五
飛脚役所での騒動が起こってから、二時間ほど経った。町の一角を、三人の男が歩いている。先頭の男は、喪服を身に着け帯剣するという異様な格好である。彼の後ろには、青年と少年が付いていた。
町の人々が噂し合うこの三人は、ジーノとエルマーとリコである。妻と弟を謀殺された復讐を遂げに行くのである。三人とも、緘黙して一言も発さない。悽愴な鬼気が、彼らの周りに漂っている。
ジーノは妻だけでなく、弟をも手に掛けられて、漸く、迷妄を断ち切った。家を捨て、浪人になる覚悟で、仇討ちを決意した。エルマーとリコは、彼の助太刀を買って出た。
そんな彼らの後ろから、呼び止める声が聞こえた。声の主は、男爵家の家令である。彼は、ジーノに、
「私も及ばずながら助勢致すぞ。これ以上、我が領邦を舐められて堪るか。ソウとエマさんの無念を晴らしに参ろう」
「御家令さま……。有難うございます」
と、ジーノは目頭が熱くなるのを感じた。四人は、物々しい形相で、一路、王国飛脚の役所へ向かっていった。
役所の門は、ピタリと閉じられていた。辺りは人がいないかの如く静かである。木門の前に立つと、エルマーが静寂を裂く大声で、
「開門、開門! こちらに、元クライス家使用人の男がいる筈だ。お引渡しをお願い致す。叶わぬとあらば、この門を破壊して押し通る所存っ。開門を願う!」
すると、門が八の字に開かれ、アラン率いる役人達が集まって来た。
彼らは煩い虫を追い払うように「帰れ帰れ」と言った。その時、リコがエルマーの指図通り、麻縄を投げた。先が、輪になっている。縄は、正確に元小者の首を捉えた。
エルマーが、素早く縄をたぐり寄せる。抵抗する男に腕を伸ばし、襟髪を掴んだ。そのまま、役所の敷地外に叩きつけた。そこは、既に男爵領である。
「よし! ジーノ、今だっ」
と、家令が飛び付いて、元小者を羽交い締めにする。赫々と怒るジーノが、彼の右袈裟を叩き斬った。血飛沫が彼岸花のように舞い、それはアランの怒りを燃え上がらせた。
アランは、顔面を朱泥のようにして、
「この無礼者! 此奴らは王国に逆らった乱心者だっ。構わん、全員斬り殺せ!」
下知と同時に、役人と飛脚達が抜剣する。ジーノと家令は身構えたが、エルマーが彼らの前に立ち塞がり、
「待つんだ! 貴殿らが入れば、それこそ男爵領と王国の戦になるっ。ここは俺達に任せるんだっ」
と、鋭く言うや否、振り返りざま、抜き打ちに一人の役人を斬り斃した。リコも剣を抜き、二人揃って役所内に踏み込んだ。
アランは声を荒げ、エルマー達を威圧するつもりで、
「貴様ら! 王国飛脚に逆らった謀反人になって、ただで済むと思っているのか」
「黙れ! 王国の威光を笠に着ての乱暴狼藉、
「素浪人の分際で生意気なっ。者共、この乱心者共を斬り捨てい!」
役人が二人、エルマーに斬り掛かった。彼は、その剣先を素早く弾く。柄手の痺れ。それを感じた瞬間、二人は血煙を上げていた。更に一人が、上段に構えて跳び込んだ。剣が落ちる前に、彼は、エルマーの刃の錆となっていた。
飛脚の一人が岩から跳んだ。上からエルマーへ斬り掛かる。金属音。その剣は、彼の一閃で宙を舞う。唖然とする暇もなく、返す刀で、持ち主も斬り斃された。
後ろに、殺気。エルマーは即座に振り返り、勢いそのまま、敵の腰車を両断した。膝を突いたエルマーに、別の刃が振り下ろされる。彼は、剣を横に翳して受け止めた。鍔迫り合いもせずに押し返し、敵の脾腹を貫いた。
リコは短い剣を振り回し、三人の敵と渡り合っていた。身軽な彼は、塀や庭石を足場に跳び回り、敵を翻弄している。役人が、跳び掛かった。リコは倒立してその顎を蹴り、喉元へ突きを喰らわせた。
二人が並んで躍ってくる。リコは咄嗟に後ろへ逃げる。近くにあった桶を、円盤のように投げつけた。敵二人が足を掬われる。起き上がる前に、リコが彼らを斬り伏せた。
アランは、自分の眼が信じられなかった。見る間に見る間に味方が減る。エルマーの太刀筋は、衰えるどころか冴えを増していた。
気が付いた時には、自分と、飛脚二人しか残っていない。エルマーとリコが、無言で近付いて来る。飛脚の一人は、苦し紛れに背中の壁にある王国の紋章を指し、
「この下郎ども、この紋章が何を意味するのか解っているのかっ」
「この間言っただろ? 僕達はただの旅人だから、王国の威光なんて通用しないって。そんなもの、無駄だ!」
と、リコが相手の理論を粉砕した。それを聞いた飛脚二人が、何の工夫もなく斬り込んだ。しかし二人は、エルマーの横で、殆ど同時に血を上げた。
血刀を下げたエルマーの気魄に、アランは至極狼狽し、慌てて逃げだそうとしたが、リコが彼の行く手を塞ぎ、腹に一太刀喰らわせた。
アランが悶絶して身を廻した瞬間、エルマーの一閃が、その袈裟を仕留めていた。
――飛脚役所で乱闘騒ぎが起こったと聞き、男爵は目の玉が飛び出さんばかりに仰天した。彼は、慌てて厩から馬を出させ、自ら現場に急行した。
役所への途上、男爵の騎馬を妨害したものがいる。突然、人が飛び出したので、男爵は、駭然として鞍から落ちた。
馬を止めたのはエルマーであった。彼は落馬した男爵の襟首を掴み、
「家臣やその家族の命を預かる主なら、主らしくしろ! 悪党に阿るなど許さん!」
と、有無を言わさず殴りつけた。二の句も継げずにいる男爵へ、エルマーは、
「飛脚役所に斬り込んで皆殺しにしたのは、気狂い浪人の仕業とでもしておけ。この領邦には何も関わりはない。良いな!」
「その弟子も忘れずにね」
と、リコが、エルマーの背中から、可愛らしい笑顔を出して言った。男爵は、すっかり参ってしまい、両手を突いて「わ、解りました」と震え声で言った。
エルマーとリコは、その様子を見て、満足げに立ち去っていった。
――エルマーとリコ、そして浪人となったジーノは、町から離れて暫く、連れだって歩いた。
やがて、分かれ道に差し掛かると、ジーノは、
「此処でお別れさせて頂きます。私は、妻と弟の弔いに生きる為、何処かで出家します」
「そうですか。それが良いでしょう」
「エマもソウも、きっと許してくれるでしょう。それでは、失礼致します」
ジーノは頭を下げ、二人から離れていった。リコは、その背中に手を振りながら、
「行っちゃったね。何だか寂しいね」
「そうだな」
「あ、そうだ、エルマーさん。家令さんから迷惑料って云われて、少しだけどお金貰ったんだ。何処か、景色の良い場所で、美味しいものでも食べようよ」
「ははは、それは良い。では、心の洗濯といこう」
エルマーとリコは、履を並べ、笑い合いながら歩いていった。行く先定まらぬ道連れ二人、今日も当てなき旅を続けるのであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます