第2話 出稽古

俺は元日本チャンピオンであった木ノ下丈の経営するボクシングジムに通い始めた。

彼のジムは出来たばかりであり、練習生は一人もいなかった。


だが、悪くはない。


表通りから外れており駅からも遠い、立地としては最悪の場所ではあるが、それゆえに静かである。それが俺には心地よかった。


サンドバッグを殴るだけでは飽きるだろうと、ジョー会長がミット打ちを提案してくれた。

ミット打ちは会長が両手に付けたミットにパンチを打ちこんでいく練習方法だ。ボクシングの基本となるパンチであるストレート、フック、アッパーを会長の構えたミットに打ち込む。


顔とボディに次々に構えられるミットにコンビネーションでパンチを打つ。パンチの重さよりも上下に打ち分けて相手に当てることを意識する練習だ。


手加減してるとはいえ、俺の拳は鉄よりも硬いので会長の手が心配になる。


「おら、手加減せずに打ってこい!」


会長も頑固な性格をしている。

俺は顔の前に構えられたミットにノーモーションで左右のワンツーを叩き込み更に踏み込み次のパンチを放つ準備をする。しかし、先のワンツーの破壊力に跳ね飛ばされたミットが次の目標を指し示すことは無く─


「今日はこれでお終いだ」


─トレーニングは終了となった。

ジョー会長は自分の手の平を見つめ少し考えた後、俺に言った



「明日は知り合いのジムに出稽古だ」



翌日


俺は、聖拳ジムという場所にいた。

かなり大きなボクシングジムで、ジョー会長の知り合いがいるらしかった。


「ご無沙汰しています、松岡さん」


会長が松岡さんという人に頭を下げている。


「久しぶりだな、ジョー。新しいジムは上手くいっているか?」


かなり親しい間柄のようだ。

松岡さんは40を越えたぐらいだろうか、白髪が少しだけ見え始めているが身体はがっしりと鍛えられており、年齢の衰えなど感じさせない風貌であった。


「まだまだ全然です。練習生が一人いるだけですよ」

「お前は昔から計画性が無いからなぁ、あの試合の前だって─」


二人の雑談は続く、俺はトレーニングウェアに着替えながら横で話を聞いていた。

どうやら松岡さんはジョー会長の元トレーナーだそうだ。


「こいつはウチの練習生で、伴と言います」

「なかなか良い体つきだな」


松岡さんは俺の身体を見ながらそう言う。


年齢としは?」

「16歳です」


何故かジョー会長が答えた。

俺は14歳なんだが。


「プロ志望か?」

「そうです」


俺は何も言ってないが。

話がどんどんと進んでいく。



「なら、ちょうど同い年で良いのが居る、若林!」


ウス、という言葉と共に丸刈りの男が現れる。


「この子とちょっと手合わせしてやれ」


ウス、という返事をしながら若林という男は俺をリングの方に連れて行く。



「スパーリング、3R、ウス」


スパーリング、つまり軽めの試合のようなものか。

俺は了解した、と返事をしてグローブとヘッドギアを付け、リングへ上がった。


──────────────────


若林という男は俺から見ればごく普通の人間だった。


スピードもパワーもジョー会長よりも遥かに低い。だがボクシングの経験はそれなりに長いのだろう、基本に忠実で合理的な攻めをしてきた。


ワンツーで上に注意を向けておいて左ボディ、右フックと対角線で攻めてくる。俺は身体の位置をずらすことでボディブローの威力を殺し、フックは頭を下げる事で回避した。


俺は1Rは様子見として手を出さないと決めていたので好きに打たせる。

そしてその全てのパンチを寸前で躱していく。


真剣での斬り合いに比べればなんてことはない。

じゃ剣どころか魔法が飛んできたからな。

そんな背中に目でも付いていなければ回避できないであろう攻撃を、直感で回避してきたのだ。

目で見えているなら避けられないはずもない。


1Rが終わった後に、どちらが優勢であるかは明らかであった。

一度もパンチを出していないのに汗すらかいていないヴァンに対し、あらゆるパンチのコンビネーションを繰り出すが当てられず、肩で息をしている若林。



1分の休憩の後、2Rが始まる。


開始わずか数秒、たった一発の左ジャブで若林はマットに沈んだのであった。

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