第2話 猫の獣人
彼女は猫の獣人だった。
派手なメイクに、露出度の高い服装。
歳は同じか、一つか二つ下くらい。
不敵な笑みを浮かべる少女は、ずいとこちらに近づいた。
「血の匂いがする」
反射的に一歩後退って、それからようやく自分が返り血を浴びていたことを思い出す。
頬を拭うと乾いた血がパラパラと落ちた。
「あは。その感じ、殺しは初めてでしょ」
「……なんでわかるんだ?」
「私にも経験があるから」
この先には獣人コミュニティがある。獣人の中でも特に犯罪者が集う場所だ。
善良な獣人ならまず近づかない。同類と見做されてしまうからだ。
それを恐れず、血塗れの男に平気で声を掛けてくるこの少女は、たぶん獣人コミュニティの住人なんだろう。
「ねぇ、人を殺した瞬間、どう思った? 私はねぇ、とっても気持ちよかった! キミは?」
彼女の問いかけに思考を巡らせるまでもなく、その答えは出ていた。
あの時、引き金を引いてからその余韻がまだ続いている。
それの名前も知っている。
でも、それは、口にするのは憚られるもの。
常識的に、人として、それは感情として思ってはいけないものだった。
だけど、彼女の吸い込まれるような瞳の前ではすべてを見透かされているようで、吐いて当然で然るべき嘘を、どうしても吐くことが俺には出来なかった。
「――引き金を引いた時」
「うん」
「なにかから……解放されたみたいだった」
「あはっ! いいじゃん」
首に手を回されて体重を掛けられる。
思わず前に出した足で体を支えると、少女は俺にぶら下がった。
「私、狼ちゃんのこと気に入った」
「今ので?」
「そ。でも、まだ足りないかなー。見た感じ、まだファーストバレットってところでしょ」
「ファースト、なに?」
「ファーストバレット。獣人のスラングだよ。やむを得ない状況で引き金を引いて殺しちゃうこと」
「……たしかに、そうかもな」
あの時はああするしかなかったんだ。
他にいい方法があったのかも知れないが、冷静では居られなかったあの局面で、鳴海の将来を潰さないためにはああするしか方法が思い浮かばなかった。
その選択肢に躊躇する自分もいなかったしな。
「だからまだキミはまだ引き返せると思ってる、心の奥底でね。人を撃ち殺したくせに」
その言葉が深々と自分の胸の奥底に突き刺さったのを感じた。
覚悟は決めたはずだった。その上であの時、引き金を引いたはずだ。
でも、それでも、俺はどこか現実から目を逸らしていたんだと思う。いつか全てが元通りになるんじゃないか、とか、そんな漠然とした根拠のない希望を未だに捨てきれずにいる。
この期に及んでもに及んでもまだ俺は、自分がしでかしたことがはっきりと理解できていないらしい。
俺自身より俺のことを見抜かれている。
すべてが見透かされているようだった。
「いいこと思いついた」
ぱっと花が咲いたように、彼女の表情がいたずらっ子のようになる。
「セカンドバレット」
「二発目?」
「そ。必要に迫られなくても、やむを得なくなくても、自分の意思で、殺意で、引き金を引くの。それがセカンドバレット」
明確な自分だけの殺意で人を殺す。
「私が思い知らせてあげる。もう後戻りなんて出来ないし、元の生活になんて戻れない。長生きなんて以ての外。私たちみたいな悪党はいつか正義の味方に倒されるのがオチ。だから、それまでの短い人生を目一杯楽しまなきゃ」
ぐっと顔が近くなって額同士が触れる。
「私がキミに二発目の弾丸を撃たせてみせる」
この目だ。
艶めかしい狂気を孕んだこの目から逃れられない。
視線が茨のように絡みついてくる。
心地良いとさえ、思ってしまう。
「それが出来ればきっとずっと楽しいよ。いつか来る終わりの日までね」
首に掛かっていた体重が解け、彼女は自分の足で立つ。
「行こっか、狼ちゃん。案内したげる。余所者が一人で歩いてちゃなにかと問題が起こっちゃうからねぇ。ここは」
「一つ、聞きたいんだけど」
「なぁに?」
「気に入ったって、どこが?」
彼女はまた不適な笑みを浮かべる。
「だって、とっても綺麗だったんだもん。月の光で真っ白な髪の毛が光ってるのに体中血塗れ。だからこう思ったの、この真っ白な狼ちゃんを堕としてみたいなって」
それはきっと恋愛的な意味ではない。
自分で言うのもなんだけど、綺麗なものを穢したいとか、神聖なものを堕落させたいとか、そう言った背徳的な感情からくるもの。
あの瞬間、引き金を引いた瞬間、俺の人生は大きく逸れてしまった。これから俺が辿る道の先に彼女はいる。
先達の導きで堕とされる、落ちるところまで。
それも悪くないかもな。
「あ、そうだ。狼ちゃん名前は? 私は
「
「三峯……あー、だから狼ちゃんなんだ」
「ん?」
「なんでもなーい。ほら、こっちこっち」
今度は不敵でもなんでもなく、子供のように笑って、琴音はその場から跳んだ。
対面の建物の屋根へ。
手招きに誘われるように、俺も足下の屋根を蹴った。
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