闇落ちした神狼の獣人はダークウェブで超絶人気の犯罪系インフルエンサーに溺愛される

黒井カラス

第1話 日常の終わり

 鎌を振るうように空を切った蹴りは、しかし空振りに終わった。


「うおっと」


 地を這うような鳴海なるみの足払いを受けて軸足が宙に浮く。

 重力に引かれてそのまま地面と激突する前に手を伸ばし、五指をグラウンドに突き立てる。地面を掴み、そこを起点に身を捻って更に、再び蹴りを見舞う。

 今度の蹴りはたしかにヒットし、差し込まれた腕の盾ごと鳴海を吹き飛ばした。


「流石だね、彰人あきと

「きっちりガード入れてたくせによく言う」


 地面に足をついて人本来の正位置につく。


「戦闘訓練は終わりか?」

「あぁ、もう十分。それに今日は――」

「彰人にーちゃん!」


 聞き慣れた幼い声と共に軽い衝撃がケツに。

 視線を後ろにやると後頭部から生えた一対の小さな翼が目に付く。

 翔太しょうたが俺の白い尻尾に抱きついていた。


「よう、どうした。今日、迎えがくるんだろ?」

「うん。そうだけど」


 ぎゅっと抱き締めたまま毛並みに顔を埋めている。

 くすぐったい。


「寂しいんだよ、翔太は。今日でお別れだからさ」

「不安な気持ちはわかるけどな、翔太」


 頭を撫でてやって自分の膝を折って地面につける。


「里親が見付かるってのはいいことなんだぞ。俺たちを見て見ろ、売れ残りだ」

「そうだね。僕たちもあと数ヶ月でこの孤児院から卒業しなくちゃいけない歳になっちゃったよ」

「そのくらい見付からないもんなんだよ、獣人の子ってのはさ。ラッキーだぞ、ホントに」

「でも……」

「大丈夫だ。きっとここにいるよりずっと幸せになれる。それに今生の別れ――あー、もう二度と会えなくなるって訳じゃないんだ。寂しくなったら会いに行ってやるよ」

「ホント? ホントに来てくれる?」

「あぁ、約束だ」


 小指を立てて差し出すと、翔太は笑顔になって自分の小指を絡ませた。


「よし、じゃあこいつをやろう」

「わぁ! パトカーだ! やった!」


 餞別の品としてなにかないかと探していたところ、見付けたのがこれだった。

 ガチャポンの景品だけど、よろこんでくれたみたいでなにより。


「おい、翔太。迎えが来たぞ。早くしろ」


 グラウンドにまで出てきた職員の声がする。

 いつもどこか不機嫌そうで、気怠そうなそれは施設長のものだ。

 相変わらずでっぷり太ってるな。


「ほら、新しい家族が来たぞ。行ってこい」

「うん! 行ってきます!」


 力強い返事と共に翔太はグラウンドを駆けていく。


「彰人はまだ決まってないの? ここを卒業したあとのこと」

「最近はうだうだそのことばっかり考えてる。けど、名案は浮かばないな」

「だから僕と一緒に警察学校に行こうって言ったのに」

「獣人差別の見本市みたいなところに通えって?」

「最近はマシになったって聞いたけど」

「狐野郎とか、お稲荷さんはいかが? とか、絶対言われるぞ。鳴海、狐の獣人なんだし」

「ははー、じゃあ彰人の場合は狼野郎か」

「もしくは狼男――人狼かもな」

「かっこいいじゃん」

「よくねーよ」


 今、翔太が大きく手を振って迎えの車に乗り込んだ。

 その様子を眺めつつ手を振り替えして、新しい人生の旅立ちを見送った。


「どうするの? 本当に」

「さぁな。鳴海みたいに夢のために頑張るって柄でもないし、とりあえず日雇いの肉体労働でもやるさ。獣人の身体能力なら引っ張りだこだ、どれだけ嫌われてようとな。じゃなきゃ獣人コミュニティにでも入るさ」

