第39話 「――――は?」

【ミスティア姫視点】



「ぅう……っ!! ……ここは……?」


 目が覚めると、見慣れない天井が視界に飛び込んで来ました。


 ぼんやりとした頭で、私はここが何処なのか、自分はいったいなぜこんなところにいるのかと記憶を探ります。


「――っ!? そうでした、私は……!!」


 キプロス山からの帰り道、ゼピュロス率いるならず者たちに襲われ、攫われてしまったことを思い出しました。


 ですが、それ以降の記憶がありません。ゼピュロスに意識を落とされてから、目覚めた記憶がないのです。


 ということは、ここはあの街道からそれほど離れていない場所なのでしょうか?


 ……いいえ。


 と、私は最初の推測を否定します。


 目覚めた今なお、私を襲う酷い倦怠感がその理由です。


 王族ともなれば、様々な「不測の事態」に遭遇することも警戒しなければなりません。そのため、このような「不測の事態」に関する様々な知識を学ぶ機会がありました。


 その中には、人攫いたちが好んで使う薬や魔術の知識もあるのです。


 体内の魔力が乱れていること。全身を襲う倦怠感。この二つの症状から、おそらく私は、薬と闇系統魔術を併用した術によって、今の今まで強制的に眠らされていたのだと推測できました。


 いったい私は、どれほどの時間眠らされていたのでしょうか?


「くっ……!! 両手が……!!」


 とにもかくにも、さらに詳しく状況を把握するため、寝かせられているベッドから起き上がろうとしましたが、すぐにそれは難しいと分かりました。


 私の両手は頭上で縛られ、そこから伸びる縄がベッドの支柱に結ばれているのです。


 さすがに一国の王女を攫っておいて、拘束もせず自由にしておくことはないようですね。


「んっ……!!」


 ならばと、今度は仰向けの姿勢から部屋の中を確認しようと、何とか顔を上げます。


 やはり部屋の中は見慣れない――というより、見覚えのない場所でした。貴人の自室らしく、私の寝ているベッドを含め、室内の調度品は一目で高価な物と分かる品々で揃えられています。そして――、


「はぇっ!?」


 室内を確認する際、私自身の体も視界に入り、思わず頓狂な声をあげてしまいました。


 今、私が身に着けている衣服が、意識を失う直前まで着ていた鎧や厚手の衣服とは、まるで異なっていたからです。


「な、何ですかこの服は……っ!?」


 それは下着が透けて見えるほどの、やたらスケスケで趣味の悪いネグリジェでした。


 無論のこと、私はこんな服に着替えた覚えはありません。


 着替えを侍女に手伝ってもらうことには慣れていますから、今さら裸を見られたり下着を着せ替えられたりしても何とも思いませんが……さすがにこんな物を勝手に着せられることには、羞恥と怒りと拒否感を覚えてしまいます。


 そして――身の危険も。


 私とて大人のレディです。知識だけですが、すでに閨教育は受けています。男性が女性に対して強い劣情を抱くあまり、合意を得ずに「そういう事」を強要する不届き者がいることも、教育係の侍女から教わりました。


 そして私は自分で言うのも何ですが、かなり魅力的な外見をしていると思います。はっきり言って、私に劣情を抱いた誰かが無理矢理に自分のものにしようと暴走しても、まったく不思議ではありません。


 つまり……今の私はとっても危険な状況にあるということです!!


 不安を必死に堪えながら、何とか手首の拘束を解けないかと試行錯誤してみます。ですがそれからさほどの時間もおかず、ガチャリと、この部屋のドアが開き、誰かが室内に入って来たのです。


「――っ!? 誰ですか!?」


「おお、すでにお目覚めでしたか、王女殿下」


「――っ!? あなたは……っ!!」


 私は顔を上げ、室内に入って来た人物に視線を向けました。


 その人物は……、


「――って、きゃぁあああああああああああああああああっっ!!? な、何て格好をしているのですか!?」


「げひゅひゅひゅっ! セクシーでございましょう?」


「気持ち悪いですっっ!!!!」


 それは50歳ほどの男性でした。


 さらに言うと、頭髪が薄くて、肥満体型で、顎にもお腹にも贅肉が垂れ下がっていて、全身が脂ぎって何だかヌラヌラしています。面に浮かべた笑みはネチョリとし、見られているだけで生理的嫌悪感を催します。


 そしてこれが一番度しがたいのですが、その男性はなぜか、腰に黒のブーメランパンツ1枚身に着けているだけの半裸でした。


 なぜそんな格好をしているのでしょう? 率直に言っておぞましいです!!


