二日後、対局の場である教会には、既に辺境伯と元帥とルイス、そしてその護衛二十名が待ち構えていた。

 先日、ロイが明確に動揺し、駒の動きにも精彩を欠くのを、ルイスはとうに見抜いていた。娘のミアを人質にしていることも、彼は承知である。

 今日の彼は、もう勝利を確信した顔付きであった。伝令が伯爵領代表の到着を告げた。辺境伯達は、馬車から降りて来た相手の姿を見て、思わず瞠目した。


 元帥の邸宅の蔵に監禁している筈のミアが、凜々しい男装でやって来たのだ。彼女のことを知らなければ、華奢な美少年にしか見えないだろう。

 辺境伯は小声で元帥に、


「おい、どういうことだ。彼奴は人質の筈だぞ」

「わ、解りませぬ。脱出した筈もありませんし」


 こそこそと密談する二人を尻目に、ミアは会釈して会場に入った。ここで騒いでも仕方が無いので、辺境伯達も後に続いた。

 席につくと、伯爵方の執政が、


「この度、当家代表のロイ・ヴェルンス急病のため、代わりに嫡子のミアがお相手仕る。一応、礼式のため男装しておりますが、平にご容赦を。いかがですかな、辺境伯閣下?」

「う、ウム。よろしい」


 と、辺境伯は承諾した。既に、ルイスから相手はロイに劣ると聞いているので、慢心していた。


 対局が始まり、粛然とした雰囲気が会場を包み込んだ。まるで、そこだけ別の世界のように、悽愴な雰囲気が立ち込めている。

 ミアは冷汗三斗、震える手で駒を指した。エルマーとリコは、別室で盤面を再現しながら、固唾を呑んでいた。


「劣勢だな。だが、押し切られているわけではない。四分六分といったところか」

「どうなるのかな」

「信じて待つしかない」


 刻一刻と時間が過ぎていき、駒を置く音と、配置を読み上げる音以外、何も聞こえない。

 ミアは吐きそうになるほどの緊張で、


「パパ……」


 と、駒を進めた。彼女のルークが、相手のキングを捉えた。ルークを取っても、その横にはクイーン、すぐ近くにはナイトが控えている。

 その駒の配置をした時、リコは、


「こ、これ終わりじゃない? ほら、チェックメイトじゃない?」

「……確かに。勝ったぞ。流石は修行を積んでいただけあるな」


 と、二人は安心して微笑んだ


 ルイスは瞑目し、


「私の……負けだ。だが、これは対局に負けたのであって、勝負に負けたわけではない」

「どういうこと?」

「約定では対局をするのは、そなたの父親であって、そなたではないっ。約定を違えた以上、当方が約定を守る謂れはない」

「そんな勝手なッ。ボクが交代するって認めたじゃん」


 すると、元帥と辺境伯も便乗し、


「小娘、黙れ! 対局は確かに貴様の勝利だが、銀山の権利は我らのものである」

「こちらは交代を認めた覚えなどない。仮にそうだとしても、記録員は我が臣下である。そのような記録、あるかな」

「ございません。そういうわけで」


 当方の勝ちだ――と言おうとした時、ドタドタと大広間に駆け付けた者がいた。エルマーとリコである。

 エルマーは、広間の梁すら揺るがす大声で、


「見苦しいぞ! お前達がサン伯爵領で一連の強盗を働いていたこと、ミア君を拉致して脅迫の材料に使ったことは、全て露顕している!」

「負けたくせに屁理屈を捏ねるな! お前達の所為でロイさんは自殺したんだぞっ」

「全てが収まってから叩き斬るつもりだったが、もう堪忍袋の緒が切れた。この場でお前たち人間の屑を斬る!」


 辺境伯は、秘密を大声で漏らされたので、満面を朱泥のようにして、


「卑しい浪人の分際で何をほざく! 者共、御前を穢す痴れ者共を成敗しろ!」

「煩い! よくもパパを殺してくれたな。ボクだって、お前らを許さない!」


 と、ミアも鋼鉄の八角棒を伸ばし、六尺にして構えた。


「何をしている、斬れ!」


 と、下知が飛んだ。


 閃々と乱れる剣が伸びる。エルマーが帯剣を抜き打って、先頭の者を居合で斬り捨てた。更に右から敵。エルマーは鋭刃えいじんを払い、繰り出された腕を斬り飛ばす。勢いそのまま身体を廻し、雷撃のような一閃で、三人を一気に斬り裂いた。