「あそこは犯罪者だらけだよ。もし本当に入るなら僕たちは敵同士だね」

「その時はよろしく頼むよ」


 ふざけたように冗談で将来の不安を誤魔化してグラウンドを後にする。

 人間の両親に捨てられて今日まで過ごしてきたこの児童養護施設での日々もあと数ヶ月。あとたったそれだけで俺のいつも通りの日常が終わってしまう。

 そのことに言い知れぬ寂しさを憶えて、俺も翔太のことは言えなかったみたいだ。

 けれど、その時がくるまではこの当たり前じゃない日常を噛み締めよう。

 そう決めた日の夜のことだった。

 爆ぜるような音がすべてを終わらせたのは。


「なん、だよ……これ」


 目の前の光景が信じられなかった。

 施設長が倒れている。毎日使っている施設長室でだ。

 腹部には風穴が空いていて衣服は赤く汚れ、今朝掃除したばかりの床には血の海が広がっている。


「なにがあったんだ、鳴海」


 鳴海の手には拳銃が握られていた。

 銃口から立ち上る硝煙がちょうど掻き消える。


「彰人……こいつは悪党だよ」


 鳴海はこちらに視線を寄越さない。

 ただまだ息のある施設長を眺めている。


「そこにリストがある」

「リスト?」


 ようやく動いた視線の先に紙切れが一枚。

 拾い上げて見ると、それはたしかにリストだった。

 名前が羅列されている。

 それもすべて見知った名前だ。


赤崎美咲あかざきみさき米川勝よねかわまさる羽尾翔太はねおしょうた……みんな里親に引き取られていった」

「そうだよ。でも、そうじゃなかった」


 下を向いていた銃口が再び施設長に向かう。


「みんなこいつが売ったんだ!」


 再び引き金に指を駆けた鳴海の手を掴む。

 弾丸の軌道は逸れて銃弾は側の本棚を撃ち抜いた。

 鳴海の息は荒く、目は見開き、正気じゃない。


「止めないでよ、彰人。僕はもう――」

「た、助けてくれ……」


 絞り出したような声は施設長のもの。

 まだ話が出来るくらいの命の残量は残っているみたいだ。

 でも、この出血量じゃもう。


「ご、誤解なんだ。お前たちは誤解している」

「誤解? 誤解だって? なら、どうしてこんなものを持っているんだ!」


 俺の手を振り払って、再び鳴海は銃口を施設長に向ける。


「ぼ、防犯のためだ。お、お前たちになにかあった時のために――」

「いいや、違う。これは僕たちに向けるためのものだ。自分の悪事がバレた時のための! 獣人が一人いなくなったところで誰も気にしない。死体の処理もブローカーに頼めば簡単だ」

「ち、違う。お、俺は」

「なら納得させてみろ! この銃を下ろさせてみろ!」


 リストはまだ数ページ分ある。床に散らばる資料を見るに、恐らくこの人身売買が始まったのは数年前。理由はわからないが、売られているのは年少の子たちばかりだから、俺たちは対象外だったのかも知れない。

 いや、そんなことはどうだっていい。

 これだけの数の子供たちが、どこかへ売られていった。それを裏付ける資料が床には山ほど散らばっている。

 目的は労働力か、それとも臓器か。あるいは、考えたくもないことか。


「……今朝、見送ったんだぞ。翔太を、今より幸せになれるって」


 俺は、なんてことを。


「もういい、うんざりだ。殺してや――」

「待て、鳴海」

「彰人! どうして止めるんだ!」

「お前には将来があるだろ」


 鳴海の手から拳銃を奪う。


「俺にはなにもない」


 だから、これは俺の役目だ。


「や、やめろ! よせ!」


 引き金を引く。

 施設長の叫びを掻き消すように銃声が鳴り、銃口が火を噴いて弾丸が放たれる。

 それは狂いなく額を撃ち抜き、生命活動を今度こそ終わらせる。

 腕に響いた反動は、人の命を奪ったにしては途轍もなく軽いものだった。


「いいか、鳴海。一発目を撃ったのは俺だ」

「あ、彰人? いったいなにを言って」

「二発目を撃ったのも俺だ」

「まさか罪を被るつもりか!?」

「俺が人身売買に気付いた。殺されそうになったから銃を奪って撃った」

「待ってくれ! ダメだ、そんなことを! 彰人を犠牲にして僕だけ罪から逃れるなんて、そんなの!」

「子供たちを頼む。夢を叶えて立派な警察官になれよ、鳴海」


 二度の銃声を聞いて、ようやく開けっ放しの扉の前に職員が現れる。

 目の前には施設長の死体、俺の手には拳銃。

 この状況を見ればなにが起こったかは一目瞭然だ。

 俺がやったように見せかけられる。


「こ、これは……彰人、なんてことを!」


 これで捕まれば――いや、それで鳴海の気が変わるかも知れない。

 駆けつけた警察官に連行される俺を見て、牢屋にいる俺を思って、良心の呵責から抱いた夢をかなぐり捨てて自白することだってあり得る。

 鳴海はそう言う奴だ。

 鳴海の良心の呵責を制御するためには、今ここで俺が捕まる訳にはいかない。

 逃げてどうにかなる問題とも思えないけど、少なくとも牢屋に入るよりはずっとマシな状況にはできる。

 今はただ逃げて、鳴海の前から姿を消すしかない。

 もう後戻りは出来ないのだと、鳴海が覚悟を決めてくれることを祈ろう。


「じゃあな」


 血溜まりを踏みつけて赤い飛沫が散る。

 その細かな雫が壁や資料に飛び散る刹那の間に、この部屋の窓を打ち破って部屋から脱出した。転がるようにグラウンドに出て、そこから更に獣人の脚力を持って高く跳躍。隣家の屋根に飛び乗り、俺たちの家だった孤児院を見下ろした。


「まだ先だと思ってたんだけどな、さよならは」


 グラウンドに職員が出てくる前に、屋根を蹴って更に跳ぶ。

 行き先には心当たりがある。

 獣人コミュニティ。犯罪者たちが集う場所。

 今の俺にはぴったりだ。


「たしか、この辺りだっけ」


 屋根の上に立って眺めた先に獣人コミュニティが形成されている。

 見た目は廃墟街だけど、ちらほらと明かりが付いているので人はいるはず。

 受け入れてもらえるか? 受け入れられたとして上手くやっていけるのか?

 そう廃墟街を見据えながら思案していると。


「はぁい、狼ちゃん。こんなところでなにしてるの?」


 ふと、後ろから少女の声がした。



――――――――――


 

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