エルマーとリコは、ソウに連れられてマイル男爵領の首府に入った。人口五百の小さな町で、活気は控えめである。鄙びた家々が軒を連ね、贔屓目に見ても、豊かとは言いがたい。

 ソウの自宅は、町の一角にあり、そこは、男爵家に仕える騎士の邸宅が並ぶ区画である。この王国の騎士階級は、いつでも即座に出陣出来るよう、居住区画が制限されていた。泰平の世の中が続いても、それは慣習として残っている。

 ソウ達が門から入ると、玄関にいた小者が、待ちかねていたように立ち上がり、奥に声を掛けた。そして、彼はソウに、


「ソウ様、大事ありませんか」

「ああ、何かあったのか?」

「それが、先程早馬がやって参りまして、ソウ様が王国飛脚と揉め事を起こされたと。御主人様も心配なされています」


 小者が言っている後ろから、ソウの兄である家の主人ジーノと、その妻がやって来た。

 ジーノは苦虫を噛みつぶしたような表情で、


「ソウ! あれほど、王国飛脚と諍いを起こすなと云っていただろうっ。この始末、どう付けるのだ」

「お言葉ですが、兄上。私の命を捨てて、この領の面目が保てるなら、惜しくありません」

「そういうことではないっ」


 両者、頑固である。言い争っていて収拾が付かない。リコが、


「待って下さい。ソウさんは悪くありません。悪いのはあいつらです」

「君は、誰かね」


 と、怪訝な顔をしたジーノへ、ソウが、


「兄上、こちらのお二人は、飛脚共との争いを仲介してくれた方々です。二、三日、逗留したいと申されているのですが、よろしいですね?」

「ああ、それはお世話になりました。妻に案内させます。さ、客間にご案内してくれ」


 ジーノの妻は承諾し、小者にエルマー達の荷物を持つように命じた。二人を案内する前に、彼女は、義弟の方を見て、


「ソウ、無茶をしてはいけませんよ。可惜、若さに任せてもいけません」


 と言った。

 エルマー達が奥に消えると、今度は門の方から、二人の役人が入って来た。戦場みたいに儼然とした顔である。

 二人はソウを見ると、


「ソウ、閣下がお呼びだ。まずいことになったな。閣下は殊の外、お怒りだ。ジーノ、お前も来るようにと仰せだ」

「参ります。私の腹の内を明かせば、きっと解って頂けます。では、兄上、参りましょう」


 と、若者は勇み足で出掛けていった。ジーノは、ともすれば危うい弟を、憂いの眼差しで見ていた。


 ――男爵の屋敷に赴いたソウは、謁見の間ではなく、庭先に通された。まるで罪人扱いである。男爵は、庭園の奥、舞台のように少し高くなった場所に腰掛けていた。

 兄弟が、階段の前に拝跪すると、男爵は声を震わせながら、飛脚に対する無礼を叱責した。今すぐ、飛脚役所に出向き、手を付いて謝罪しろとまで命令した。

 しかし、ソウは屈する気色も見せず、


「如何に王国直属といえど、理不尽は理不尽。それに屈しては、我が領邦の面目が立ちませぬっ」

「ええい、まだ二十四の分際で、予に説教する気かっ。乱心者め。王国飛脚に刃を向けて、ただで済むと思っているのか」

「元より、私は一命を賭す覚悟ですっ」


 男爵は彼の気魄に、内心、怯えている。ソウの方は、今にも掴み掛からんとする形相だ。

 見かねた家令が、男爵の横から、


「閣下、いずれにしても、それがしが明日、飛脚役所に赴いて、詫びを入れて先方のご機嫌伺いをして参ります」

「ウム、頼む。そうだ、多少の礼金も持っていけ。ソウ! 貴様は謹慎申し付けるっ。ジーノ、お前は弟をしっかり監視してくれ」


 そう吐き捨てると、男爵は足音荒く、母屋に帰っていった。


 自宅に戻ったソウは、敷地内の倉庫に閉じ込められた。扉には外から鍵が掛けられ、外光は換気用の小窓からしかない。

 ジーノは扉を閉める前に、


「私もはらわたが煮えくりかえる思いだ。だが、分別を弁えろ。今回は、お前の勇み足が、我が領邦の立場を危うくしただけだ」

「兄上、しかし」

「もう何も言うな。私からも閣下にお許しを願っておく」


 そう言って、ジーノは重い扉を閉めた。ソウが溜息を吐くと、兄嫁が小窓から覗き込み、


「ソウ、不足する者があれば、何でも言ってくださいね。私は貴方の味方です」

「義姉上……。いいえ、義姉上の元気なお顔を見せて頂ければ、不足はありません」

 

 その夜。王国飛脚と若い騎士が喧嘩したという噂が広まった町は、なんとなく静まりかえっていた。野良犬の遠吠えが、月に谺し、それを聞いた者は、厭な予感がすると口々に言っていた。

 ソウの家の客間で、エルマーとリコは夕食を摂っていた。リコは、亡き姉の躾が行き届いていたらしく、パンや焼き鮭を行儀良く食べている。

 エルマーが酒をちびちびと呑んでいると、懐紙で口を拭いたリコが、


「エルマーさん。どう、この町?」

「良いとは云えないな。横柄な飛脚役所と小さな男爵家が啀み合っている。今回の一件、もしかすると大きくなるかもしれない」

「大きく?」


 と、リコは理解しきれていない様子である。しかし、エルマーの勘は、何か、良くないものを感じていた。

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