第2話:シカ娘! ギルティブービー!

 結論から言うと、俺はアホの子を買った。

 オーナーはこのセレニアン族の少女のことをアホだのなんだの言うが、やつの部下も大概だ。

 どうやらエルフ族だと思って攫ってきたらしい。

 確かに遠目から見るとエルフ族にも見えなくはないのは分かる。それなりに整った容姿に長い耳。いや、はっきり言えば芋っぽさはあるが美人だと言えよう。

 けれども大きな違いは彼女の目だ。

 偶蹄目らしい楕円の瞳をしている。

 だと言うのに、奴隷商人の部下どもはコイツを攫ってきたらしい。

 アウグス銅貨五枚の出費で済んだのは幸運……だったのだろうか。ついでにライカン族も買っておけばよかった気がしてきた。

「なあ、お前。どこに行くの?」

「どこって、コロシアムだ。とりあえず面倒なことは今日のうちに、だ。剣闘士の登録と、俺も剣闘士主ラニスタの登録をせにゃならんからな」

「そか。アタシお腹空いた」

「さっきコオロギ食べてたでしょ」

「足りない足りない! もっと食べる!」

 なんだコイツ。

 見た感じは十八歳そこそこだと言うのに、中身はまるで子どもじゃないか。不満はあるが、この子は貴重な虹枠の逸材だ。とりあえず、何か食わせておこうと思うが、セレニアン族って何を食うんだ。

「なあ、お前……」

「なんだ?」

「あー、飯は何がいい? あと、名前を教えてくれ」

「肉。名前──ない。」

「は?」

「肉、ダメか?」

「いやそっちじゃなくて名前がないってどういうことだ?」

「無いのは無い! お前、名前つける!」

「マジか……俺、ネーミングセンスねぇぞ?」

「???」

「分かった分かった。そんなに期待した目で見るなって……じゃあ──シカ……シカ……」

 セレニアンは鹿の獣人だろ?

 したらば、鹿子……バンビ?

 あーもう、こういうのは苦手だ。

 そもそも、俺の確定演出看破だってそれっぽい名前で呼んでるだけで別に正式名称でもないだろうし……。

 ああダメだ。

 俺に名付けを頼んだこと恨むんじゃないぞ、シカ娘。

「じゃあ、シカリーナ」

「!!!」

「……ダメか?」

「アタシ、シカリーナ! シカリーナ!」

「あっ、おい待てバカ!」

 シカリーナさん(仮)は脱兎のごとく街中を走っていってしまう。一応、首輪つけてたよな、あいつ。本当になんなんだよ。店で好き勝手やってた時も、今にしてもそうだが首輪が反応していない。もしかして、首輪がぶっ壊れてんじゃなかろうか。

「だああもう! あのバカの子!」

 俺はシカリーナが走り去った方向へと走り出した。しばらく走ると、シカリーナは嬉しそうに飛び跳ねながら「アタシシカリーナ!」なんて道行く人々に勝手に自己紹介してやがる。

 やめろ、やめるんだシカリーナ。

 俺のネーミングセンス皆無の名前を大っぴらな場所で叫ぶんじゃない。あとおっさんを走らせてはいけない。もう何年も全力で走っていないのだから……。

「……ぜぇ……はぁ、おい、シ、シカリーナ?」

「あ、お前!」

「おい、一応は剣闘士主ラニスタの俺をお前呼びするんじゃありません……ぜぇ、ぜぇ」

「お前はお前?」

「あー、そういうことか。お前、ルーマン語はあんまりわかんない感じか」

 シカリーナはこくこくと勢いよく何度も頷いている。うむ、元気があってよろしい。どうやら意思疎通が難しいほどの知能ではないようだ。上手くコミュニケーションが取れなかったのは言語の問題だったらしい。

 確か、セレニアン族のほとんどが今は北方に住んでたんだったか。とりあえず、俺はルーマン語から苦心して覚えたノーディシア語で話しかけてみることにした。

Dörja,お前vetta hannaこの言葉なら språket?分かるか?

「!?」

Dörja,おーい、 vetta hanna hӧ̈rs?聞こえてるか?

