」


 突然ドアが開いた。

 響いたのは麗子の声だった。

 彼女は驚いた表情で、倉庫の中を覗き込んでいる。


「れ、麗子さん!」


 詩織が慌てて立ち上がる。陽花も、ぎこちない動きで後に続く。


「どうしたの? こんな所で」


 麗子の視線が、二人の間を行き来する。


「あ、あの……鍵が、かかっちゃって……」


 詩織が、言い淀みながら説明する。


「そう、大変だったわね」


 麗子の口元に、かすかな笑みが浮かぶ。


「麗子さん、ありがとうございます。助かりました」


 陽花が、深々と頭を下げる。


「いいのよ。でも、これからは気をつけてね」


 麗子の言葉に、二人は頷く。


 三人で倉庫を出ると、辺りはすっかり夕闇に包まれていた。


「じゃあ、私はこれで。お先に失礼するわ」


 麗子が、意味深な笑みを浮かべながら去っていく。


 残された詩織と陽花は、互いの顔を見合わせた。そして、思わず吹き出す。


「はは、びっくりしたね」


「ええ、本当に」


 二人の笑い声が、夕暮れの校庭に響く。


「でも、詩織ちゃん」


 陽花が、真剣な眼差しで詩織を見つめる。


「なに?」


「あの時の続き、また今度ゆっくりしようね」


 陽花の言葉に、詩織は顔を真っ赤にする。


「う、うん……」


 詩織の小さな返事に、陽花は満足げに微笑んだ。


 二人は肩を並べて、夕暮れの校舎へと歩き出す。その背中には、新たな期待と甘い予感が宿っていた。


 この日の出来事は、二人の心にまた一つ、大切な思い出を刻むことになった。閉じ込められた倉庫は、二人の気持ちを一層近づける、小さな密室となったのだ。


 秋の夜風が、二人の髪をそっと撫でていく。その風に乗って、新しい恋の季節が始まろうとしていた。

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