二
エルマーとリコは、ソウに連れられてマイル男爵領の首府に入った。人口五百の小さな町で、活気は控えめである。鄙びた家々が軒を連ね、贔屓目に見ても、豊かとは言いがたい。
ソウの自宅は、町の一角にあり、そこは、男爵家に仕える騎士の邸宅が並ぶ区画である。この王国の騎士階級は、いつでも即座に出陣出来るよう、居住区画が制限されていた。泰平の世の中が続いても、それは慣習として残っている。
ソウ達が門から入ると、玄関にいた小者が、待ちかねていたように立ち上がり、奥に声を掛けた。そして、彼はソウに、
「ソウ様、大事ありませんか」
「ああ、何かあったのか?」
「それが、先程早馬がやって参りまして、ソウ様が王国飛脚と揉め事を起こされたと。御主人様も心配なされています」
小者が言っている後ろから、ソウの兄である家の主人ジーノと、その妻がやって来た。
ジーノは苦虫を噛みつぶしたような表情で、
「ソウ! あれほど、王国飛脚と諍いを起こすなと云っていただろうっ。この始末、どう付けるのだ」
「お言葉ですが、兄上。私の命を捨てて、この領の面目が保てるなら、惜しくありません」
「そういうことではないっ」
両者、頑固である。言い争っていて収拾が付かない。リコが、
「待って下さい。ソウさんは悪くありません。悪いのはあいつらです」
「君は、誰かね」
と、怪訝な顔をしたジーノへ、ソウが、
「兄上、こちらのお二人は、飛脚共との争いを仲介してくれた方々です。二、三日、逗留したいと申されているのですが、よろしいですね?」
「ああ、それはお世話になりました。妻に案内させます。さ、客間にご案内してくれ」
ジーノの妻は承諾し、小者にエルマー達の荷物を持つように命じた。二人を案内する前に、彼女は、義弟の方を見て、
「ソウ、無茶をしてはいけませんよ。可惜、若さに任せてもいけません」
と言った。
エルマー達が奥に消えると、今度は門の方から、二人の役人が入って来た。戦場みたいに儼然とした顔である。
二人はソウを見ると、
「ソウ、閣下がお呼びだ。まずいことになったな。閣下は殊の外、お怒りだ。ジーノ、お前も来るようにと仰せだ」
「参ります。私の腹の内を明かせば、きっと解って頂けます。では、兄上、参りましょう」
と、若者は勇み足で出掛けていった。ジーノは、ともすれば危うい弟を、憂いの眼差しで見ていた。
――男爵の屋敷に赴いたソウは、謁見の間ではなく、庭先に通された。まるで罪人扱いである。男爵は、庭園の奥、舞台のように少し高くなった場所に腰掛けていた。
兄弟が、階段の前に拝跪すると、男爵は声を震わせながら、飛脚に対する無礼を叱責した。今すぐ、飛脚役所に出向き、手を付いて謝罪しろとまで命令した。
しかし、ソウは屈する気色も見せず、
「如何に王国直属といえど、理不尽は理不尽。それに屈しては、我が領邦の面目が立ちませぬっ」
「ええい、まだ二十四の分際で、予に説教する気かっ。乱心者め。王国飛脚に刃を向けて、ただで済むと思っているのか」
「元より、私は一命を賭す覚悟ですっ」
男爵は彼の気魄に、内心、怯えている。ソウの方は、今にも掴み掛からんとする形相だ。
見かねた家令が、男爵の横から、
「閣下、いずれにしても、それがしが明日、飛脚役所に赴いて、詫びを入れて先方のご機嫌伺いをして参ります」
「ウム、頼む。そうだ、多少の礼金も持っていけ。ソウ! 貴様は謹慎申し付けるっ。ジーノ、お前は弟をしっかり監視してくれ」
そう吐き捨てると、男爵は足音荒く、母屋に帰っていった。
自宅に戻ったソウは、敷地内の倉庫に閉じ込められた。扉には外から鍵が掛けられ、外光は換気用の小窓からしかない。
ジーノは扉を閉める前に、
「私もはらわたが煮えくりかえる思いだ。だが、分別を弁えろ。今回は、お前の勇み足が、我が領邦の立場を危うくしただけだ」
「兄上、しかし」
「もう何も言うな。私からも閣下にお許しを願っておく」
そう言って、ジーノは重い扉を閉めた。ソウが溜息を吐くと、兄嫁が小窓から覗き込み、
「ソウ、不足する者があれば、何でも言ってくださいね。私は貴方の味方です」
「義姉上……。いいえ、義姉上の元気なお顔を見せて頂ければ、不足はありません」
その夜。王国飛脚と若い騎士が喧嘩したという噂が広まった町は、なんとなく静まりかえっていた。野良犬の遠吠えが、月に谺し、それを聞いた者は、厭な予感がすると口々に言っていた。
ソウの家の客間で、エルマーとリコは夕食を摂っていた。リコは、亡き姉の躾が行き届いていたらしく、パンや焼き鮭を行儀良く食べている。
エルマーが酒をちびちびと呑んでいると、懐紙で口を拭いたリコが、
「エルマーさん。どう、この町?」
「良いとは云えないな。横柄な飛脚役所と小さな男爵家が啀み合っている。今回の一件、もしかすると大きくなるかもしれない」
「大きく?」
と、リコは理解しきれていない様子である。しかし、エルマーの勘は、何か、良くないものを感じていた。
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