第5話 大阪万国博会場(三)
食後に水筒のお茶を回し飲みすると、とたんに眠気が襲ってくる。
「目から入る情報が多すぎて、少し疲れちゃった」と二人に言う。
「そうね。私もそう思ってた」と佳奈さんが賛同してくれた。
「これからどうする?帰るにはまだ早いけど」と聞く芽以さん。
「あれに乗るのはどう?」と佳奈さんが西の方を指さした。
「どれ?」
「レインボーロープウェイよ。あれで西口ゲートまで行くの」
「そして帰るの?」
「いいえ、西口ゲートからモノレールに乗って、会場を一周するのよ。歩かなくていいから楽じゃない?」
佳奈さんの提案に賛成して万国博ホール(コンサートホール)の近くにある乗り場からロープウェイに乗ることにした。料金は二百円だ。エキスポランドの乗り物よりも高い(当たり前かな?)。
ロープウェイも行列にしばし並んでから乗ることができ、西口ゲートまでの会場の展望を楽しんだ。途中でゴンドラが横に回転し、景色が一変したのには驚いたけれど。
レインボーロープウェイの西口駅に着くと、ゴンドラから降りて今度はモノレールの西口駅に向かった。
こちらは無料だ。やはり行列ができている。・・・万博会場はこの待ち時間がネックだった。
モノレールは中国縦貫自動車道より北側の万博会場の敷地(ただし日本庭園を除く)の周囲を反時計回りにゆっくりと進んだ。それでも歩くよりははるかに速く、約十五分で会場を一周するのだそうだ。
西口駅を出ると次はアメリカ館とアメリカン・パーク館の間にある水曜広場駅で、その次が太陽の塔の真正面に位置する中央口駅だ。そしてエキスポランドに続く橋の北側のエキスポランド駅、東口駅、日本庭園駅、北口駅を通って西口駅に戻る。
大観覧車よりも低く、四方から会場内を眺められるため、私はモノレールからの景色を十分に楽しむことができた。
東口駅を過ぎると右手に万博会場の日本庭園が広がっているのが見えた。
「あ、日本庭園がある。・・・広いわね」と私は二人に言った。
「行ってみる?行くなら次の日本庭園駅で降りるわよ」と佳奈さん。
私は芽以さんと顔を見合わせて、「せっかくだから行ってみようか?」と相談した。
決断に時間がかかったので日本庭園駅でモノレールから降りるのが間に合わず、次の北口駅で降りた。ソ連館のちょうど裏手だ。
ここから日本庭園の入口(日本庭園西門)に向かった。
万博会場北側の日本庭園は東西に伸びる長さ一・三キロの細長い地形で、西から東に向かって二本の小川が流れている。そして西側から上代(平安時代)、中世(鎌倉・室町時代)、近世(江戸時代)、現代(明治時代以降)の代表的な様式の庭園が作られていた。
パビリオンとは違って日本庭園を訪れる人は多くなく、のんびりと美しい日本庭園を鑑賞することができた。・・・心が癒される。
「未来的な展示もいいけど、緑と水の流れがある庭は心安らぐわね」と芽以さんが感想を言った。
日本庭園を一周すると西門からソ連館の裏手に出た。既に三時を回っているが、まだ帰るには早い。とりあえずソ連館の東側の通路を南下する。
「次はどこに行こうか?」と、万博会場中の人の列を見ながら佳奈さんが聞いた。
「あそこはどう?」と私は前方に見えてきた虹の七色に色分けされたドーム型のパビリオンを指さした。
「みどり館ね?」と佳奈さんが確認する。
みどり館にも長い行列ができていて、私たちはきれいな色のドームを見上げながら列に並んだ。
一時間近く並んでようやく中に入る。みどり館のメイン展示は全天周スクリーンのアストロラマで、ドームの内側全体の周囲三百六十度、上下二百十度がすべてスクリーンとなっていて、そこに映像が映し出された。
私たちは上を見上げながら周囲を見回し、迫力ある映像に圧倒された。
私たちは首の後をさすりながらみどり館を出る。
「すごいけど、首が疲れるわね」と芽以さん。「どっちを向けばいいかわからなかったし」
「パビリオンの真ん中で仰向けで寝転びながら見られたら良かったのに」と佳奈さんが言ってみんなで笑いあった。