Ja,はい、fӧ̈rstår jag.というかマスターVett ni att Masterはノーディシア語を kunde Nӧ̈rdisia 喋れたんですね?språket?」

 なんだコイツ。

 普通に会話が通じるじゃないか。

 安心しかけたが俺はふとさっきの光景を思い出す。そう、ひょいと目の前でコオロギを口の中に放り込んで美味そうに食べていたシカリーナの姿をだ。

『なあ、シカリーナよ。お前、コオロギ好きなのか?』

『別に好きじゃないですよ。食べられるから食べてただけですけど』

『そんなに食い物に困ってたのか……』

『いえ、そこに食べられそうなものがあったので』

 この子、なに登山家みたいなことを言っちゃってるんだよ。そこに山があるからみたいな。

『奴隷商のとこでは飯が少なかったとか?』

『いえ、別に。あそこにいればご飯は三食ちゃんと出てきますし、困ってないですね』

『じゃあ何故虫を食う!?』

『えっ、食べないんですか?』

『普通は食べません』

『でも、森だといつご飯にありつけるか分からないので食べられる時に食べるべきだと学びました!』

『学んだ……? 親とか仲間からか?』

『いえ、私はずっとひとりでした。たまに旅人が来たりしてますけど……あっ、その時にルーマン語も少し教えてもらったんですよ!』

『そっか、辛かったな……』

『マスター!?』

 ほろりと涙がこぼれてしまう。

 なんと言うか、三十を過ぎた頃からだろうか。なんだか涙脆くなってきた気がする。昔は泣けなかったフランダースの何某でも今ならきっと泣けるだろうな。

『俺はマーリンだ。お前の主ではあるが、好きに呼んでくれ』

Tu, Merlin.お前、マーリン! Io sono Shikalina!アタシシカリーナ Ricordato!覚えた!

「よし、いい子だ。飯、食いに行くか」

「肉! アタシ肉好き!」

「なぁ、セレニアン族って普通に肉食うもんなのか? 木の実とかじゃなくて?」

「木の実お腹膨れない! 肉しか勝たん!」

「なんだそりゃ、お前そんな言葉どこで覚えた?」

「旅人いつも言ってた、肉しか勝たん!」

「本当にお前、鹿か?」

「鹿違う! セレニアン!」

 何とかシカリーナの現状が理解出来て俺は安心していた。まるで、見た目は大人、頭脳は子どもの逆名探偵みたいな感じだ。もし、俺も普通に結婚して子供がいたからこんな感じだったのだろうか。

 さっきまでバカの子だと思っていたが、そうではないようだ。主な言語はノーディシア語で、ルーマン帝国より北の国の言葉だ。ノーディシア語での意思疎通は問題無し。ルーマン語は多少と言った感じだが一応はバイリンガルだ。

 オーナーは知性がなんて言っていたが、これは大当たりなのではないだろうか。虫を食う理由も分かったし、そんなものを食わなくてもいいように俺がちゃんと飯を用意してやればいい。

 ペットなんかと違う一人の人間の世話をするんだ。

 俺は尻ポケットからウイスキーの小瓶を取り出すと、道端に座って物ごいしてる浮浪者にくれてやった。次は、髭でもそるとするかな。

 そんなことを考えながら俺は行きつけの酒場へと向かう。

 コロッセオから一番近くの酒場で、ステーキが上手いんだ。シカリーナも肉をご所望だし、個人的に一番上手い肉を食わせてやろうじゃないか。


「あ、マーリンさん、こんにちは!」

 店に入るなり、看板娘のビアンカが元気よく迎えてくれる。何がとは言わないが、俺は断然ビアンカ派だ。何とは言わないがな。

 残念ながら、看板娘のビアンカは金髪じゃなくて赤毛だし、ナイスバディでもない。どちらかと言うと──やめておこう。そばかす美人なのは間違いないんだ。

「よう、ビアンカ。ステーキを二人前──いや、四人前焼いてくれるか?」

「はーい、あとはエールですか? ウイスキーですか?」

「あー、その……酒は……やめた。体に悪い」

 俺の言葉にビアンカは目をまん丸にして驚いている。それもそのはずだ。ルーマン帝国に来てから俺が酒を欠かさなかった日はない。そんな俺が酒を辞めるだなんてそりゃ驚くはずだ。

