第48話「バトル」
「おかえりなさいませ」
「ただいま」
ルドが腰を30度に曲げて挨拶し、僕の少し後ろをついてくる。
どうしよう、すごく気になる。指導書を書いているのが誰なのか。本当にルドが書いているのだろうか。
だが帰っていきなり聞くのも野暮というものだ。ちらちらと様子を伺う。
しかしこれは聞いて大丈夫なやつだろうかと躊躇っているとルドに声を掛けられる。
「…ルイス様?」
「ルドはさ、指導書を使ったことはある?」
「ええ、これでも教師ですから」
「…じゃあ、さ」
立ち止まって躊躇いがちに視線を落とす僕をルドが覗き込む。
「指導書を書くほうになることもあるの?」
ルドは一瞬、目を見開いた。
「そんなことですか」
どうやらそこまで重く考えなくて良い話題だったらしい。他人の仕事のことだしプライベートな話題だろうと思って聞くのを憚っていたのだが。
「ええ、書きますよ。特に貴方様のお嫌いな術式の分野とか、ね」
揶揄うような笑みを浮かべて言った。術式の事を言及されるときまり悪いのでさりげなく顔を逸らす。
「我が従者は本当に、人をいじるのが好きだな」
ちらりと横目でルドを見ると、柔らかく微笑んでいる。
「ルイス様だからするのです」
「ん?」
「ルイス様だからいじるのです。私が何か言う度にコロコロ変わる表情が可愛くて…」
「かっ、」
可愛い、だと!?
脳天を突かれたような衝撃が走る。
生まれてこの方、可愛いなどと言われたことがない。
僕は、可愛い、のか!?
よくよく思い返して見れば前にも可愛いとか言われたことがあったがあれは冗談ではなかったのか!
というか主人に向かって可愛いなどと、失礼じゃないか!
そもそもこの年齢にもなって可愛いと言われたって嬉しくないしどちらかというと格好いいと言われたい。
色々と思うことはあれど、衝撃が大きすぎて言葉が出てこない。
「失礼ですよ」
何か言わなければと口を開けたり閉じたりしていると、廊下の先から抑揚のない声が飛んでくる。
見ると、マリーが執務室の前に立っていた。ちょうど父上への用を済ませたところなのだろう。
淑女らしい振る舞いでツカツカとこちらに歩いてくる。
「私の坊ちゃんに可愛いと言って許されるのは私だけです」
ん?
「ルイス様は私の、主ですよ」
ルドが所有格を強調して言う。何だか空気がピリピリしているような。
「いいえ、私が育てたのですから坊ちゃんは私のものです。ね、坊ちゃん」
物扱いされた。同意を求められても。
「うーんと、僕は誰のものでもないかな…」
苦笑いしながらそう答えるしかない。
「ほら、見なさい」
ふん、とルドが鼻を鳴らす。侍女長が目つきを鋭くする。
試合開始のゴングが鳴った音がした。
「私のほうが坊ちゃんについて詳しいです」
「いいえ私のほうがルイス様についてよく知っています」
「私はルイス坊ちゃんがピーマンを苦手だと言うことを知っています」
「それを言うなら私だって、ルイス様が術式を苦手だと知っていますよ?」
「それは私も知っています」
「…」
ルドルフ選手、言い負かされている…!だがそれでも抵抗をやめないっ!
「私は、ルイス様のお好きな紅茶の種類も飲み方も存じています」
「私は坊ちゃんのお好きな本の著者も今夢中になっていらっしゃる本のタイトルも存じています」
それぞれルイスの事を知っているアピールをしています!白熱した戦いですね…
「私はルイス様を抱きしめたことがあります」
「私は坊ちゃんが小さい時、よく坊ちゃんのことを抱きましたしおんぶもして差し上げました」
「うっ」
おっとルドルフ選手、押されています!
「私は坊ちゃんが7歳までおねしょしていたことまで存じております」
ここでマリー選手が畳み掛け…それは恥ずかしいから言わないで…!
というか何故知っている!?
「ルイス様の足のサイズは22.3です」
「坊ちゃんのほくろの位置は右手首と左脇腹です」
「ルイス様の秘密の隠し場所は机の下の小さな真鍮の箱です」
「坊ちゃんのよく使うシャンプーはグロリア領産のシトラスの香りのするシャンプーです」
…僕にプライバシーはないのだろうか。
ありとあらゆる個人情報が晒されている気がする。このままでは僕の称号まで調べられかねない。
いや、そこまではしないだろう、さすがに。…しないよね?
※ちなみに余談ですが執事と従者は厳密には違うそう。執事は使用人統括で屋敷の日常業務とワインの管理を行い、日本人が一般的にイメージする専属執事は従者、ヴァレットというそうです。ルドルフさんは優秀なのでこの家の執事も兼任していますが。余談終わり。
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