第十八話:優しさの処方箋
秋晴れの午後、椿花女学院のグラウンドには陸上部の生徒たちの活気あふれる声が響いていた。その中でも、特に目を引く存在が一人いた。風間陽花だ。彼女の短い茶色の髪が、風になびきながら走路を駆け抜けていく。
グラウンドの端で、藤原詩織がその姿を見つめていた。詩織は図書委員会の仕事を終え、帰り支度をしていたところだった。彼女の長い黒髪が、秋の陽光を受けて艶やかに輝いている。
「がんばれ、陽花さん……」
詩織は小さな声で陽花を応援する。その瞳には、陽花への愛情と尊敬の念が宿っていた。
しかし、その時だった。
「きゃっ!」
陽花の悲鳴が、グラウンドに響き渡る。彼女が転んだのだ。
「陽花さん!」
詩織は咄嗟に駆け出した。頬に当たる風も感じないほどの速さで、陽花の元へと向かう。
グラウンドに倒れた陽花の姿が、詩織の胸を締め付けた。陽花の顔が苦痛で歪んでいる。その姿は、まるで折れた翼を抱えた小鳥のようだった。
「大丈夫? 陽花さん」
詩織が陽花の傍らにひざまずく。
「う、うん……ちょっと足首を捻っちゃったみたい」
陽花は強がりながらも、その声には痛みが滲んでいた。
「保健室に行きましょう」
詩織は優しく、しかし力強く陽花を抱き起こす。陽花の体重を支えながら、二人でゆっくりと保健室へと向かった。
保健室に着くと、幸い養護教諭の先生はいなかった。詩織は陽花をベッドに座らせ、救急箱を取り出した。
「少し見せて」
詩織は優しく陽花の足首に触れる。その指先は、まるで蝶が花びらに止まるかのように繊細だった。
「痛くない?」
「う、うん……大丈夫」
陽花は詩織の優しさに、胸が熱くなるのを感じた。
詩織は慎重に陽花の靴下を脱がせる。陽花の足首は少し腫れていた。その様子に、詩織の眉間にしわが寄る。
「冷やさないと」
詩織は氷嚢を取り出し、そっと陽花の足首に当てる。突然の冷たさに、陽花が小さく身震いする。
「ごめんね、痛かった?」
「ううん、大丈夫。詩織ちゃんが看てくれてるから」
陽花の言葉に、詩織は頬を赤らめる。
しばらくの間、二人は静かに時を過ごす。陽花の足首を冷やしながら、詩織は時折陽花の表情を窺っていた。陽花の健康的な小麦色の肌が、夕陽に照らされてより一層輝いて見える。汗で少し濡れた前髪が、彼女の額にへばりついている。その姿に、詩織は思わずドキリとした。
「ねえ、詩織ちゃん」
陽花が、少し恥ずかしそうに呼びかける。
「なに?」
「ありがとう。いつも私のことを看てくれて」
陽花の素直な言葉に、詩織の胸が熱くなる。
「当たり前よ。大切な人なんだから」
詩織の言葉に、今度は陽花が頬を赤らめる。
氷嚢を外し、詩織は包帯を取り出した。慎重に、しかし的確に陽花の足首に包帯を巻いていく。その仕草は、まるでピアノを奏でるかのように優雅だった。
「ねえ、詩織ちゃん」
「ん?」
「子供の頃、怪我した時にお母さんがよく言ってくれた言葉があるんだ」
陽花の声には、懐かしさが滲んでいた。
「どんな言葉?」
「『痛いの痛いの飛んでゆけ』って」
陽花の言葉に、詩織は柔らかく微笑む。
「素敵な言葉ね」
詩織は包帯を巻き終えると、ふと思い立ったように陽花の足首に顔を近づけた。
「詩織ちゃん?」
陽花が不思議そうに詩織を見つめる。
「痛いの痛いの飛んでゆけ」
そう囁くと、詩織は優しく陽花の足首にキスをした。その唇の感触に、陽花は小さく息を呑む。
「え……」
陽花の顔が、みるみるうちに赤くなっていく。
「これで、きっと痛みも飛んでいくわ」
詩織は、少し照れくさそうに微笑む。その仕草が、陽花の目には天使のように映った。
「う、うん……ありがとう」
陽花は、感動と恥ずかしさで声を震わせる。
二人の間に、甘い沈黙が流れる。窓から差し込む夕陽が、二人の姿を優しく包み込んでいた。
「もう大丈夫? 痛みは和らいだ?」
詩織が、優しく尋ねる。
「うん、すっごく良くなったよ。詩織ちゃんの魔法のおかげかな」
陽花が、照れくさそうに答える。
「よかった」
詩織は安堵の表情を浮かべる。そして、ふと思いついたように言った。
「今日は私が陽花さんを家まで送るわ」
「え? でも、迷惑じゃない?」
「迷惑なわけないでしょう。大切な人なんだから」
詩織の言葉に、陽花の胸が熱くなる。
「ありがとう、詩織ちゃん」
陽花は、感謝の気持ちを込めて詩織の手を握る。その温もりに、詩織も心が温かくなるのを感じた。
二人はゆっくりと保健室を後にする。陽花の体重を支えながら歩く詩織の姿は、まるで守護天使のようだった。
夕暮れの校舎に、二人の姿が映る。互いを支え合いながら歩む姿は、まるで一つの影のように美しかった。
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