 ビアンカの視線が俺の後ろで隠れるように身を潜めているシカリーナへと向かう。一瞬固まるが何やら納得したような表情になった。

「やっぱり、あの噂は本当だったんですね?」

「噂って?」

 カウンターの席に座りながら俺は問いかけた。どんな話が広がってるのか不安だ。ただでさえ評判がいいとは言い難いというのに……。

「マーリンさんが養女を迎えたって話です!」

「は? なんだそりゃ?」

「え? その子、違うんですか?」

「違う違う! どうしてそんな話になってるんだ!?」

「常連のお客様がマーリンさんが女の子を連れてたって言ってたんです。年の差もあるし、きっと養女だろうって」

「違う違う。こいつは俺の剣闘士だ。支配人に頼まれて剣闘士ラニスタデビューってわけだ」

「そうなんですか!? 万年無職の酒浸りギャンブル狂のマーリンさんが!?」

 おいおい、酷い言われようだ。

 事実ではあるが、もう少し手心というかなんというか……。それにしても、変な噂じゃなくて安心した。俺がシカリーナ誘拐しただの愛人にしただの変な噂じゃなくて良かった。

 ふと気になって俺は隣に座るシカリーナを横目で見る。妙に静かなのはそれで何をしているか分からなくて恐ろしいものがある。だが、彼女はカウンターの奥で焼けるステーキ肉をじーっと見ているだけだった。

「はいよ、ステーキ四人前お待ちどう!」

 それからしばらくして、酒場の大将がステーキを運んできた。急に店も混み出して、ビアンカはバタバタと忙しそうにしていた。

 俺は焼きあがった肉の香りを肺いっぱいに吸い込む。

 そうそう、これだよこれ。

 働かずに食う肉は最高だ。

 奢ってもらう焼肉が美味いと言うのに似た感覚だ。

 別に肉質が特別いいわけではないし、転移前の世界の日本で食った和牛の方が忘れられない。それでも、焼き方が上手いのだろうか、それともソースなのか。

 とにかく、俺のお気に入りだ。

「お前──ますた、これ熱い?」

『ああ、鉄板に気をつけて、ナイフとフォークで食うんだ』

 優雅にカトラリーを手にすると俺はお手本と言わんばかりに肉を切って口へと放り込む。サシなんてない赤みだが、この肉々しさがたまらない。その上、柔らかい。

 シカリーナと言うと、カトラリーを手に四苦八苦している様子だ。まあ、仕方ないと言えば仕方ないだろう。アホな奴隷商人にさらわれるまで森で文明とは遠い生活をしていたんだ。どうせならその旅人さんとやらもシカリーナに食器の使い方を教えてくれてれば良かったのにな。

 ああ、ほら、もう諦めて手づかみで食べている。

 それもそれでいいかと思ったが、次の瞬間俺は食事の手が止まった。

「ギルティだ……」

「ますた、何?」

「何じゃない。ものを噛む時は口を閉じなさい。みっともないぞ?」

「???」

 手づかみで食べようとも、カウンターの上を汚しながら食べようともどうでもいい。俺が許せないのは──クチャラーだ。見た目だけは美少女のシカリーナが口の中を見せながらくちゃくちゃと音を立てながら食べる様はみっともない。

「シカリーナ?」

「ますた、お肉美味し!」

「そりゃ良かった。Lyssna du さっきの話は聞いてたか?på vad jag sa förut?」

『何がですか?』

『ものを噛む時は口を閉じなさい』

『なんでですか?』

『あのなあ、みっともないだろう?』

『私にはわかんないです』

『そっか……とにかく、口を閉じて──』

 どうやら聞く気はないようで、シカリーナは相変わらずくちゃくちゃと音を出しながら食べる。ならば致し方ない、どれだけみっともないか見せてやろうと俺もシカリーナの如く音を気にせずに食べて見せた。

 すると、シカリーナは食事の手を止めてポカーンとして俺の方を見ている。どうやら分かってくれたようだ。わかったよな、分かっててくれ。

「ますた」

「どうした?」

「ますた、汚いです」

 思わぬシカリーナの言葉に俺の口元がひきつるのを感じた。侮蔑するような目を俺に向けるんじゃない、シカリーナ。だが、我慢するんだ、俺。年下相手にムキになるんじゃない。

 ほら、落ち着け。

 なんだったか……ヒッヒッフーだったか?

 たが、次のシカリーナの言葉で俺は限界を迎えていた。

「口閉じて、食べて、ますた」

「お前が言うなっつーの!!!」


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