チューニング

@eightowo

チューニング

始まりは俺が発するCコードだ。

ゆっくりと始まる曲は間奏でアップテンポに変わり、そこから観客のテンションが一気にあがる。同時にステージ上の俺たちのテンションも上がり、場内はヒートアップしていく。ライブはやっぱり最高に楽しい。音楽をやっていてよかったと心から感じられる瞬間だ。


とはいっても俺は奏者ではない。

ギターそのものだ。

一か月ほど前ふと気付くと俺は誰なのかさっぱりわからないおじさんのギターになっていた。

おじさんは35歳らしいだろうか。普段は会社員をしていて土日には自分のバンドメンバーとスタジオに入って練習をしている。バンドでライブハウスにたまに出演することもあるようだ。高校で出会った友達と今でも趣味でバンド活動を続けている。野心はないが、ゆるく楽しく音楽を続けているおっとりとした性格のおじさんにこの一か月で俺は好感を持ち始めていた。

そもそも俺は高校二年生、高校では軽音学部に所属しておりギターを担当していた。

ギターを始めたのは小学校1年生のころで中学生になると作曲の真似事も始めていた。

今は8月が終わろうとしている頃。文化祭をまじかに控えている頃で、練習を怠るメンバーに喝を入れている時のことだった。その日はとても暑い日で近年たまにある40度越え。練習に熱中するあまり水分を取り忘れていたのかもしれない。目の前が真っ暗になった時やばい熱中症だと思った。目を開けると学校の保健室があると思っていた。


しかし目を開けた瞬間飛び込んできたのは、見知らぬ部屋でカップラーメンをすするおじさんの姿だった。おじさんは独身で小さなワンルームに住んでいる。部屋は物が多いがよく整理されていて、たまにバンドメンバーが訪れる。

おじさんはギタリストだが、実はあまりギターがうまくない。

高校生の俺がこんなことをいうのもおこがましいが、技術がたいしたことない以前にまず致命的なことにチューニングを丁寧にしない。

ギターは6本の弦があり、その一本一本が正しい音を奏でることで調和のとれた音楽を生み出す。ギターは気温や湿度、振動など周囲の状況によって簡単に音がずれてしまうのでまめにチューナーを使って一本一本を正しい音に合わせる行為をする必要がある。それをチューニングと呼ぶ。おじさんはチューニングを適当にするし、ずれたまま不協和音を奏でることになってもあまり気にならないようだ。

俺はおじさんのゆるい性格が好きだったが、そこだけがどうしても許せないことだった。


ライブ当日の今日も絶妙にずれている。

おじさんとのライブは実は今日が初めてなので楽しいのは楽しいが楽器である俺自身としてはこのずれた音が耐えられないところだ。

そこを自分でコントロールできないこともなんともはがゆい。

どうすることも出来ずに一曲目の演奏が終わった。


ここでボーカルのMCが入る。ボーカルもおじさんと仲が良いだけあって、気持ちのいいゆるさを持った温かい人であることを今までの付き合いの中で知っている。

ボーカルは結婚しているようで、ボーカルの奥さんもどうやらおじさんの昔からの友達らしい。いつも夜ご飯がカップラーメンのおじさんのことを心配して、奥さんの手料理を持ってボーカルはふらりとよくおじさんの家に来た。

長年の付き合いだけある。観客をうまいぐあいにいじるボーカルに適度なつっこみを入れるおじさんに観客がどっと沸いていた。たいして上手でもないバンドだなあと思っていたが観客がこれだけいるのは、メンバーの人柄そのものにひかれてやってくるお客さんがいるからなのかもしれない。

そうこう考えているうちに二曲目が始まる。

MCの間にチューニングをなおしておいて欲しいところだったが、おじさんはボーカルとのかけあいに夢中になっていてペグに手を触れることもなかった。おいおい・・・。


チューニングは大切だ。

一つずつの音が正しい音で聞こえることはもちろん大切なことだが、それぞれの弦が同時に和音を鳴らすときその大切さは余計に強調される。一つの音だけ低いとか、一つの音だけ高いとそれは気持ち悪く響く。さらにその和音が他の楽器と同時に音楽を奏でる時にはさらにチューニングがあっていることの必要性が感じられるようになる。お互いがお互いにとってよい形で影響しあえなければまとまりとしてよい音楽を奏でることができない。


考えてみるとこれはバンドメンバーも同じことのような気がする。一人一人が演奏の技術を持っていることはとても大切だけど、一人だけの想いが強すぎるとか一人だけのモチベーションが特に低いとか、そんなことがあるとバンドとしてうまく成り立っていかない。

そう考えるとおじさんのバンドはメンバーのチューニングがとてもよく取れているような気がしている。演奏中のアイコンタクトも楽しそうなメンバーの笑顔もこの会場をほどよくあっためている。プロとしてデビューするのは難しそうだが、それでも彼らが高校時代から変わらずにこのメンバーでバンドを続けている意味がなんとなくわかるような気がしてきた。

二回目のMCの時、ベースがおじさんのチューニングについて突っ込んだ。おじさんは慌ててチューニングをしている。やれやれ、助かります。どうやらライブではいつものことらしく観客がどっと沸いていた。ミュージシャンとしてどうなんだ、と思いつつ、俺はおじさんと一緒にその日のライブを全力で楽しみ切ることが出来た。



ライブが終わり俺はギターケースに入れられどこかに運ばれていた。外では笑い声話し声が心地よく響いている。おそらくライブ終わりの打ち上げ中だろう。

なんだか疲れたような気がしているうちに、俺の意識は次第に遠のいていった。


ふと気づくと俺は学校の保健室にいた。

ゆっくり起き上がるとバンドメンバーが心配そうに俺を取り囲んでいた。

俺はどうやらあの夏の日に戻ってきたらしい。蝉の声が聞こえてくる。


その日から文化祭まで俺たちはいつも通り練習を続けた。

いつも通りではあったけど、俺の中の気持ちはどこか少し違っていた。

丁寧にチューニングをしようと思っていた。ギターだけでなく、人間関係も。

自分だけがキンキンと高い音をたてないように、誰かが一人おかしな不協和音を奏でないように。

そんな時夢で見たおじさんやあのバンドのゆるくて優しい雰囲気を思い出していた。

そのせいもあってか文化祭は大成功した。全員が気持ちよく自分たちの音楽を奏でることを出来た充実感があった。

その気持ちよさのまま部活のメンバーでいつものラーメン屋でラーメンを食べて、帰宅中の時だった。

いつも通りすがるライブハウスの前にライブ告知のポスターが飾られているのがふと目に入った。その出演バンドリストを見て俺ははっとして立ち止まってしまった。

おじさんのバンドだ。

あれは夢ではなかったのか。胸がなんだか高鳴っている。

そのライブは一週間後。見に行こう。そしてこの先もこのバンドのライブに訪れて、いつかおじさんと友達になれたらいいな。

友達になった日には冗談交じりに、ギターのチューニングしっかりしろよと言ってやりたい。

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