第五話:虹色に染まる、未来への誓い
梅雨の季節、椿花女学院の校舎は霞んだような空気に包まれていた。廊下に並ぶ窓からは、絶え間なく降り続く雨の音が聞こえている。その単調なリズムに、生徒たちの心も少しずつ滅入っていくようだった。
図書室では、詩織が一人黙々と本の整理をしていた。彼女の長い黒髪は、いつもより少しだけ湿気を含んでいるようで、普段の艶やかさが失われていた。顔色も優れず、動作にもいつもの軽やかさが感じられない。
(少し、頭が重いわ……)
詩織は密かに溜息をつく。梅雨特有の湿気が、彼女の体調を少しずつ蝕んでいるようだった。
そんな詩織の様子を、図書室の入り口から心配そうに見つめる目があった。それは陽花だった。
「詩織ちゃん、大丈夫?」
陽花の声に、詩織は驚いたように顔を上げた。
「あ、陽花さん。ええ、大丈夫よ」
詩織は微笑もうとしたが、その表情には疲れが滲んでいた。
「嘘だ。顔色悪いよ」
陽花は詩織の隣に駆け寄り、その額に手を当てた。
「わっ! 熱があるじゃない!」
陽花の声には、驚きと心配が混ざっていた。
「そんな……大したことないわ」
詩織は陽花の手を払おうとしたが、その瞬間、めまいに襲われてよろめいた。
「詩織ちゃん!」
陽花は咄嗟に詩織を支える。その腕の中で、詩織の体は驚くほど熱く、そして震えていた。
「保健室に行こう。僕が連れて行くから」
陽花の声に、詩織は弱々しく頷いた。
保健室で横になった詩織に、養護教諭の先生は軽い夏風邪の診断を下した。
「少し休めば大丈?よ。でも、今日は早めに帰宅した方がいいわね」
先生の言葉に、陽花は即座に反応した。
「僕が送ります!」
その声には、決意と心配が混ざっていた。
詩織は少し躊躇ったが、陽花の真剣な表情に押され、結局同意した。
「お願いします……」
その言葉は、普段の詩織からは想像もつかないほど弱々しかった。
二人が詩織の家に向かう頃には、雨は小止みになっていた。しかし、空はまだ灰色の雲に覆われ、じめじめとした空気が街を包んでいた。
陽花は傘を差しながら、詩織を支えるように歩いた。その腕の中で、詩織の体は小さく、そして脆く感じられた。
(詩織ちゃん、こんなに小さかったっけ?)
陽花は心の中でそう思いながら、詩織をより強く支えた。
詩織の家に着くと、両親は不在だった。大学教授である二人は、学会のために出張中とのことだった。
「一人で大丈夫?」
陽花の声には、心配と躊躇いが混ざっていた。
「ええ、大丈夫よ。ありがとう、陽花さん」
詩織は微笑もうとしたが、その表情はまだ疲れに満ちていた。
陽花は決意に満ちた表情で言った。
「僕、看病する! 詩織ちゃんのお父さんとお母さんが帰ってくるまで、ここにいるから」
その言葉に、詩織は驚いた表情を見せた。
「え? でも……」
「いいの。僕がいるから、詩織ちゃんはゆっくり休んで」
陽花の優しさに、詩織は言葉を失った。そして、小さく頷いた。
陽花は台所に立ち、日ごろの料理の経験を活かして梅粥を作り始めた。その姿は、まるで主婦のようだった。エプロンをつけた陽花の後ろ姿を見て、詩織は不思議な感覚に包まれた。
(陽花さん、こんな一面があったのね……)
陽花が作った梅粥を食べながら、詩織は少しずつ元気を取り戻していった。その味は意外にも上品で、詩織の胃に優しく染み渡った。
「美味しい……」
詩織の素直な感想に、陽花は嬉しそうに微笑んだ。
「よかった。僕、和食得意なんだ」
その言葉に、詩織は思わず微笑んだ。
夕方になり、雨がまた激しく降り始めた。窓の外は灰色の世界に包まれ、二人は詩織の部屋に閉じ込められたような感覚になった。
陽花は詩織の寝顔を見つめながら、自分の気持ちを再確認していた。
(詩織ちゃん、本当に可愛い……)
詩織の長い睫毛、白い肌、そして柔らかな唇。全てが陽花の目には美しく映った。
陽花は思わず、詩織の頬に触れようとした。しかし、その瞬間、詩織が目を覚ました。
「あ……」
二人の目が合う。そこには、言葉にできない何かが流れていた。
「陽花さん……」
詩織の声は、かすれていたが、どこか甘さを含んでいた。
「詩織ちゃん、気分はどう?」
陽花は、少し慌てたように聞いた。
「うん、だいぶ良くなったわ。ありがとう」
詩織の微笑みに、陽花の心臓が大きく跳ねた。
その時、窓の外で雨が上がり、夕日が差し込んできた。二人は思わず窓の外を見た。
「あ、虹だ!」
陽花の声に、詩織も目を見開いた。
七色の虹が、灰色だった空を鮮やかに彩っていた。
「綺麗……」
詩織の声が、感動に震えていた。
陽花は、その瞬間を逃すまいと決意した。
「ね、詩織ちゃん」
「なに?」
「僕ね、詩織ちゃんのこと、本当に好きなんだ」
陽花の再びの告白に、詩織の瞳が大きく開いた。
「陽花さん……」
「星月夜の時も言ったけど……今度こそ、ちゃんと伝えたかったんだ」
陽花の言葉に、詩織の頬が紅潮した。
「私も……陽花さんのこと、好き」
「本当!?」
詩織の言葉は、小さかったが、確かだった。
陽花の顔がぱっと明るくなる。
二人は見つめ合い、そっと手を重ねた。その瞬間、部屋の中に虹の光が差し込んできた。
「ね、約束しよう」
陽花が言った。
「なに?」
「これからも一緒にいようって。雨の日も、晴れの日も」
詩織は、優しく微笑んだ。
「うん、約束する」
二人の指が絡み合う。その瞬間、虹はより一層鮮やかに輝いたように見えた。
窓の外では、雨上がりの街が新しい光に包まれていた。それは、詩織と陽花の新しい関係の始まりを祝福しているかのようだった。
雨上がりの空に、新しい物語の幕が上がろうとしていた。詩織と陽花の心の中で、小さな愛の芽が、虹の光を浴びて大きく育ち始めたのだった。
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