第40話 「程度の低い輩と一緒にしないでいただきたいっ!!!」
【ミスティア姫視点】
――――は?
クゾォーリ侯爵がほざ――いえ、口にしたあまりにもバカバカしい発言に、私はしばし言葉を失ってしまいました。
確かに私は王国の至宝と呼んでも何ら差し支えないほどの美女だと自負していますが、まさか侯爵ともあろう者が、私に……え、え、えっちなことをしたいがために、王女誘拐などという大それた犯罪に手を染めるとは、思いも寄らないことでした。
この方、頭は大丈夫でしょうか?
控えめに言っても正気ではありません。
「そ、そんなことをして、いったい何になるというのですか……?」
王家の力が弱まった現在の情勢においても、下手をすれば家も領地も失いかねない愚行の代価が私の身一つ……正確に言えば、それ以外にも思惑はあるようですが……というのは、如何にも吊り合いが取れません。
思わず問う私に、侯爵はキリリと真面目な表情を作ると、答えました。
「殿下、儂には……儂のことを嫌い、嫌悪感を抱く、そんな女性に儂の子を産ませたいという性癖があるのですよ」
「…………」
何でしょう? この度しがたい生き物は。あなたのおぞましい性癖の話など聞きたくないのですけれど?
一刻も早く死んでほしいと切に思います。
しかし、あまりにも醜悪で下劣で自己中心的な性癖です。そして侯爵の性癖を聞いて、もしや……と思い至り、私は激しい怒りを覚えました。
嫌がる女性……ですって? そんなの全人類の半分はそうじゃないですか!!
つまり!
「まさか、侯爵、あなたは……っ!! 自らの領主という立場を利用して、自領の女性たちを毒牙にかけているのではないでしょうね!?」
だとすれば、同じ女性として、到底許すことはできない所業です。
ですが、次の瞬間、返ってきたのは激しい否定でした。
「――殿下は何にも分かっていなぁああああああいっっっ!!!!」
「――――は?」
「立場の弱い領民の女どもを無理矢理手篭めにして、いったい何が楽しいのですかっ!? 望めば簡単に手に入る花を手折ることで得られる達成感など皆無っ!! 儂をそんな程度の低い輩と一緒にしないでいただきたいっ!!!」
何を、言っているのでしょう?
同じ人間でも、会話が成り立たない存在もいるのだと、私は痛烈に理解しました。
「儂が求めるのは、普通ならば手折ることもできないような高嶺の花のみ!! つまり! 立場ある高貴な貴族女性を心身ともに屈服させることこそが至高!! 時には権力で、時には財力で! 儂からは決して逃げられないと理解させ勝ち気だった表情が諦めと絶望に染まっていく!! その過程を重視してこそ! 達成感と支配欲は満たされ! 真なる絶頂へと至ることができるのですっっっ!!!!!!」
「侯爵、お願いですから今すぐ死んでください。存在が汚物よりも汚いです」
「んふぅっ!? 鋭すぎる言葉のナイフが心を抉るぅっ!! ですが、それそれぇっ!! まさにそれですぞ殿下!! 儂は殿下のその高飛車な表情を諦めと絶望に変えたいのですっ!!」
いえ、今の表情は高飛車ではなく純粋な殺意です。
「その点! 殿下は王女という、まさに高嶺中の高嶺の花!! 儂の性癖とこれ以上ないほど合致しているッ!!」
最悪です。
「いつかは絶対に儂の手で殿下を孕ませてみせると妄想しながらも! その立場のせいで手を出しあぐねていた存在!! だが運命の女神は儂を見捨てなかった! 伝説の氷炎竜の出現によって、王家の力がかつてないほど弱まるという絶好の好機!! この機会を逃してなるものかと儂は勇気を振り絞り! 行動を起こしたのですっ!!」
本当にお恨みしますわ、運命の女神様。
「さあっ!! やりますぞぉっ!! まずはやってやってやりまくりますぞぉっ!! 殿下……いや、これから夫婦になるのですからなぁ。ここは親愛を込めて、ミスティと呼ばせていただきましょう。さあ、儂の可愛いミスティ……!! 今から儂と、愛の結晶を作ろうぞ……!! げひゅげひゅげひゅっ!!」
「くっ……!?」
私は必死で身を捩り、手首に縄が食い込むのも構わず拘束を外そうともがきます。杖がなくても使える【身体強化】を発動できれば良いのですが、薬の影響か、体内の魔力が乱れているせいで、それもままなりません。
このままでは私の貞操が大ピンチです。こんな醜悪な糞ジジイに私の純潔が奪われるなど、到底耐えられそうにありません。
ですが、どれだけ足掻いても拘束を解くことはできませんでした。
万事休す、なのでしょうか……!?
