異世界から転生した勇者はボクシングがお好き

ちょこちょこっとチョコ

第1話 はじまり?

俺の名前は伴勇一朗(ばんゆういちろう)、何を隠そう元勇者だ。

いや、頭がおかしくなったわけではない。俺には前世の記憶があるのだ。

今は地球の日本という国のごく普通の人間として生まれ変わったが、元々は異なる世界で魔王軍と戦っていた勇者なのだ。


「ついに、やったねヴァン!」

「本当に魔王を倒すなんて、大した奴だよお前は」

「ありがとうございます勇者様、これで世界は救われますわ」


盗賊のアリッサ、戦士のタリア、聖女のアリシア


懐かしいな。

今でも夢に出てくるかつての仲間たち。

しかしその夢の続きは、


「うっ、ぐはっ・・・」


魔王を討伐した俺は傷つき、地面に横たえた身体を起こそうとするが・・・


「ゴホッ・・・」


血だ。地面に大量の血が吐き出される。

どうやら魔王から受けた傷は勇者の肉体をもってしても耐えることは出来なかったようで、明らかに致命傷だ。


「アリシア!ヒールを!!」


仲間の声が聞こえる。だが俺の意識はだんだんと霧がかかるように薄れて行き、その短い生涯を閉じた。


 完


いや、終わらなかった。


死んだはずの俺だが気が付くと真っ白い空間におり、女神さまと会う事になったんだ。

そこで言われたことが、


「転生ですか」


女神さまによると、魔王討伐の報酬として他の世界限定だが生まれ変わり、平和な人生を送る事が出来るらしい。


俺はずっと勇者として育てられ、戦い続けていたので平和な人生というものが想像できないのだが・・・。


「転生特典ですか」


特典もあるらしい。一つだけだが勇者としての能力を持って行けるそうだ。

ただし最終奥義とかはダメだそうだ。確かに、一つの町が吹き飛ぶぐらいの威力があるからな。危険すぎる物はダメ、と。


「じゃあ俺が持っていく能力は・・・」


無難に『』かな。


─────────────────────


こうして現代の日本に転生した俺はごく普通の家庭の赤ん坊として生まれ、今はごく普通の中学生として生活を送っている。


趣味と言えるのは身体を鍛えるぐらいで、勉強もそこそこ、スポーツも目立たぬようそこそこの成績に抑えている。


ごく普通の平和な生活、確かにそれはかつて俺が願ったものだ。

魔王軍に蹂躙されたあの世界の中では最も贅沢な願い。

だが、いざそれが手に入ったにもかかわらず、それが俺を幸せにすることは無かった。


俺はいつものようにごく普通の生活をこなしていく。学校から帰る途中に目に入る映画のPVも、流行りの音楽も、俺の心には響かない。


退屈。そうだこれは退屈というのか。

この平和な世界に俺の居場所なんてない、ふとそんな考えがよぎる。


色褪せた街並み、色褪せた世界を歩く伴。


そこに彼の身体の芯まで響く、ドシンとした音が聞こえてきた。

一体なんだと顔をそちらに向ける。


そこには一軒のボクシングジムが建っていた。


初めてだった、この世界に来て初めて興味を惹かれる音。

ドシンドシンとリズミカルに物を打つ音、それに興味を惹かれ、窓から覗いてみる。


そこに居たのは20代半ばぐらいだろうか、両手にグローブを付けた男が一心不乱にサンドバッグを打っていた。


へぇ。良い動きだな。上半身を柔らかく使いながら連打を打ち込んでいるが、注目するべきは足捌きだ。まるで生きた人間の攻撃を予測しているように軽快なステップを踏み続けている。


面白そうだ。自然と笑みがこぼれる。


俺が夢中になって男のトレーニングを観察していると、ふと目が合った。

さすがに見すぎたか。

少し焦った伴に掛けられた言葉は


「おい、坊主。やってみるか?」


男からの誘いの言葉だった。


「やる」


初めて見つけた遊びなんだ、断るのはもったいない。

伴は即答していた。


ジムに入った伴はグローブもつけずにサンドバッグの前で構える。


構えるとは言ってもボクシングではない。

軽く腰を落とし、両手は胸の前にだらりと垂れさせる、ごく自然体の構え。


「おいおい、基本がなっちゃいないな」


男のからかうような言葉。

耳に入らない。


今はこのおもちゃを思い切りぶん殴る。それが俺にとって、もっと心躍る遊びだ。


シッ


短い呼吸音とともにまずは左。スタンスはオーソドックスだが変則的に構えられた左手はその空間を直線的に走り、バッグに着弾する。


ボグン


左手に返ってくる感触は重い。拳に威力が乗っている証拠だ。


素早く一歩踏み込み、右。


ガシャん


今度は軽い。バッグが吹き飛んで揺れている。

全力で打つのは良くないな。


ならばと足を使ってみる。


先程、男が見せたように相手が反撃してくる事を想定したステップだ。


左右に素早く身体を移動させる。実際に対戦相手がいるように相手の足の外を取る。

頭を振る。相手のパンチが来ることが見えているかのようにギリギリで躱していく。

左、右、左、右と躱しながら拳を叩き込む。


その度にサンドバッグは揺れる。まるで激流にさらされる笹船のように。

軋む。吊り下げられたバッグの上部から、まるで鳴き声のように鎖の音が軋む。


興が乗ったのか、更に速度は増していく。

左右だった動きが直角に変わる。


左に動いていたのが、左からさらに前に動く。二段階のステップとは思えないほどに滑らかだ。

着地の繋ぎ目がほとんど見えない。

もし対戦相手が居たら瞬間移動したと思えるかもしれない。


近づいて左右のショートパンチ。

ボディへの連打だ。素早いシフトウェイトで近い距離も関わらず、体重の乗った左右の拳が突き刺さる。


だが足は止めない。打ちながらバッグをぐるりと回り込む。ちょうど180度、バッグの裏側まで来た。


そろそろ良いか。

締めに入ろうと右拳を肩の高さまで上げる。

今から打ち込むのは本気の一撃。


伴勇一朗ではなく異世界で生きた男ヴァンとして。


その力を解き放つ。


・・・はずだった。


「ちょ、ちょっと待ってくれ」


この男の声が無ければ。


「壊れちまうだろうが!」


ああ、そうか。確かに最初に分かっていたはずだ。本気を出しては壊れてしまうと。


「お前の拳が」


違った。

全く違う心配をされていた。


先程までの高揚感が去っていき、ヴァンは構えを解く。


「はい、すいませんでした」


とりあえず頭を下げておく。


「お前、名前は?」

「ヴァン。いえ、伴勇一朗です」

「伴勇一朗ね。高校生か?」


学生服を着ている事から学生だという事は分かったのだろう。


「中学二年生です」


驚いていた。まあ身体は鍛えてるからね。背もクラスじゃ一番デカいし。


「お前、ウチに通え。俺が全部面倒見てやるから」


また男に誘われた。

信用して良いかわからない。


「こう見えても元チャンピオンなんだぜ?日本のだけど」


それが元日本チャンプ、木ノ下丈との初めての出会いだった。

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