第5話 凍てつく霧

「お前、喧嘩慣れしてやがるな。だが」


 再び、右腕が巨大化する。


「人に魔法を撃ったことはねぇみたいだな!」


 距離を詰めに来た黒野を前に身構えると、間合いに踏みこまれる寸前に巨大化していた腕が元に戻る。フェイント。右腕に意識を向けさせられた。

 繰り出されるのは巨大化した右脚による回し蹴り。

 食らうわけにはいかない。

 咄嗟に跳び上がるも、それが間違いだったと知る。

 回し蹴りもフェイント。右脚はすでに元のサイズに戻り、代わりに右腕が再度巨大化する。空中に逃れて足場を失った以上、ここから回避行動には移れない。


「いい的だぜ!」


 身の丈ほどある巨大な拳が打ち出され、一瞬にして目と鼻の先まで迫る。

 これを捌く手段は一つだけ。

 両手を組み合わせて握り締め、攻撃が着弾する寸前、その巨大化した拳に向けて全力で振り下ろす。これで黒野の攻撃を撃墜できるとは思ってない。俺の狙いはこの拳を足場にすること。

 両手を振り下ろした反動で自分の体が舞い上がる。

 黒野の攻撃は自身の真下を通り抜け、俺は近くの建物の屋根に着地した。


「てめぇ! 下りてこい!」


 深呼吸をして気持ちを落ち着かせて地上に目を落とす。

 先ほど瓦礫の巻き添えを食った観客がヤブ医者の病院に運ばれていくのが見えた。

 まぁ、獣人は回復が早いし、大丈夫だろ。


「しっかし」


 黒野の言うことは当たっている。

 俺は人に向けて魔法を使ったことがない。

 鳴海との戦闘訓練は何時だってステゴロだったし、魔法の練習相手はいつだって的だった。それだって児童養護施設の職員に見付からないようこっそりと短時間だけ。

 後天的に魔法を獲得する人間と違って、獣人の魔法は先天的なもの。

 だから獣人は常に法律で魔法の使用を禁止または制限されている。

 そんな事情があって戦闘に魔法を組み込む方法を知らないままここまできた。


「アキちゃん!」


 地上から声が聞こえて琴音のほうに目を向ける。


「今日アキちゃんがなにをしたか思い出して! 楽勝でしょ!」

「……そうだな」


 俺は今日。


「レッスン1か」


 たかが喧嘩になにを臆していたんだか。

 建物の屋根から飛び降りて地に足を付け、黒野の正面へ。


「やっと下りて来やがったな。俺に恐れを成したかと思ったぜ、腰抜け野郎が」

「そのセリフは俺に一発でも当ててから言ったらどうだ? はなたれ小僧」

「んだとッ! テメェ!」


 鼻血を流したまま黒野は魔法を使い、もう幾度目かになる右腕の巨大化を行った。

 振り抜けられた拳の軌道を見極め、紙一重で躱して巨体の懐へ踏み込み、握り締めた拳の一撃をその胴体に見舞う。だが、拳を介して骨まで響く衝撃は、とても人体を殴ったようなものではなかった。


「残念だったな。俺の魔法は――」

「知ってるよ」


 黒野の右腕は元のサイズに戻り、胴体だけが歪に膨張している。

 魔法の正体は巨大化か、もしくは強化。

 自己対象で効果を発揮できるのは一箇所だけ。両腕両足と言った複数部位を同時には不可能。そうでなければ一々巨大化の解除を挟んでいる理由にならない。


「慣れないことはしない」


 魔法を発動。


「お前は的だ。ぶっ放す!」


 霧のように白んだ冷気を身に纏い、腕を介して放つ。

 それは瞬く間に黒野の体表を駆け巡り、凍結させる。


氷霧ひょうむって言うんだ。聞こえちゃいないだろうけどな」


 白い息を吐いて拳を離す。

 黒野は物言わぬ氷像となって佇んでいた。


「アキちゃーん!」


 一息吐いていると、琴音のダイブを食らう。

 華奢な体付きをしているから倒れることはなかったが、受け止めた琴音をぐるりと振り回すようにして衝撃を和らげた。


「あはは! アキちゃん勝っちゃった! 負けると思ってたのに!」

「なのに背中を押したのか?」

「そだよ。とりあえず魔法をブッパ出来るようになればそれでいいかなって。でも凄いよ、倒しちゃった! あはは!」


 思えば、当たり前のことだけど、琴音とも出会ってまだ一時間と経っていない。

 人間を凌駕する身体能力を持ち合わせているとわかっていても、すべての獣人が戦闘をこなせるわけじゃない。人を殺していても、戦えるとは限らない。

 その上で、か。


「くっ……はははっ!」


 勝利の余韻と琴音の思惑を知った衝撃、その二つが綯い交ぜになって、何故だか笑いが込み上げてきた。なんでだろうな、今日一日、いや今夜だけで色々あり過ぎて可笑しくなったのかも知れない。


「おーい、誰か猛輝の奴を運んでやってくれ」


 野次馬の歓声の中、氷漬けになった黒野が病院に運ばれていく。

 全身の凍傷に加えて顔面打撲。獣人の回復力があれば全治一週間ってところか。

 黒野より瓦礫の巻き添えを食った野次馬のほうが重傷そうだ。


「レッスン1はこれで完了。レッスン2をお楽しみにー」


 と、琴音が何かに向かって言葉を投げる。

 そちらに視線を向けるとカメラを搭載したドローンが飛んでいた。


「あれは?」

「私の配信機材だよ。いーでしょ? 高いんだよ、あれ」

「……もしかして配信してたのか? 今の」

「うん!」


 うん、って。


「大盛り上がりだったよ、投げ銭も結構飛んでた」

「大丈夫なのか? 俺、たぶん明日には指名手配犯なんだが」

「だいじょーぶ。一応、ダークウェブで配信してるから見付かり難いし、見付かったところで簡単に踏み込んでなんか来ないから。警察も私ら全員を一遍に相手したくないでしょ?」

「考えて見ればそうだな……」


 一斉検挙となると血が流れるのは避けられない。

 警察のほうも慎重になるし、俺がここにいると知られても簡単には手出しができないのか。

 今の俺にとってはありがたい状況だけど、つい先ほどまでの俺にとってはとんでもない状況だ。犯罪者が野放しとはな。


「よぉし、配信終了。ほら行こ? 街案内の続き!」

「あ、あぁ」


 勝利の余韻も未だに続く中、手を引かれて再び街案内に繰り出した。

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