――いえっ!! まだ、諦めるわけにはいきませんっ!!
私はこういう未来を迎えるのが嫌で、必死に努力してきたのですから!!
一縷の望みにかけ、あるいは最悪の結末を迎えるのを少しでも遅らせるべく、私は口を開きました。
「侯爵! 聞いてください!」
「ぐふふ……っ!! 時間稼ぎのおつもりですかな? 無駄なことを。ですがまあ、この無駄な時間も良きスパイスになるというものです。よろしい。お聞きしましょう」
「あなたと結婚するのは、絶対に無理です!!」
「ほう? なぜですかな? 陛下がお許しにならないという理由なら、言わなくて結構ですぞ。結婚など、儂の目的と比べれば些末なことですからなぁ」
「いえ、そういうことではありません! 単にあなたが気持ち悪いので結婚できないという意味です! あまりにもおぞましすぎます! 生理的に無理というか、もはや存在自体が無理です! あなたと比べれば道端に落ちている馬の糞の方がまだ愛おしいですわ!! あなたに触れられるくらいなら、私は死を選びますっ!!」
「ぐふぅん……っ!! とんでもない罵倒……っ!?」
「お願いですから一度鏡をご覧になってください! いえ、やはりそれは少し言いすぎでした。ごめんなさい。あなたの気持ち悪さは外見以上にその内面が大部分を占めていますからね……。おそらく、絶世の美形に生まれ変わったとしても内面が気持ち悪すぎて好意を抱くことは不可能でしょう……」
「ふぅううん……っ!! 人格全否定……っ!!」
「あ、それとこれは本題とは関係ないのですが、侯爵にお願いがあるのです。あなたと同じ部屋で呼吸をしているのが気持ち悪いので、息を止めていただけますか……? できれば姿も見たくないので、即刻この部屋から出ていくか、そこの窓から飛び降りていただけると大変に助かりますわ」
「ぐほぉおん……っ!! 申し訳なさそうな顔して言うことが鬼畜……っ!!」
「あ! そうです! あなたと結婚するというのなら、一つだけ条件を飲んでもらえれば考えないこともありません!」
「ほ、ほう……? 何ですかな、その条件というのは……?」
「それはとても簡単です。あなたが今すぐ死んでくれるだけで良いのです」
「うぼぉるぁ……っ!? 条件を出しておきながら考えるとしか言っていない上に条件が外道……っ!! この王女、心が強すぎるぅ……っ!!」
ずしゃあっ――と、侯爵がその場に崩れ落ちるように、膝を突きました。
これはもしや……やったのでは?
私の口撃で、侯爵の心をへし折ることに成功したのでは……?
私に閨教育を施した侍女が言っていたのです。実は男性はとても心が繊細な方が多く、その、男性の、あの……アレも、心の状態と密接に繋がっていると。
そのため、意に沿わぬ行為を強要されそうになった時には、男性の心をボキボキにへし折ればそれどころではなくなるかもしれない……と。
膝を突いた侯爵の様子を見るに、侍女、アンネリーゼの言うことは本当だったのだと確信しました……!!
――いえ。
そう、一縷の希望が見えたと思った時でした。
「げ、げひょ、げひょ、げひょ……!!」
気持ち悪い笑い声を発しながら、侯爵がふらりと立ち上がったのです。
「んほぉおおおおおおおおおおおおおおっっっ!!!!!! 良いですぞぅっ!! 大変に良いですぞぅっ!!!」
本当に勘弁してもらいたいくらい気持ち悪い顔で、侯爵は笑います。
「普通の男ならば耐えきれないほどの圧倒的口撃……っ!! 実にお見事! 儂も変態でなければ耐えられなかったところです……!!」
くっ、変態……!! 何てことでしょう……!!