「あなたは……っ、クゾォーリ侯爵!!」


 そしてこのおぞましい人物の顔には、私も見覚えがありました。


 バッゾ・クゾォーリ侯爵。貴族派閥No.2の重鎮で、リーンフェルト領の西に領地を持つ領主です。


 ということは、今私がいるのはクゾォーリ領の領都オワタなのでしょうか?


「クゾォーリ侯爵、あなたが私を攫ったのですか……!? ゼピュロスと手を組んで!! いったい何のつもりです!! 早く私を解放しなさい!!」


「げひゅげひゅげひゅっ!! ゼピュロス? 知りませんなぁ、そんな奴は。どうやら殿下は混乱されておるようだ。よろしい! ならばここはこのクゾォーリめが、殿下の身に何が起こったか、教えてしんぜましょう!」


「しらばっくれるつもりですか!?」


「とんでもない。ただ事実をお教えするまでですよ」


 ニチャリ、とクゾォーリ侯は笑います。


 おそろしく気持ち悪いですが、拘束されている以上、話を聞く他ないようです。それに侯爵が何を言うのかを聞けば、それが愚にもつかない話だとしても、侯爵の目的が少しは見えてくることでしょう。


「殿下方はキプロス山からの帰還の道中、不運にも、盗賊どもに襲われてしまったのです」


「あなたがゼピュロスに命じたのでしょう!!」


 強い口調で問い質しますが、侯爵は余裕の笑みで首を振り、答えることなく話を続けます。


「お仲間の方々は哀れ賊どもに殺され、一人攫われた殿下……。そして殿下を連れた賊どもは、リーンフェルトから我がクゾォーリ領へと逃げてきたようですな。おお! もしや! 賊どもはリーンフェルトの人間なのかもしれませんなぁ!? これはこれは、いずれリーンフェルトの若造に責任を問う必要がありますな!」


「くっ……ふざけたことを……っ!!」


 自作自演の罪をリーンフェルト伯に擦り付けるつもりですか……!!


 ふざけるのは顔と体型と人格と品性と存在だけにしてくださいっ!!


「まあ、それは追々やっていくとして……殿下を連れて我が領地まで逃げてきた賊どもですが、ご安心ください! すでに全員、処分しております! ちょうど領内を見回っていた我が騎士団――騎士団長ゼピュロ……あいや、ゼロス率いるオワタ騎士団が偶然にも賊どもを発見! 即座に殲滅したという次第で……。そして賊どもを殲滅してみれば驚いたことに! 攫われた殿下を見つけたというわけです!!」


 ゼピュロスがゼロスという偽名を使っていることは分かりました。ゼピュロスが指名手配犯と知りながら、侯爵が配下にしていることも。そして――、


「そういう筋書きにするつもりなのですね……!!」


「げひゅげひゅげひゅっ……!! いや、ここからが重要ですぞ、殿下。我が騎士団によって助け出された殿下は、すぐにこの領都オワタに運ばれましたが、心身ともに酷く衰弱しておりましてな。しばらく、我が城にご滞在なさることにしたのです。そこで献身的に殿下をお支えする儂!! いつしか殿下はそんな儂に好意を抱き、それは恋愛感情へと変わっていくのです……!!」


