第6話 宝塚歌劇と京都観光

宝塚ファミリーランドの大人形館(世界はひとつ)ののりもの券を売り場で買う。大人百円だった。


さっそく大人形館に入場して乗り場に進むと、水路の上に六人乗り(二人×三列)のボートのような乗り物が並んでいた。順番を待って乗り込む。


ぷかぷかと浮いてゆっくり進みながら最初の短いトンネルをくぐると、水路の両側に民族衣装を着たたくさんの人形が音楽に合わせて揺れるように踊っていた。


いろいろな国や地域の民族衣装で、華やかでとても楽しい。そうそう、こんなアトラクションに乗りたかった。


ボートは十分程で元の乗り場に戻った。とてもおもしろかった。


ファミリーランドにはまだたくさんのアトラクションが所狭しと並んでいる。目移りしてしまうが、今日は遊園地で遊ぶのがメインではない。


そこで私たちは入口近くの動物園に戻って、ライオン、ヒョウ、カンガルー、エミュー、象などを見て回った。


最後に近くのモノレール乗り場に寄り、園内を一周するモノレール(パノラマカー)に乗った。一周百円だった。


花時計、おとぎセンター、植物園、小林一三翁生家などの上を通り、さっき中に入った大人形館の前を通り過ぎて、再び元の乗り場に戻って行った。たくさんの建物や展示物、アトラクションを見下ろすことができ、万博会場のエキスポランドより密度が濃いと思った。


園内のベンチに座って佳奈さんの母親お手製のお弁当をいただく。サラダパン風のサンドイッチ(マヨネーズでえたタクアンのみじん切りをパンに挟んだもの)はとてもおいしかった。


中身だけ朝味見をさせてもらったが、パンに挟んで食べるとさらに味わい深い。水筒に入れてきたミルクティーを回し飲みして、とても満足した昼食を終えた。


そろそろ宝塚歌劇の開演時間になるので、陸橋を渡って宝塚大劇場の前に戻る。


入口でさっき買ったチケットを渡して中に入り、私たちのC席がある三階に上がった。


一番安い席だが上からステージ全体が見渡せる。私たちはわくわくしながら開演を待った。


「佳奈さんは歌劇を見に来たことが何度もあるの?」と聞く。


「ううん、実は一度もないの」と答えて驚く私と芽以さん。


「小学生の時に家族でファミリーランドに来たけど、歌劇を観たのは両親だけで、私は当時はあまり興味がなかったから兄と一緒に遊園地の方で遊んでいたの」


「子どもならそうかもしれないわね」


「中学、高校になっても特に興味なかったし、お金もかかるから友だちと行ったこともないの」


「じゃあ、私たちと同じように今回が初めてなのね」と芽以さん。


「そうなの。噂だととても素敵らしいから、私も楽しみだわ」と佳奈さんが言った。


しばらく待っているとようやく始まった。演目は「タカラヅカEXPO’70」で、雪組の公演ということだった。


第一部は「四季の踊り絵巻」で、格調高く、華やかな日本物のレビューだった。舞台の絢爛さと歌声に魅了される。


パンフレットを見ると、出演者は真帆志ぶき、麻鳥千穂、天津乙女、春日野八千代、牧美佐緒、亜矢ゆたか、大原ますみ、汀夏子、美高悠子、神代錦、摩耶明美、楠かおり、高宮沙千、四条秀子、大路三千緒、三鷹恵子、松本悠里、岸香織、木花咲耶ほかの面々だった。


あいにく私は宝塚のスターについては詳しくないので、誰が誰なのかまったくわからないが、和装の豪華さに目が奪われた。


第二部は「ハロー!タカラヅカ」で、総勢百五十名のタカラジェンヌからなるグランド・レビューが披露された。


やはり洋装の方が宝塚歌劇らしいと思う。宝塚歌劇に人気があることが納得できる素晴らしい舞台だった。


約三時間のレビューが終わると私たち三人は感激のあまりぽわーっとなっていた。


「やっぱり素敵ねぇ〜」とうっとりしながら感想を述べる芽以さん。


「ほんと。こんな体験は初めてだわ」と私も言った。


感動を胸に秘めたまま宝塚大劇場を出る。この時点で午後四時頃だったが、帰るにはまだ早い。


「もう少しファミリーランドの中で遊んでいこっか?」と佳奈さんが言い、私と芽以さんも賛成した。


まず向かったのが、宝塚大劇場そばの宝塚レークだ。レーク(湖)と言っているが、宝塚ファミリーランドの敷地に隣接して流れる武庫川を囲っただけのところで、ここでペダルボート(足漕ぎボート)に乗る。


