翌朝、マイル男爵家の家令はまだ早い内から、自宅を出た。行く先は、王国飛脚の役所である。途中、ソウの家の戸を叩いた。

 訪いを入れると、既に支度を済ませたソウの兄嫁、エマと小者が出て来た。三人で詫びを入れに行くのである。三人は、無言でまだ肌寒い通りを歩いていった。

 役所に着くと、家令が門を叩き、開門を呼ばわった。門番に案内され、彼らは奥の応接室に通された。

 

 所長のアランは小肥りの男で、目付きばかり不気味に鋭かった。彼はまるで王様のように傲慢な態度で、のっけから家令を見下ろし、


「此度の、貴家の不始末、いかがするのですかな?」

「はっ。お詫びの言葉もありませぬ。ですが、こちらは当方から、せめてものお見舞いの品でございます。どうか、お納めください」


 と、家令は恐る恐る、少なくない金貨を卓に置いた。アランはニヤリと笑い、それを懐に収め、


「そうそう。例の若騎士の処分は、どうなりますかな?」

「そちらでしたら、近日中に斬首に処す運びとなっています」

「斬首。それは良くない。こんなつまらない騒動で、若い命を散らすのは勿体ない」

「しかし」

「それに、当方が斬首させたなどと吹聴されては、甚だ迷惑千万」


 と、所長は恩を着せておいた。そして彼は、じろりとエマの方に視線を移し、無言で舐めるように見た。

 アランは、家令と小者だけ別室で待機するように命じ、エマを更に奥の、人気のない部屋へ招いた。


「此度は、義弟をお助け頂き、有難うございます」

「ははは。まだ助けるとは決めておらぬ。貴女もよく解っておろうが、義弟の首が離れるか否かは、こちらの胸三寸に掛かっている。これが、なにを意味するか解るか?」

「まさか……?」


 アランは、無言でエマの両肩に手を置き、耳元で何事か囁いた。エマは瞠目し、ぱっと彼から離れたが、彼はニヤニヤしているだけである。

 逃げようとした彼女の背中を、「斬首で良いのだな」と鋭い声が刺す。エマは力無く項垂れた。アランは、彼女の肩を抱き、喜悦にまみれた顔で、寝台の方へと歩いて行った。


 ――エマと小者は、夕暮れ頃に帰って来た。二人を出迎えたエルマーとリコは、帰りが遅かったことに疑問を抱いたが、ソウの処刑が取りやめになった嬉しさで、大して気に留めなかった。

 肝心の若者は、もう倉から出され、庭先に出ていたが、兄嫁を見ると、


「此度のこと、申し訳ありません」

「いや、良いのです。飛脚役所の寛大な心で、お構いなしとなったのですから……」

「どうか、なさったのですか?」


 ソウが、訝しげに尋ねたが、エマは何も言わなかった。そこへ、ジーノがやって来て、嬉しそうな表情で、


「いや、良かった。先程、閣下からの使者が来て、ソウを釈放し、お咎めなしとなったのだ。色々あったが、丸く収まって良かった」

「そう……ですね」


 エマは、良人の顔を直視出来なかった。ジーノとソウが顔を見合わせていると、エルマーが代わりに


「飛脚役所で何かあったのですか?」

「いえ、その……」


 と、エマが何か言い掛けた時である。彼女は、か細い悲鳴と共に、膝から崩れ落ちた。全員が見た先には、血潮滴る短剣を持った小者がいた。

 「貴様!」というエルマーの声で、全員が我に返った。小者は、なおも短剣を構え、ジーノへ突っ込んだ。しかし、横からリコが体当たりしたので、カラリとそれを落としてしまう

 小者は泡を食い、彼らに背を向けて逃げ出した。リコが、足を励まして彼を追っていく。脾腹を深々と刺されたエマは、滔々と流れる血潮が止まらない。彼女は、口を僅かに開き、


「も、申し訳……ございません、あなた……」


 と、呻きながら言った。理解出来ないジーノとソウは、彼女の身体を抱え、絶叫するように呼ばわったが、程なくして、エマの目の光は、永久に消えた。


「エマ!」

「義姉上、義姉上!」


 と、兄弟の悲痛な大声が、曇った空に響き渡った。

 エマを刺殺した小者を追跡していたリコは、相手が王国飛脚役所に飛び込んでいくのを見た。此処は、部外者立ち入り禁止の筈である。リコは怪しんで、こっそりと塀を攀じ登って敷地内に侵入した。そのまま、足音を立てないように注意しつつ、小者が消えた部屋の屋根裏へ跳び上がった。

 リコが屋根板を外し、目を光らせていると、アランが部屋に入って来た。


「御命令通り、エマを刺して参りました」

「良くやった。わしが彼奴を抱いたことが露顕しては面倒だからな。お前は今日から、王国飛脚の一人だ。そうすれば、あの臆病な男爵が、仇討ちの許可など出す筈がない。ジーノとやらが、御家お取潰しの危険を冒すことも無かろう。これは礼金だ」

「へへへ。有難うごぜえやす」


 と、小者だった男は、アランから重そうな金袋を受け取った。リコは、上から全ての絡繰りを見届け、稚い顔に忿怒を浮かべていた。

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