孤児院の話
一
暑い日であった。陽光の照りつける海は、貴重な瑠璃のように輝いていた。水平線を望めば、果てしない空との境界すら解らなくなってくる。
海沿いの街道からは、水遊びの客がよく見え、すぐ近くの町と海とを盛んに行き交っていた。砂浜は、子供の歓声で賑々しい。
リコは汗を拭いながら、砂浜に立ち、初めて見る海に眼を輝かせていた。彼は口調を弾ませつつ、
「エルマーさん、エルマーさんっ。海だよ、海。本物見るの初めてだよ」
「海だな」
「あんな広い海の向こうには、何があるんだろうね?」
「この王国とは、言葉も食べ物も人の肌の色も違う異国だよ。溌剌とした別嬪な娘もいるぞ」
と、エルマーは見た事も無いのに断言した。知識なのか妄想なのか疑わしいところがある。
リコは、白く目映い歯を見せて、波打ち際、水の上で足踏みし、
「一度行ってみたいなぁ。生きてる内に、世界中を旅して廻りたいや」
「俺は南国のお姉ちゃんにちやほやされたいな。皆で焚火を囲んで踊るんだよ」
「なんで言葉も通じない異国の人が、エルマーさんに惚れるんだよ」
「そりゃ、俺の漢振りに惚れるのさ」
「そういうのを極楽とんぼって云うんだよ」
リコの揶揄うような口調に、エルマーは笑いながら彼の頭を小突いた。「やったな」とリコが彼に水を掛ける。エルマーもそれに応戦し、リコを軽く水に倒した。
男二人、海でじゃれ合う姿は微笑ましいというより、嘲笑もの。はしゃいでいる二人を、周りの客は、どういう連れ合いなのかと噂した。
不意に、エルマーの頭を棒で突いた者がいる。訝しんだ彼が振り返ると、子供がいた。見たところ、リコよりも歳下である。少し後ろには、同じような歳頃の者達が、十九人いた。
「お兄さん! 女の子を虐めちゃ駄目だよっ」
「お、女の子? 虐めるだと?」
「それっ。皆、助けるんだっ」
と、先頭の少年が言うや否、少年達が一斉にエルマーに跳び掛かった。足に絡みつく者、腕に組み付く者、蚊蜻蛉のように鬱陶しい。少女達の方はリコをかばい、有無を言わさず喧嘩から遠ざけた。
エルマーは少しばかり苛立って、勢い良く身体を廻らせた。少年達は振りほどかれ、砂浜に散らばった。指揮をしていた少年が立った。棒を手に、跳んだ。
エルマーは、身じろぎもしない。代わりに拳を振るい、それをへし折った。同時に腕を伸ばす。少年の襟首を引っ掴み、
「この悪ガキめ。お仕置きをしてやる」
「お待ちくださいっ」
と、女の声がした。その方向を見ると、修道服に身を包んだ女が二人いた。一人は四十路くらいで、もう一人は二十前後の娘である。
歳上の女が、エルマーに挨拶し、
「私はこの町で孤児院をやっているセシールと云う者です。こちらは娘のジゼル。御浪人さま、どうかこの子達を許してやってください。正義感が強いだけで、悪い子達ではないのです」
余りにも慇懃に、腰を曲げて頼むので、エルマーは少年を離してやった。リコも少女達の手を脱し、エルマーに飛び付いた。
少年はそれを見て、漸く、この二人が仲間であると理解したらしい。恥ずかしげに頭を掻いて、
「いや、勘違いしちゃった。紛らわしいな、もう」
「ロイド! 謝りなさい」
と、セシールに叱られ、ロイドは弾かれたように直立した。作法の躾け自体はあるらしく、他の子供達と共に、頭を下げ、
「ごめんなさい」
と、異口同音に謝罪した。修道女の母子も丁寧な陳謝を残し、子供達を連れて去って行った。
エルマーとリコは顔を見合わせて、首を傾げるばかりであった。
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