「ですが! 残念でしたなぁっ!! 今の口撃も儂にとっては殿下を屈服させる未来を想像させるスパイスにしかなりません……っ!! むしろ儂の興奮を高めただけでしたなぁっ!?」
私の選択は、変態相手には間違っていたというのでしょうか……!?
「おかげで儂の性剣エクスカリバーも暴発寸前ですぞ……っ!! ああもう辛抱ならんっ!! 行きますぞ! 殿下ぁっ!!」
「い、いやぁああああああああああああああっっ!!?」
侯爵は叫び、次の瞬間――、
「ふんふんふんふんふんふんふんふんっ!! ふんはっふんっふんふんふんふんふんふんふんふんんんっっ!!!!!」
高速で――――反復横跳びを始めたのです!!
ぶるんぶるんっと全身の贅肉を激しく揺らしながら、【身体強化】でも使っているのでしょうか、残像が見えそうなほどの速さで見せつけるように、反復横跳びを続ける侯爵。
意味が、意味が分かりませんっ!!
「いやぁあああああっ!!? 怖い……っ、意味が分からなすぎて怖いよぉおおおおおおおおっ!!!」
「ふはははははははははっ!! そうら、殿下、そうらまだまだ行きますぞおおおおおおおっ!!? ふんふんふんふんふんふんふんふんふんんんんっっ!!!」
なんでぇ……!? なんで反復横跳びするのぉ……!?
意味が分からなくて怖いよぉ……!! 反復横跳び怖いよぉ……!!
いやぁあああ……っ!! 反復横跳び嫌ぁあああ……っ!!
私は侯爵の奇行に、ただただ体を震わせることしかできませんでした。
これほどの恐怖を感じたのは、初めての経験です。
こんな事と比べるのもどうかと思いますが、ギルガ様と出会った時よりも強い恐怖を感じてしまいます……っ!!
しかし、その恐怖もやがて、新たな恐怖に塗り替えられるのです。
「ふんふんふんふんふんふんんんっっ!!! ……ふぅうー……っ!! ……さぁて、ご覧の通り、準備運動も終わりましたのでな。そろそろ殿下には観念していただき、二人の愛の営みを、始めましょうか……?」
「ひっ」
ようやく反復横跳びを止めた侯爵の全身には、大量の汗が滲んでいます。ヌラヌラと光って、おぞましさが天元突破しています……!!
その侯爵がじりじりと私の方へ近づいてきて――私は、覚悟を決めました。
どうやら逃げることも、場を切り抜けることも叶わなかったようです。ですが、このようなおぞましき人物に純潔を散らされることなど、私の魂が耐えられそうにありません。
ですから……私は、自分の死を選ぶことを、覚悟しました。
舌を噛み切れば死ねるという俗説がありますが、本当に死ねるかは分かりません。ですが拘束されている今、私にはその手段しか残されてはいませんでした。
だから、私は自分の舌をそっと歯で挟み、一気に噛み千切――――ろうとして。
――ドォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオンンンっっっ!!!!!
と。
凄まじい轟音と共に、都市が揺れました。
え? いったい、何が……?
