第8話「生い立ち」

ああ、退屈だ。何もできない、誰もいない。

ランバート伯爵邸。僕は部屋で横になっていた。伯爵もルドルフも御前会議で出払っている。

実家では兄がネチネチと嫌味を言いきていたから、静かすぎて逆に落ち着かない。これならいっそ父に殴られていた方が良かったかもしれない。


僕は父に期待されていなかった。次男が病弱だとわかるとすぐに次の子を産んだ。後継としては長男か、駄目なら三男を選ぶつもりだったのだろう。もっとも、三男は今は長男に繰り上がったが。

側から見れば、アシュトン家にいた頃の僕の扱いは酷いものだった。

左右の目の色が違うと母に嫌われ、病弱だからと父に失望され、兄には出来損ないと蔑まれ、使用人と同等の扱いをされた。いや、もっと酷かったかもしれない。食事は余り物、寝る場所は与えられていなかったので適当な床で寝ていた。

時には父の、八つ当たりの的になった。

だが僕にとってそれは当然の待遇で、むしろ家に置いてくれたことがありがたい。

両親は僕の称号に期待して生かしてくれたのだろうが、その称号が「魔王」なのだ。追放もするだろう。地下牢に閉じ込められなかっただけましだ。あの人は自尊心の塊のような人だから、噂が立たないよう教会に圧力をかけたのだろう。


称号。それはこの世界で神から与えられるとされる祝福のような物だ。一人一つ与えられ、それで職業が決まると言ってもいい。

僕の称号は勝手に「魔王」にされたが、破壊神に祝福されても嬉しくないし、こんな称号は望んでいない。神の都合で魔王なんかになる気はない。


元々病弱で、無理をするとすぐに体調を崩した。掃除と洗濯に追われる毎日。

あの頃は生きるために、あの家に居場所を作ってもらうために必死だった。

病弱でろくに働けないくせに物覚えも悪く、他の使用人たちに無能者と蔑まれた。

そういえば一人だけ、物覚えの悪い僕を見かねて読み書きを教えてくれる人がいた。指示を記録しておけるように、と。あの人は今、どうしているだろう。

居場所が欲しくて、見捨てられるのが怖くて必死に皆に着いて行った。

思えば、異常なほど生に執着していたかもしれない。

どうしてそこまでして生きたかったのだろう?

何のために生きていたのだろう?

僕は、何のために…?

虚無感が押し寄せる。これからはもう、父に殴られることもない。僕の存在意義は、なくなってしまった。

そう思うと、途端に消えたくなってくる。どうしようもなく、消えたい、死にたい。

どうやって死のうか。

溺死?

切腹?

斬首?

苦しいのは嫌だな。

いっそのこと窓から飛び降りてしまおうか。

いや、崖の方が確実か。

その下に激流か滝壺があればなお良い。

思考がどんどん悪い方向に加速する。

それを自覚しても、虚無感は消えない。

やはり一人でいると駄目だな。寝よう。寝て忘れてしまおう。


ルドルフが部屋に入って来る。会議はもう終わったようだ。

「おかえりなさい」

結局眠れなかった。重い体を起こす。

「ただいま帰りました」

あれだけ死に方について考えていたのに、一度は窓を開けてみたりもしたのに、いざとなると死ぬのが怖くなった。ふっと笑いが漏れる。

「坊ちゃん?」

「…この世界で生きる価値もないくせに、生きたいと思っている自分が可笑しくて」

「馬鹿なことを仰らないでください」

ルドルフが殺気立つ。ひゅっと息を呑む。知っている。この威圧感を、僕は知っている。

「っ!ご、ごめんなさいっ!」

すぐに謝ってぎゅっと目を瞑る。このあと拳が飛んでくるのだ。もう慣れた。

けれど、この人は僕に視線を合わせ、僕の肩に手を添えた。

「そのように身構えなくともよろしいのです、坊ちゃん」

とても、悲しそうな顔をしていた。

「生きる価値がないなどと仰らないでください。貴方は、価値のある人間です。私はただそれを、お伝えしたかっただけなのです」

納得できない。僕にそんな価値があるとは、思えない。

「分からなくとも良いのです。少なくとも私にとっては、貴方は価値のあるお方です。ですから二度と、生きる価値がないと思ってはいけません」

「ごめんなさい…」

今度は自然と口から漏れた。ルドルフの顔を見ていると罪悪感が湧いてきたから。

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