34 夜と水泳

「うわぁ……暗くて、恐いですの……」


 サラは、2階の階段を手探りで下りながら、つぶやく。


「ふわぁ……サラさん、眠いので、早くしてください」


 アリアは、あくびをした後、サラにそう言った。

 どうやら、アリアは、部屋に帰って、早く寝たいようである。


「急かさないでくださいまし! 階段から落ちたら、ケガをしますの!」


 サラは、小声で抗議をする。

 アリアは、手探りで階段を下りているサラの後ろをついていっていた。


 数十秒後、サラとアリアは、1階に到着する。


「本当に暗くて、なにも見えませんの……」


 サラは、1階の壁を頼りに進みながら、つぶやく。


(たしかに、なにも見えないな)


 アリアは、サラの気配を頼りに進んでいる。

 宿屋の1階は、2階と違い、窓がなかったため、暗闇が辺りを包んでいた。

 歩くこと、数分間。


「あ、アリア! トイレって、たしか、ここら辺でしたわよね?」


 曲がり角に差しかかると、サラは、ビビりながら、アリアに確認をする。


(あれ? こんなにトイレまで歩いたかな?)


 アリアは、違和感がしていた。

 記憶だと、こんなに歩いた覚えはなかった。


(まぁ、暗くて距離と方向の感覚が狂っているんだろう)


 アリアは、そう結論づけると、サラに声をかける。


「そうですね。トイレの前に曲がり角があった気がするので、ここら辺だと思います」


「良かったですわ!」


 サラはそう言うと、曲がり角を曲がる。

 アリアも、サラの後ろをついていく。


「あっ! 多分、トイレはあそこですの!」


 曲がり角を曲がったサラは、前方を指差す。

 暗くて、サラの様子はよく分からなかったが、アリアは、とりあえず、前方を確認した。

 たしかに、前方にある部屋の扉の隙間から、明かりが漏れている様子を確認できる。


 サラは、急いで、駆けだす。

 よほど、トイレがしたかったようである。


(うん? なんか、違和感がするぞ? 私の記憶だと、トイレは曲がり角の近くにあったハズ)


 アリアは、自分の記憶を確かめた。

 違和感がしたため、アリアは、サラをとめようと口を開こうとする。

 だが、サラは、明かりが漏れている部屋に入ってしまった。


 ギギと金属音がした後、部屋の扉が閉まり、暗闇に舞い戻る。


(は? ギギ? トイレは鉄製の扉じゃなく、木製だったハズだぞ! いよいよ、おかしいな!)


 アリアがそんなことを思っていると、『キャアアア』という悲鳴が鉄製の扉越しに小さく聞こえてきた。


「サラさん!」


 アリアはそう叫ぶと、駆け出す。

 暗闇の中、転びそうになりながら、鉄製の扉の前に到着した。

 力をこめて、急いで、扉の取ってを引っぱる。


 ギギという音とともに、重厚な鉄製の扉が開く。

 扉を開いたすぐそばには、泡を吹いて倒れているサラがいた。

 どうやら、粗相はしていないようである。


 すぐそばには、しゃがみこんで、サラの様子を確認しているカレンがいる。

 カレンの全身は、血まみれであった。


(……凄く嫌な予感がするな)


 状況を確認したアリアは、そう思った。


「アリア様ですか?」


 カレンは、アリアに気づいたのか、顔を上げる。


「すいません、カレンさん。サラさんがトイレと間違えてしまったみたいで……」


 アリアは、カレンから目を離さずに、そう言った。


「そうですか。ただ、あれを見て、気を失ってしまったみたいですね」


 カレンはそう言うと、部屋の奥のほうを指差す。


(うわ! やめて、カレンさん! 絶対、見てはいけない気がする!)


 アリアは、そんなことを思いながら、チラリと部屋の奥を確認する。

 そこには、人であっただろう物体がイスに縛りつけられていた。

 真っ赤になっており、なにがなんだか、よく分からない状態である。


「うわあああ!」


 あまりの凄惨さに、アリアは、腰を抜かしてしまう。

 戦場で死体を見慣れていたアリアでも、直視に耐えるものではなかった。


「まぁ、たしかに、見ていて気持ち良いものではありませんね」


 カレンはそう言うと、部屋の奥に歩いていく。

 イスの近くに来ると、カレンは口を開いた。


「なかなか、エンバニア帝国の皇帝は人望があるようですね。大体の人は、前菜で、口を割ります。ですが、この人はフルコースを味わって、やっと口を割りました。おかげで、時間がかかってしまいましたよ」


 カレンはそう言うと、イスの近くにある机に手をつく。

 アリアは、腰を抜かした状態で、机のほうに目を向けてしまう。


(うわぁ! なんか、血まみれの器具と指が置いてある!)