そう思ったのは、どうやら私だけではなかったようです。
「なっ、何事だぁっ!!? いよいよこれからという時にっ!!」
侯爵は身を翻し、窓の方に駆け寄ります。そして――、
「むうっ!? あちらの方角は……東門? 東門で何かあった……いや!? まさか……っ!! あそこには奴らを確実に始末すべく、500の兵を完全武装で配置していたのだぞ……!? 報告が確かならば、我が領に侵入してきた生き残りは6人だったはず……さすがにあり得んだろ!? いや、しかしっ、オ・アールゼットでは100人の兵が敗れたというし、まさかまさか……っ!!」
侯爵は窓の外を睨みつけ、ぶつぶつと独り言を呟き始めます。そして何やら、部屋の外も騒がしくなり始め――程なくして、コンコンコンッ! と、素早くこの部屋のドアがノックされました。
「――入れ!!」
「失礼いたします、旦那様!!」
入って来たのは、上級使用人らしき壮年の男性でした。
彼は一瞬、ベッドに縛られている私の方を見ましたが、すぐに気まずそうに目を逸らし、侯爵に報告を始めます。
「旦那様! オワタが何者かに襲撃されています!」
「ええいっ、そんなことはさっきの音で分かっておるわ!! 誰が何人で攻めて来たのかが重要なのだろうがっ!?」
「申し訳ありません。今のところ襲撃者の正体は不明です! しかし、城壁上で歩哨に立っていた兵士によりますと、東門で巨大な爆発が起こり、これに伴い東門が消滅したとのこと!」
「は、はああっ!? 東門が消滅!? 何だそれは!?」
「残念ながら、言葉通りの意味です。爆発によって東門は木っ端微塵に吹き飛んだものと」
「へ、兵士どもはどうした!? あそこには500の兵士どもを配置していたはずだ!!」
「……爆発後、東門付近で戦闘が起きている様子はなかったそうです。それどころか、兵士たちが逃げていく姿を確認しております」
「ば、ば、バカな……!? クソっ! 使えんゴミどもめぇ……っ!!」
「旦那様、襲撃者は確実にオワタに侵入を果たしているものと思われます。そしてあのような規格外の爆発魔術を行使する相手です。もしも相手が城への侵入を目的としていた場合――」
と、男性使用人はまた私をちらりと見ました。
「侵入を阻止できない可能性があります。旦那様、しばらくの間、避難された方がよろしいかと」
「う、うむむ……っ!! クソぉ……っ!! 儂の熱く滾ったエクスカリバーの活躍を邪魔しおってぇ……っ!!」
「旦那様、今は」
「うるさいっ!! 分かっておるわっ!! 地下の通路から城下町に……いや待て!」
「どうされました?」
侯爵は表情を焦燥から、何か楽しいことを思いついたというように一変させ、にやりと笑いました。
「げひゅげひゅげひゅっ!! 冷静に考えてみれば、儂が下郎ども相手に避難する必要などない……!! ここにはゼロスとオワタ騎士団がおるのだからなぁ……!! 如何に強力な魔術師と言えど、魔人剣を持つゼロスとは相性が悪かろうて。件の魔術師さえ倒してしまえば、あとは雑魚よ。そして奴らの狙いも明白となれば、城まで侵入してきたとて、誘き出すのは容易いだろう」
「では?」
「ふんっ、知れたことよ! ゼロスと騎士団を集めて城内の訓練場に集めよ! そこで奴らを始末してやるわ!!」
と、侯爵は続いてこちらを向きました。
「あなたにもご同行願いますぞ、殿下」
「いったい、何が……」
先程の大爆発。そしてオワタへの侵入者。平時ではあり得ない500もの兵士たちを、東門に配置していたという、その理由。
何が起こっているのか、まるで理解できません。ですが、もしかしたら、という小さな希望が生まれるのを、止めることはできませんでした。
そしてその希望は、侯爵によって確信へと変えられ、同時に、絶望がもたらされるのです。
「げひゅげひゅげひゅっ!! あなた様を助けに、生き残りどもがやって来たのですよ。確か、あなたの護衛騎士だとかいう生意気な金髪の小娘もいましたなぁ? おお! そうだ! せっかくだからその小娘は殺さず、殿下の前で散々に嬲ってあげましょう! その時、殿下がどんな表情を浮かべるか、実に楽しみですなぁ……!!」
「くっ……この下衆が……っ!!」
アナベル、逃げてください……!!
私は乳姉妹が城に来てしまわないよう、ただ願いました。
どれほど強力な助っ人を連れて来たのかは分かりませんが、ゼピュロスは人族の魔術師が勝てるような相手ではないのですから。
それこそ、ゼピュロス以上に規格外な者でなければ……!!
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