二人乗りで三十分二百円だが、三人で無理矢理乗った。楽しかった。


その後はファミリーランド名物の二重大観覧車に乗る。中心軸から伸びた二本のアームの両端にゴンドラ八基が回る小観覧車が付いている変わった観覧車だ。エキスポランドの観覧車より怖くなさそうだったが、やっぱりけっこう高くて肝を冷やした。


さんざん遊んでから佳奈さんの家に帰る。


この日の夕食はドライカレーだった。いや、ドライカレーっぽい最初からカレーとライスをよく混ぜ合わせたもので、しっとりしていて、真ん中に生卵を乗せていた。


「これは自由軒の名物カレーを真似たものよ」と佳奈さんの母親が言った。


自由軒とは明治四十三年に創業した大阪の洋食屋のことで、このライスカレーが名物料理だという話だった。


生卵を混ぜながらライスカレーを口に入れる。なかなかおいしい。


「織田作之助の『夫婦善哉めおとぜんざい』にも玉子入りのライスカレーと紹介されていて、織田作之助の好物だったらしいわ」と教えてもらった。


「『夫婦善哉めおとぜんざい』って昭和初期の大阪のいろいろな料理が紹介されているんですね?ほかにどんな料理が載っているのですか?」と私は聞いてみた。


「確か関東炊きのお店が二軒くらい紹介されていたわね」と答える佳奈さんの母親。関東炊きとはおでんのことだ。


「それから小説の題名になった夫婦善哉めおとぜんざいってお店ね。一人前なのにぜんざいが二杯出てくるのよ」


その時佳奈さんがカレーにウスターソースをかけているのを見て仰天した。


「カレーにソースをかけるの?」


「かけるかけないはその人の自由だけど、自由軒にもテーブルの上にソースが置かれていて、かけるのが基本みたいよ」と佳奈さんが答えた。


それを真似て私もソースを少しだけかけてみる。そして周りのカレーと混ぜて口に入れると、ソースの味と香りが口の中に広がった。


私はソースをかけない方がおいしいと思うが、カレーの味にパンチを加えたい人はソースをかける方が好きかもしれない。


お腹いっぱいになってお茶をいただいていたら、デザートとして八朔はっさくが出された。夏みかんのような大きさの柑橘類で、皮をはいで身を食べると甘く、若干ほろ苦かった。


夕食のお礼を言って片づけを手伝い、佳奈さんの部屋に戻って順番にお風呂をいただいた。


日曜日に大阪に来て、月、火と大阪万博を観光した。水曜日の今日は宝塚ファミリーランドに行った。そして明日は五日目だ。時間が経つのが早い。


「明日はどこに行こうか?行きたい所ある?」と佳奈さんが私たちに聞いた。


「あの、・・・もし良ければ京都に行きたいんだけど」と芽以さんが言った。


「いいわよ。どこが見たいの?清水寺、金閣寺?」と聞く佳奈さん。


「実は本能寺の跡や、攘夷志士の旧跡を見て回りたいの」と芽以さん。そう言えば歴史好きだと行きの新幹線の中で話していたっけ。


「いいけど、私はそんなに詳しくないわよ。どこへ行けばいいか、わかる?」と佳奈さんが聞き返した。


鞄の中からノートを出して説明する芽以さん。あらかじめ行きたい場所の下調べをしてきたようだった。


階下から京都市内の地図を持って来て、芽以さんと一緒に場所を確認する佳奈さん。


私はよくわからないので口を出さなかったが、まもなく明日の行程が決まったようだった。


翌朝は八時過ぎに起き、九時頃に朝食をいただいた。もちろん準備を手伝ったが、朝食のメニューはご飯、みそ汁、塩鮭、生卵に納豆が付いていた。


「私たちはあまり納豆を食べないけど、佳奈から関東では普通に食べているって聞いて、昨日買っておいたの」


その納豆は経木という薄く削った木で三角形に包まれ、経木を開くと中に糸を引いた納豆が入っていた。それを見て眉をひそめる佳奈さんの両親とおばあさん。


「関西人は納豆が腐った大豆にしか見えないのよ」と佳奈さんが笑って言った。


どんぶりを借りて中に納豆を移し、はしでよくかき混ぜてしょうゆと生卵を入れ、さらにかき混ぜた。それを芽以さんと二人で分けてご飯の上に移す。


「わざわざ買って来てもらってありがとうございます」と二人で佳奈さんの母親にお礼を言う。


「わたしゃ食べる気がしないけど、どんなお味なの?」とおばあさんが聞いてきた。


「納豆自体は柔らかくて味は淡白です。糸を絡めてネバネバになったところが一番おいしいという人もいます。初めての人は匂いが気になるかもしれませんが、私たちはあまり感じません」と納豆について説明した。