 火花が立つのと同時に、血の花が虚空に舞う。エルマーに躍り掛かった者は、瞬く間に屍体となった。前に二人。上段の構えで迫ってくる。エルマーは膝を落とし、敵の腰元へ刃を薙ぎ付けた。

 更に左右から挟まれた。叫びと共に躍ってきた。エルマーがまず左に払う。転瞬、手首を返す。刃が、光線のように往復した。血煙と共に、敵は同時に斃れ込んだ。


 リコは椅子や卓を跳び回り、犬のように駆け回って敵の急所を突いた。素早く駆け回る彼に翻弄され、同士討ちをする者までいる。

 乱戦から逃れようとしたルイスの前に、リコが宙返りして下りて来た。


「おい、名人。チェックメイトだけど、どうする?」


 「邪魔だ!」と斬り掛かった彼の柄手を、リコの剣が素早く刺した。それを見た護衛が一人、リコの後ろから斬り込んだ。リコが、構えた。斬り合うと見せ掛けて、それをいなす。勢い余った護衛の者は、ルイスを両断してしまった。

 愕然とした護衛が向き直る前に、リコがその脾腹を突いた。


 ミアは、逃げ回る辺境伯を追い詰めていた。周りを固める護衛は、六人。いずれも頭以外、鉄甲を纏っている。彼女は、人垣の奥にいる首魁を指差して、


「おい、クソジジイ! ボクが三途の川を渡してやるよ」

「たかが小娘だ、叩き斬れ!」


 剣士が斬り掛かる。ミアは八角棒を振り、その剣を真っ向から叩き折った。腕が折れた剣士は、そのまま頭を潰された。


 ミアの棒は、異様な唸りを上げた。鎧は粉砕され、生身の部分は二目と見られぬ姿となる。闇雲に、一人が突貫した。ミアは棒を翳して刃を防ぎ、彼の腹を蹴りつけた。蹴られた部分が異様にへこみ、彼は血を吐き出しながら吹っ飛んだ。

 精兵からなる六人は、文字通り肉塊となった。辺境伯はミアに斬り込んだ。ミアはそれを躱す。同時に、棒を腕に叩き込む。落石のような一撃で、辺境伯の両腕は千切れてしまった。

 ミアは、棒の先端を相手の顎に付け、渾力を込めて押し込んだ。辺境伯の頭は、西瓜のように砕け散った。


 エルマーは一人残った元帥を睨んだ。その眼力で、彼は怯えきってしまい、震えながら構えた。

 エルマーはゆっくりと近付いた。元帥は、正眼から斬りつけた。エルマーは刃を交叉させ、素早く下に滑らせた。元帥の剣の鍔が砕け、握っていた指が落ちる。

 剣を落とした元帥は、電瞬の刃で首を刎ねられた。


 ――翌朝、エルマーとリコは伯爵領を出て、街道を歩いていた。朝靄が立つ時間なので、人通りは殆どない。

 エルマーは、


「まあ、後処理は伯爵領の連中がやってくれる。なにしろ、盗賊集団が辺境伯領の手の者だった証拠があるからな」

「そうだね。それにしても、とんだ初体験のチェスだったよ」

「そうそう。あんなに緊張したの初めてだよ、ボク」


 ここにいてはならない声に、リコが瞳を動かして横を見ると、


「なんで、ミアさんがいるんだよ⁉」


 と、彼は肝を潰して叫んだ。

 旅装束を纏い、縮めた八角棒を腰に差したミアは笑顔で、エルマーに、


「このミア・ヴェルンス。今日から、お二人と同じ旅烏です。ボクは女だから、役職は継げないし、そもそも宮仕えなんて窮屈。それなら、好きな所を廻ってチェスの腕前を磨いたり、色んな所を見たりした方が良いや」

「呆れたな。家はどうするんだ」

「家のメイドに財産は全部あげちゃった。だから、ボクは文無し」


 と、何故かミアは誇らしげである。リコはふと、彼女の服を見て、


「それ、僕の上着じゃないですかっ」

「くれたんでしょ? 着心地良いからさ。返して欲しかったら、ボクから奪ってみな」

「あ、ちょっと」


 追いかけっこを始めた二人を笑って見ながら、エルマーは歩を進めた。

 詰みチェスを見事に解決し、新たにお転婆娘が加わって、三人になった旅の一行は、足の向くまま気の向くまま、旅を続けていくのであった。

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