みどり館の南西に木曜広場がある。万博会場には日曜広場から土曜広場まで七か所の広場があり、インフォメーションセンターやレストランや売店が配置されている。
売店に入り、私はおみやげとして高さ十センチ余りの金色の真鍮製の太陽の塔の模型を買った。重みがあって底面に手動式の鉛筆削りが付いている。絵葉書も何種類か買った。
その頃には太陽がかなり傾いていた。遅くなると帰宅ラッシュに引っかかりそうだし、佳奈さんの家族にも心配をかけるので、これで帰ることにした。
もう二度とこの会場には来ないだろうな。そう思うと後ろ髪を引かれるが、今日も一日けっこう歩いたので、そろそろ休みたい。
最後に木曜広場から西口ゲートの方に向かう高架の動く歩道に乗ったが、こっちも大勢人が並んでいて、西口ゲートにたどり着くまでにけっこう時間がかかった。
昨日と同じように通路橋を渡って万国博西口駅に行き、ホームから万博会場を見納める。「いい経験をした」と感慨にふけった。
電車に乗って佳奈さんの家に帰ると、佳奈さんの母親が夕食の準備をしていた。油で揚げる香ばしい匂いが漂っている。
「今日のおかずは何?」と佳奈さんが聞くと、
「串カツよ」と母親が答えた。
「あの、作るところを見てもいいですか?参考にするので」と私が言うと、
「あら、藤野さんはお料理に興味があるのね。いいわよ、荷物を置いてからいらっしゃい」と言ってもらった。
佳奈さんの部屋に荷物を置いて台所に降りる。芽以さんも興味を持って見に行くと言ったので、部屋でのんびりしようと思っていたらしい佳奈さんも一緒に来た。迷惑だったかな?
バットの中に既に串を刺した牛肉、豚肉、鶏つくね、うずら、レンコン、ジャガイモ、アスパラガス、玉ねぎが並んでいた。さらに紅ショウガも串に刺されていた。
「紅ショウガは天ぷらだけじゃなく、フライにもするんだ」と感心していたら、
「天ぷらもフライも似たようなものだからね」と母親に言われてしまった。そうかもしれない。
一般にカツは小麦粉をまぶし、溶き卵に漬け、パン粉をまぶして油で揚げる。ところが佳奈さんの家では小麦粉と溶き卵を混ぜたような液につけ、パン粉をまぶしてから揚げていた。
「この方法は串カツ店から広まったそうよ。手順がひとつ減るから、便利よ」と母親。普通のやり方をした場合と味が違うのか食べ比べて見ないとわからないが、参考にしよう。
たくさん揚げられた串カツを大皿に盛って座卓の上に並べる。やがて佳奈さんの父親も帰って来て、みんなで夕食が始まった。お兄さんは今夜もまだ帰っていない。
父親はビールをコップに注ぎ、私たちはご飯をよそってもらって、串カツを一種類ずつ小皿に取った。串カツにはソースをつける。
「そう言えば、大阪の串カツ屋では小皿に入れたソースがカウンターの上に置かれていて、二度漬け禁止と言われてるんでしたよね?」と私は聞いてみた。
「そうだ。よく知ってるね?」と父親に言われた。
「そうなの?初めて聞いたわ」と佳奈さんが意外そうに言った。
「繁華街、特にミナミの串カツ屋でのやり方だ。佳奈を連れて行ったことはないから知らんのだろう」と父親が言った。
「二度漬け禁止は、食いかけの串を共用のソースに漬けるのが衛生的でないからだろう。そのかわり生のキャベツが無料で提供されていて、ソースが足りない場合はキャベツですくって串カツにかけることができるんだ」
「なるほど。いろいろ考えているんですね」
「家で食べる時みたいに、ソース差しでソースを出せばいいのに」と佳奈さんが言った。
「確かにそうね。なんでだろう?」と芽以さんも言った。
「戦後まもなくからのやり方だから、当時はソース差しが入手しにくかったのかもしれん。・・・あるいはソース差しが空になるほど大量にかける客がいたからかも」と父親が言って私たちは笑った。
夕食が終わり、お風呂もいただいてから佳奈さんの部屋でくつろぐ。
万博のおみやげを並べながら、「今日もけっこう歩いたわね」と言う。
「そうね。でも、まだ元気はあるでしょ?明日はどこに行く?」と佳奈さんが聞いてきた。