もっとも、大阪ではあまり買う人がいないせいだろうか、端っこの方の納豆は少し乾燥していた。


「私も東京で食べて慣れてきたけど、大阪に帰ったらわざわざ食べたいとは思わないわ」と佳奈さんが言った。


食べ終わった後のご飯茶碗にネバネバが少しついているので、私がみんなの分の食器を洗ったら、佳奈さんの母親が感謝してくれた。


お腹いっぱいになって元気になったので、佳奈さんと一緒に家を出て駅に向かう。


今日の京都観光の行程は、まず十三駅で阪急京都線に乗り換えて、京都の大宮駅で降りるということだった。


電車の左手に山(北摂山系)、右手に淀川を眺めながら京都市内に向かう。


大宮駅で降り、四条通に沿って堀川通を渡り、細い路地の油小路通を北上し、蛸薬師通で東方向に曲がる。そのまま少し歩いた街角に本能寺跡を示す細長い石碑があった。石碑には「此附近 本能寺址」と掘られている。


「こんなところに織田信長が明智光秀の謀反にあって命を落とした本能寺があったのね」と私は周囲の住宅を見回しながら言った。


「本能寺跡を見れて感激だわ」と芽以さんが言ったが、本能寺跡を示すものはこの石碑だけだ。私には何の感慨も浮かばなかった。


「次はどこに行くの?」


「次は近江屋の跡よ。四条通に戻って東に少し歩くわ」と芽以さん。


芽以さんが言った近江屋とは幕末の醤油商のことで、実際に目指しているのは近江屋の主人宅の跡地だ。そこで寄宿していた坂本龍馬と中岡慎太郎が暗殺されたのである。


「戦国時代から一気に幕末に行くの?」と聞く。


「時代は別だけど、最短ルートで回ると本能寺跡の次は近江屋跡なのよ」と佳奈さん。


四条通を少し歩いて、河原町通を曲がって北上する。しばらく歩くと道路脇に「坂本龍馬 中岡慎太郎 遭難之地」と記された石碑が建っていた。もちろん当時の近江屋主人宅は跡形も残っていない。


「ここで坂本龍馬が暗殺されたのか」と思ったが、芽以さんと違って龍馬に思い入れがない私はただ石碑を眺めるだけだった。


「次は池田屋の跡よ」と芽以さん。


池田屋とは幕末にあった旅籠で、長州藩や土佐藩などの尊王攘夷派志士が潜伏していた。新選組が襲撃して死闘を繰り広げたところだ。


河原町通を北へもう少し歩き、三条通を東に曲がったところにまた石碑があった。


石碑の正面には「維新史蹟 池田屋騒動之址」、左右の側面に「京都市教育会」、裏面に「寄附者 昭和二年十一月 佐々木フサ」と掘られている。


「佐々木フサって誰?」と芽以さんに聞く。


「知らない。志士か池田屋の関係者じゃないの?」と佳奈さん。


その後四条通に戻り、少し北上したところに現在の本能寺があった。明智光秀に焼き討ちされた後、ここに豊臣秀吉が本能寺を再建したとのことだった。


現存する(新)本能寺には織田信長公廟と、織田信長や森蘭丸ら信長の側近達の供養塔があった。信長公廟は、信長の三男の信孝の命によって建てられたものらしい。


本能寺を出ると河原町通をさらに北上し、丸太町通で西に曲がって京都御苑に入った。けっこう広い庭園だ。芽以さんのお目当ては蛤御門だった。


蛤御門は幕末に長州藩兵と会津・桑名藩の兵が戦闘した京都御苑の門だ。門柱には当時の戦闘による弾痕がまだ残っていた。


「とりあえず見たかったところは全部見れて良かったわ」と満足げな芽以さん。


「これからどうするの?」と二人に聞く。


「お昼を過ぎているから昼食を摂りましょうよ」と佳奈さんが言った。


ちなみに今日は弁当を持って来ていない。京都市内に弁当を広げられる場所があるかわからなかったからだ(寺社内や街角や京都御苑内はさすがにはばかられた)。

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