町に入ったエルマーとリコは、濡れた服を脱ぎ、半裸で通りを歩いた。陽が高く昇って暑いので、潮風を感じながら歩くと心地が良い。海沿いの町らしく、道々には蜆売りの棒手振がいて、魚屋の店先には、さっきまで泳いでいたような新鮮な魚が並んでいた。

 櫛比する家々に目をやりつつ、エルマーとリコは大通りを低回した。宿を求めて、町の一角に行くと、そこだけ妙に換算としている。軒を連ねる民家も店も、皆、扉をピタリと閉めていた。注意深く観察すれば、路地裏や物陰から幾人かが覗いているのが解った。

 二人が不審に思いながら歩いていると、路地裏からエルマーの袖を引く者がいた。彼は小声で、


「お兄さん。もうすぐ始まるから、隠れてた方が良いですよ」

「始まる? 何が」

「兎に角、怪我してはつまらないですよ。悪いことは言わないから。此処にいた方ガ良い」


 と、男が指差した方向には、鄙びた孤児院があった。建物の石壁は所々に穴が空き、塀には落書きを消した跡が無数に見える。柵門も傾いて、今にも倒れそうであった。

 リコは樽に飛び乗って足をぶらつかせ、もう見物客の一人になっていた。エルマーも壁に凭れて様子を見ていると、通りの向こうから濛々たる土煙が近付いて来た。

 黒牛である。両目に赤い目隠しをされ、荷台を引きながら猛然と迫ってくる。通りにいた者達は慌てて身を隠し、遮る者は一人もない。一瞬でエルマー達の前を通り過ぎた牛は、砂塵と共に孤児院の門に突っ込んだ。


 轟音を上げ、門は支柱ごと崩れて地響きを立てた。荷台に満載されていた無数の岩が、礫のように飛んで建物の壁に激突する。窓硝子を突き破って、中に入り込む岩もあった。

 

「な、なんだあれ?」


 エルマーとリコが状況を理解出来ないでいると、孤児院の中から、二人連れの女が出て来た。半日前、海で挨拶した母子である。

 それを待っていたかのように、ガラの悪い連中が四人、物陰から身を出した。明らかに、彼らの仕業である。

 四人組の代表らしき男はセシールの前に立ち、半笑いで、


「ははは、すみませんねぇ。急に牛が暴れ出してしまいましてな。事故です、事故」

「……」

「どうですか、院長。ここらで立ち退きに同意されては。そうしないと、私の勘では明日も牛が暴れ出しそうです」


 しかしセシールはかぶりを振った。彼女は、確かに信念の籠もった眼差しで、


「何と言われようと立ち退きには同意しません。私が此処を出て行ったら、身寄りの無い子供達はどうなるのですか」

「貴女がどう言われようと、ここは我らが買ったんですよ。借地である以上、我々のものですな。立ち退き料も弾みますのに」

「お帰り下さい、代貸さん。帰って、親分さんにお伝え下さい。私達は何があっても立ち退かないって」

「へえ……。では、もう五回くらいは牛が暴れないとね。明日は丸太でも載せようかな。子供達に怪我させるなんて、院長は酷いお人ですよ。ははは」


 と、代貸が子分達と一緒に帰ろうとすると、彼の前にエルマーが立ち塞がった。「退け」と凄んだが、彼は身じろぎ一つしない。

 エルマーは微笑を浮かべ、


「おい。お前さん達、少しやり過ぎだ。俺は、貧乏ながらも一生懸命に働いている者達を邪魔するような輩は大嫌いでな。有り体に言えば、腹が立っている」

「だったら、どうするんだよ」


 エルマーは、顔を近付けてきた代貸の醜悪な面を、無言で殴り飛ばした。代貸は、いきりたって佩剣を示威した。エルマーも鯉口を切る。

 代貸が、柄に手を掛けた。刃光ひかりが走る。刀身が鞘から半分出た。その時には、彼の首に、エルマーの剣が擬されていた。その場にいた誰もが、抜剣の瞬間が解らなかった。

 エルマーの鋭い眼光に、代貸のお供の連中もたじろいだ。本気で、人を斬るときの眼差しである。代貸は言葉を失って身震いした。


 すると、北の方から「散れ散れ!」と十余人の衛兵が駆け付けて来た。騒ぎの通報を受けた代官所の者達である。

 先頭にいるのは、代官の補佐をするトムという役人であった。トムはセシール母子を睨み、


「また貴様らか。リード一家からも申立があったが、この土地が借地である上は、彼奴らの方に理があるのだぞ。早々に立ち退かないと、貴様らのためにならぬ」

「しかし、子供達の住む場所が。お役人様っ」

「そんなことは、お上の知った事ではない。貴様、小娘の分際で、お上に逆らう所存かっ」


 と、トムが反駁したジゼルを棒で打擲した。地面に倒された彼女は、嫋やかな顔だが、碧い瞳はしっかりと相手を見据えている。

 更にトムが棒を振り上げたが、エルマーに腕を捻られた。倒れ込んだジゼルは、リコがすぐに介添えした。

 また一触即発の雰囲気になったが、セシールが何度も謝り倒し、その場はどうにか収まった。


 ――代貸は不承不承、リード一家の本邸に帰った。リード親分の宏大な私邸で、居候の数は五十を超す。

 リード一家はこの町でも評判の悪い渡世人一家で、強請から地上げ、イカサマ博打まで何でもこなす。そんな一家が、赤字経営する孤児院の、猫の額ほどの土地を狙っているのだ。

 代貸は庭先で、リード親分に謁見した。親分は、不満げな顔で、


「今日も駄目だったか。何か別の手を打たないといかんな」

「へえ。想像以上に強情でして。力業は通用しませんね」

「そうだな……。そうだ、連中は確かパン屋をやっていたな。こうしよう」


 と、リードは代貸に耳打ちした。代貸は納得したように頷き、早速準備に取りかかった。

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