 ロウソクに照らされた机を見たアリアは、後悔をした。

 アリアが、腰を抜かしてしまい動けないでいると、後ろから影が近づく。


「悲鳴が聞こえたから、来てみれば……大丈夫ですか、アリアさん?」


 声の主は、燭台を持ちながら、片手でアリアの体を持ち上げ、なんとか立たせる。

 アリアは、声の主にもたれかかりながら、立つことができた。


「ステラさんですか……すいません、腰が抜けてしまいまして……」


 ステラにもたれかかっているアリアは、申し訳なさそうな声で、そう言った。


「まぁ、しょうがないですよ。あれを見たら、慣れてない人は、驚くと思いますし」


 ステラはそう言うと、部屋の奥に目を向ける。

 すぐに、目を離すと、倒れているサラのほうを向く。


「お嬢様方、とりあえず、サラ様を部屋へ運んでください。私が運んでも良いのですが、血がつくと嫌だと思いますので」


 カレンは、サラに近づくと、そう言った。


「アリアさん、いけそうですか?」


「はい。多分、大丈夫です」


 アリアは、ステラにもたれかかるのをやめ、自力で立つ。


「それでは、この燭台を持って、前を歩いてください。私は、サラさんを運びますので」


 ステラはそう言うと、アリアに燭台を渡し、サラを担いだ。

 アリアは、ステラがサラを担いだことを確認すると、2階の部屋へ向けて、歩き始めた。


(はぁ……死ぬとしても、あんなになって、死ぬのだけは嫌だな……)


 アリアは、そんなことを思いながら、1階の通路を歩いていた。

 歩くたびに、ギシギシと床が軋む音が聞こえる。

 アリアの案内で、2階の部屋の中に入ったステラは、ベッドの上にサラを寝かせる。


 布でサラの口元をふいてキレイにした後、ステラは、布を棚に置き、ベッドに寝転がった。

 アリアは、燭台の上にあるロウソクを吹き消し、棚におくと、ベッドの上に横になる。

 暗闇の中、沈黙が流れていた。


「……ステラさんは、ああいうのに慣れているのですか?」


 アリアは、ステラに質問をする。


「慣れているといえば、慣れていますかね。私の家の仕事柄、ああいうのを見ることがありますので。嫌でも、慣れましたよ」


「そうなんですか……ステラさんは、ハリントン家の仕事、嫌じゃないんですか?」


「昔は、嫌でしょうがなかったですけど、やっているうちに慣れてしまいました。まぁ、やらないに越したことはありませんけどね。軍人も似たようなものじゃないですか? 人を殺して、なにかを守るという点では、一緒だと思いますけど」


「そうですね。やらなければ、自分の大事なものがなくなるかもしれません。人によって、大事なものは違うと思いますけど、戦わないと守れないのはハッキリしていると思います」


「生きるのは、まさに戦いですね……ふわぁ、眠くなってきたので、寝ませんか? 水泳の訓練をするのに、寝不足はいけませんよ。この話は、また、今度にしましょう」


「分かりました。おやすみなさい、ステラさん」


「おやすみなさい、アリアさん」


 ステラはそう言うと、すぐにスースーと寝息を立てていた。


(生きるのは、戦いか……)


 アリアは、軍に入ってからのことを思いだしていると、いつの間にか、寝てしまっていた。






 ――次の日の朝。


 アリアとステラとサラは、宿屋の1階で、朝食を食べていた。

 カレンはというと、判明したスオットの流入経路を潰すために、いろいろと動いているようである。


「昨日の夜は散々でしたわ! 海で溺れるわ、拷問された人を見てしまうわで、本当に、最悪でしたの!」


 サラは、昼食をムシャムシャと食べていた。

 朝一番にサラは起き、トイレに行ったため、スッキリとした顔をしている。


「たしかに、昨日の夜は、シャレにならないことが、多かったですね!」


 一晩寝て、気持ちを切り替えていたアリアは、朝食を元気よく、食べていた。


(一晩寝たら、気持ちが落ちついていて、本当に良かった。昨日のままの状態を引きずっていたら、水泳の訓練なんて、できないからな)