「そうねえ、前の話だと宝塚がここから近いらしいから、やっぱり宝塚歌劇かしら?」と芽以さんが言った。
「そうね。せっかくここまで来たものね」と私も賛成する。
「わかった。じゃあ、明日は宝塚に行きましょう」
話がまとまったところで私は布団を床に敷き、その中に潜り込んだ。佳奈さんと芽以さんは一緒のベッドに寝転ぶ。その時、ドアの外で足音が聞こえ、隣の部屋のドアを開閉する気配を感じた。佳奈さんのお兄さんが帰ってきたのだろう。その後は特に物音が聞こえなかったので、私たちはぐっすりと眠った。
翌朝は八時過ぎに起きた。宝塚は豊中の近くなので、朝早くから出かける必要はないそうだ。
着替えをして顔を洗い、居間で朝食をいただく。今朝の朝食はご飯とみそ汁と焼きサバだった。
「サバが苦手な人いる?」と佳奈さんの母親に聞かれる。
「いいえ、大丈夫です」と私も芽以さんも答えた。
この時代、「アレルギー」という言葉はまだ一般人には広く知られていなかった。花粉症の人もめったにいなかった時代である。ただし、サバを食べてじんましんが出ることは知られているので、心配してくれたのだろう。
その後、お弁当作りの手伝いをする。今日のお弁当はサンドイッチで、滋賀県で人気があるサラダパンを参考にしたサンドイッチを作るそうだ。
野菜サラダを挟んだ野菜サンドかと思ったらそうではなく、いきなりタクアンを細かく切り始めた。これにマヨネーズを
おそるおそるマヨネーズを
東京に帰ってから作ってみよう。両親も弟の武も驚くに違いない。
食パンにタクアンのマヨネーズ
九時を過ぎたので佳奈さんの家を出て、今日も阪急電鉄豊中駅に行った。改札を抜け、宝塚方面行きのホームで電車に乗る。
宝塚駅に着くと花の道と呼ばれる道路を通って宝塚大劇場の建物が見える方に向かう。入口ではまず宝塚ファミリーランドの入園料百八十円を払う必要があった。
ファミリーランド内に入り、宝塚歌劇のチケット売り場に行く。
今日の演目は大阪万国博覧会に合わせて「タカラヅカEXPO’70」となっており、第一部が「四季の踊り絵巻」十五場、第二部が「ハロー!タカラヅカ」二十四場ということだった。
開演が午後一時からで、まだ二時間近くある。チケット代は、S席五百円、A席四百円、B席三百円、C席二百円だった。
三人で相談して一番安いC席のチケットを買う。なお、C席は三階席だということだった。
「まだ時間があるからファミリーランドの方に行こうか?」と佳奈さんが言って私たちはうなずいた。
入口そばにある陸橋を渡って(陸橋の下は花の道)動物園に入る。たくさんの動物がいるようだが、
「全体を回ってみましょう」と佳奈さんが言ったので、動物を見て回るのは後にした。
キリン舎と猿島の間の先には阪急宝塚線の高架が横切っている。高架下の通路をくぐって遊園地の方に移動した。
遊園地は木々が多く湖もあり、その間にたくさんのアトラクションが並んでいた。モノレールやスカイウェイと呼ばれるロープウェイもある。なかなか本格的な遊園地のようだ。
遊園地の中央を車道が南北に横切っており、その上を渡る陸橋で西側エリアと東側エリアが繋がっている。西側エリアには二重大観覧車スカイフープ、子供列車、おとぎの城、東側エリアには大噴水、大温室、ボート池、水上ティーカップ、急流すべり、スポーツカーハイウェイなどが所狭しと並んでいた。
「すごいわね。たくさんあって、どれに乗ろうか目移りしちゃうわ」
「ここでも一日遊べそうね」と芽以さんも言った。
「速くて怖いのもいいけど、今日は宝塚歌劇を見るのだから、歌と踊りが楽しめる乗り物に乗らない?」と佳奈さんが言った。
「いいわね、そこへ行ってみましょう」と賛成する私たち。
佳奈さんは私と芽以さんをファミリーランドの東の端近くまで誘導した。
「ここよ。最近できたのよ」と言って佳奈さんが指さしたのは、「大人形館(世界はひとつ)」と表示された建物だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます