第九話:レインボーショッピング ~七色の想いを纏って~

 梅雨の季節、椿花女学院の校舎は湿気を含んだ空気に包まれていた。教室の窓ガラスには、細かな雨粒が付着し、外の景色を曇らせている。


 詩織は、国語の授業に集中しようとしていたが、時折窓の外を見やってはため息をついていた。今日は図書委員会の活動日。このまま雨が降り続けば、帰りが遅くなりそうだ。


(傘を持ってこなかったのが失敗だったわ……)


 そんな詩織の様子を、教室の反対側から心配そうに見つめる目があった。陽花だ。


 陽花は、詩織の困った表情に胸を痛めていた。


(詩織ちゃん、傘忘れちゃったのかな……)


 陽花は、自分が持ってきた折りたたみ傘のことを思い出す。朝、母親に「急な雨に備えて」と言われ、渋々カバンに入れたものだ。


(よかった。詩織ちゃんに貸してあげられる)


 陽花の顔に、小さな笑みが浮かぶ。


 授業が終わり、詩織が図書室に向かう途中、陽花が駆け寄ってきた。


「詩織ちゃん!」


 詩織は、その声に振り返る。


「あ、陽花さん」


「傘、持ってきた?」


 陽花の質問に、詩織は少し困ったような表情を見せる。


「ええと……忘れてしまったの」


 詩織の言葉に、陽花は嬉しそうに笑顔を見せる。


「よかった! 僕の傘を貸してあげられる」


 陽花の言葉に、詩織の顔が明るくなる。


「本当? ありがとう」


「うん! 図書委員会が終わったら、一緒に帰ろう?」


 陽花の提案に、詩織は小さく頷いた。その瞬間、二人の間に小さな期待が芽生えた。


 図書委員会の活動が終わる頃、雨はすっかり上がっていた。湿った空気の中に、かすかに日差しが差し込んでいる。


 詩織が図書室を出ると、そこには陽花が待っていた。陽花の姿を見た瞬間、詩織の心臓が小さく跳ねる。


「お待たせ」


「ううん、全然!」


 陽花の明るい返事に、詩織は少し照れくさそうに微笑む。


 二人は並んで歩き始める。湿った空気が、二人の髪を少し湿らせている。陽花の短い髪は、いつもよりも少しカールしているように見える。


「陽花さんの髪、少し巻いてるみたい」


 詩織の言葉に、陽花は驚いたように目を丸くする。


「え? 本当?」


 陽花が手で髪に触れる仕草は、どこか少年のようで愛らしい。詩織は、その姿に思わずくすっと笑う。


「可愛いわ」


 その言葉を口にした瞬間、詩織は自分の大胆さに驚く。しかし、陽花の嬉しそうな表情を見て、少し安心する。


 二人が体育館の前を通りかかった時、突然強い雨が降り始めた。


「あっ!」


 驚いて声を上げる二人。咄嗟に、体育館の軒下に駆け込む。


「もう、急な雨、いじわるだね」


 陽花が笑いながら言う。その姿は、まるで雨を楽しんでいるかのようだ。


 詩織は、濡れてしまった制服の袖を見る。陽花も同じように濡れている。


「大丈夫? 少し濡れちゃったね」


 陽花の優しい声に、詩織は顔を上げる。


「ええ、でも大したことないわ」


 そう言いながらも、詩織は少し震えていた。湿った制服が肌に張り付き、冷たさを感じる。


 陽花はそんな詩織の様子を見て、ポケットからハンカチを取り出した。それは、淡いブルーの色で、端に小さな花の刺繍が施されている。


「詩織ちゃん、これ使って」


 陽花がハンカチを差し出す。詩織は少し躊躇いながらも、それを受け取る。


「ありがとう……でも、陽花さんは?」


「僕は平気だよ。それより……」


 陽花は少し言葉を濁す。そして、ゆっくりと手を伸ばし、詩織の髪に触れた。


「髪が濡れちゃってるよ。拭いてあげる」


 陽花の優しい仕草に、詩織は言葉を失う。陽花の手が、優しく髪を撫でるように水滴を拭っていく。その温もりに、詩織は心臓が早鐘のように鳴るのを感じた。


「こ、こっちも……」


 詩織も恥ずかしさを押し殺して、陽花の髪を拭き始める。二人の距離が近づき、お互いの息遣いが聞こえるほどだ。


 陽花の髪は、意外にも柔らかく、指に絡むようだった。その感触に、詩織は少し夢中になる。


「ね、詩織ちゃん」


 陽花の声に、詩織は我に返る。


「な、なに?」


「僕、今すごく、ドキドキしてる……」


 陽花の正直な告白に、詩織は顔を真っ赤にする。


「わ、私も……」


 二人の視線が絡み合う。そのまま、ゆっくりと顔が近づいていく。


 その時、突然の雷鳴が響いた。


「きゃっ!」


 驚いて声を上げる詩織。思わず、陽花に抱きつく。


「大丈夫、怖くないよ」


 陽花が、優しく詩織を抱きしめ返す。その腕の中で、詩織はあたたかい安心感を覚えた。


 雨は、すぐに小降りになった。二人は軒下から出て、歩き始める。


 濡れた地面に、夕日が映り込み、まるで世界が輝いているかのよう。空には、美しい虹がかかっていた。


「ねえ、詩織ちゃん」


 歩きながら、陽花が声をかける。


「なに?」


「明日も、一緒に帰ろう」


 陽花の言葉に、詩織は嬉しさで胸が一杯になる。


「うん、約束よ」


 二人は、小指を絡ませて約束をする。その仕草は、まるで小学生のようで、でも二人にとっては特別な意味を持っていた。


 夕暮れの街を歩く二人の影が、長く伸びていく。その姿は、まるでこれからの二人の未来を示しているかのようだった。


 雨上がりの空気は、新鮮で甘い香りがした。それは、二人の関係が新しい段階に進んだことを象徴しているようだった。

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