「だっ、誰があなたのようなおぞましい人を好きになどなるものですかっ!!! あなたなんかより、まだオークの方が数倍マシなくらいですっ!!!」


 私は侯爵のあまりに酷い戯れ言に我慢できなくなって、思わず叫びました。


 私の剣幕に、侯爵も顔をひきつらせます。


「ん、んん~~~っ!! し、辛辣ぅ……っ!! で、ですが話は最後までお聞きになった方がよろしいですぞ? 何しろ殿下ご自身のことなのですからなぁ」


「くっ……!!」


「……よろしい。では、続けましょう。……えー、ごほんっ、そうそう! 儂と恋仲になった殿下は、オワタ城への滞在中、儂との子供を身籠るのです」



「――――は?(低い声)」



「愛する二人、同じ屋根の下での暮らし……当然、何も起こらないはずがなく……」



「――――は?(ドスの利いた声)」



「燃え盛る情欲の炎に身を任せ! 身を重ね合う二人!! いつしか殿下のお腹には新たな命が……!!」



「――――は?(殺意の籠った声)」



「そして愛し合う二人はっ!! 授かった新たな命を愛の証として、陛下に婚姻を願い出るのです……!!」



 ぶち殺すぞこのデブ……っ!!


 ――って、今は怒りに囚われている場合ではありません……!!


 冷静になって、何とかこの場を切り抜ける方法を探さなければ!


 そのためにはまず、侯爵の目論見を見抜かなければ話にもなりません。今の私は文字通り手も足も出ない状態。ならば、交渉によって切り抜ける他、道はありません……!!


「侯爵、私などを利用したところで、あなたにとって利は小さいはずです……!! 私は王位継承順位も低いですし、元々クゾォーリ侯爵家は王家から何度か降嫁があった家柄。今さら私を娶ったところで、あなたの立場が格段に強化されるような、こと、は……」


 と、そこで私は気づいてしまいました。


 本来ならばあり得ない戯れ言と一蹴するような話ですが、王女誘拐という大それた所業にも手を染めてしまっているのです。この異常事態において、あり得ないということがあり得ないのです。


「まさか……っ!! 侯爵、あなたは他の王族を排して、自らが玉座にでも就くおつもりですか!? いえ、あるいは口にするのもおぞましいですが、私か子供を玉座に就け、実権を握るつもりで……!?」


 もしもそうだとするなら、王位継承権の低い私に目をつけたのも納得です。私は自らの派閥を持ちませんし、後援する貴族も少ないから王族としては力のない存在なのです。それだけに傀儡にするには最適だとでも判断したのでしょう。


「ふふっ……!!」


 にやり、と侯爵が笑います。その笑みはこれまでのただただ気色の悪い笑みと違って、狡猾で悪辣な貴族家当主の笑みそのものです。


 侯爵は領主に相応しいだけの覇気を放ちながら、語り始めます。


「貴族派閥と言っても、一枚岩ではありませんでなぁ。このまま派閥第二位の地位に甘んじていては、コシャック侯爵家の小僧に美味しいところを持って行かれるのは必定。ならば、乾坤一擲の反撃に出るというのも面白いでしょう」


 コシャック侯爵というのは、貴族派閥の盟主です。


 つまり、クゾォーリ侯爵は派閥内での争いに勝利するため、私を攫ったということなのでしょう。傀儡となる私という御輿を手に入れてしまえば、派閥内でのパワーバランスが変わってもおかしくはありません。


 侯爵が他の王族をどのような手段で「排除」するつもりなのかは分かりませんが、可能か不可能かで言えば、今の情勢ならば可能と踏んだのでしょう……!!


 何ということですか……。


 私は私を含む王家の現状に、悲しさと哀れさを感じざるを得ません。


 なぜなら、王女誘拐という大事件においてすら、クゾォーリ侯爵やコシャック侯爵にとっては、王家など眼中にないからです。この者たちにとって、自らが次の「権力の頂点」に立つことは、もはや既定路線なのでしょう……。


「げひゅげひゅげひゅっ!! とまあ、これらは儂にとって、家臣や派閥の者たちを説得するための建前でしかありませんがのう」


「なん、ですって……!?」


 しかし突然、前言を翻した侯爵に、私は唖然とします。


 ならば、何が目的だというのでしょう?


「儂の真の目的……それは」


「それは……?」


 いったいどんな邪悪な目的を秘めているのでしょう?


 ごくりっと喉を鳴らして、侯爵の答えを待ちます。


 そして侯爵は、その答えを口にしたのです。











「儂の真の目的は…………殿下、あなたにえっちなことをすることですっっっ!!!!!」











「――――は?(汚物を見る視線)」



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