 アリアは、そんなことを思いながら、朝食を食べるのに、集中をする。


「お二人とも、元気そうで良かったです。昨日は、刺激的なことが多すぎましたからね」


 ステラは、サラとアリアが昨日のことに引きずられていないと分かり、安心をした。


 三人は、朝食を食べ終えると、カレンが用意してくれた軍服と軍靴を身につけて、海に向かった。

 今日も、昨日と同様に、太陽の光を反射した海はキレイである。


「お! お前たち! 水泳の練習か!」


 三人が砂浜に到着して、準備運動をしていると、フェイがやってきた。

 近衛騎士団は、昨日に引き続き、砂浜で訓練をしているようである。


「はいですの!」


「はい! 水泳の練習です!」


 サラとアリアは、元気よく、返事をした。


「そうか! だけど、いきなり、軍服と軍靴を身につけて、水泳の練習をするのは、厳しくないか?」


 フェイは、疑問を口にする。

 まともに、泳げないのに、最初から、軍服と軍靴を身にまとって、練習するのは、効率が悪そうであると考えているようであった。


「軍にいて、泳ぐ機会があるとすれば、戦いのときくらいです。そのとき、武器などを身につけて泳ぐと考えられます。それの練習も兼ねて、軍服と軍靴を身につけて、練習してもらおうと思いまして」


 ステラは、フェイの疑問に答える。


「まぁ、お前たちが、それで良いと言うなら、私から言うことはない! そうだな……これも、なにかの縁であると思うから、私も水泳を教えてやろう!」


「それは、嬉しいですけど、近衛騎士団の訓練は大丈夫なんですか?」


 フェイの申し出を聞いたステラは、質問をした。


「大丈夫だ! 私の他にも、訓練を見れるやつはいるからな! それじゃ、団長に許可を取ってくる!」


 フェイはそう言うと、訓練を見ているミハイルの下に走っていく。

 その間、三人は、準備運動を入念に行っていた。

 三人の準備運動が終わる頃に、フェイは戻ってきた。


 そのそばには、鉄でできた大量の重りが入った袋を持っているバールがいた。


「団長に許可を取ってきた! ついでに、バールにも水泳の練習に参加してもらうことになったから、よろしく!」


「よろしくな」


 フェイとバールはそう言うと、波打ち際に、歩いていく。

 三人も、波打ち際へ向かう。


「それじゃ、アリアとサラは、私の指示に従え! ステラは、バールに立ち泳ぎを教えてもらうこと! 三人とも、分かったか?」


「はいですの!」


「分かりました!」


「了解です」


 三人は返事をすると、それぞれ、ステラとバールの下に分かれた。

 すると、すぐに水泳の訓練が始まる。

 ステラは、バールの監督下、重りを持って、立ち泳ぎをしていた。


 アリアとサラは、フェイについていき、体の半分が海に浸かるところまで、移動していた。


「とりあえず、お前たちは、水に対する恐怖心をなくす必要がある! 今から、10秒間、水に顔面をつけろ!」


 フェイがそう言うと、アリアとサラは返事をして、顔を海面に沈ませる。


「よし! 1、2、3……」


 フェイは、二人がしっかりと海面に顔をつけたことを確認すると、数え始めた。


「ぷふぁ!」


「ふぅ~!」


 アリアとサラは、4秒も経たないうちに、顔を上げてしまう。


「おい! お前たち! 顔を上げるのが早すぎる!」


 フェイはそう言うと、アリアとサラの首をつかみ、強引に海の中に顔を沈める。


「ぶぶっぶぶぶぶぶ!」


「ふんぶぶぶぶはぶ!」


 二人は、手足をばたつかせて、なんとか顔を上げようとした。

 だが、フェイの力が強かったため、海面の上に顔を上げることができない。


「まったく、これでは、先が思いやられるな……」


 フェイは、二人を沈めたまま、ボソッとつぶやく。


 それから、フェイによる水泳のスパルタ教育は、モートン家の屋敷に帰る日まで続いた。

 アリアとサラは、そのおかげで、半ば強制的に泳げるようになった。


 ただ、二人は、レイテルに着いた当初とは違い、帰る頃には、見たくもないほど、海を嫌いになってしまっていた。

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