夜半になった。月は皎々と冷たい光を闇に放ち、野犬が盛んに遠吠えしている。寝静まった深夜の町を、一人の男が疾駆していた。怒りに満ちた顔付きで走るのは、件の浪人ジョンである。

 彼は夜遅くに来た使いの者から、事の顛末を聞いて勃然と激怒し、取るものも取りあえず、若君一行の宿泊所へ向かった。

 扉を乱暴に蹴り開け、我を忘れた老剣士は、ドタドタと廊下を踏み鳴らしながら、灯りの漏れる部屋に飛び込んだ。宿直をしているらしいサモンと、二人の部下がいる。


 サモンはジョンを見ると、何事も無かったかのように、


「オオ、これはジョン殿。いかがいたした」

「よくも、いけしゃあしゃあとっ。仕官を餌に取れるだけの金子を巻き上げ、剰え娘までも手籠めにしおって」

「何を申すか。金子はお主、同衾は娘御が同意した上でのこと」

「申すな! 娘を犠牲にしてまで仕官しようとは思わぬっ。……私と決闘して頂こう。これは仕官の為にあらず、私と私の子供達の誇りのためだ」

「成る程……。そこまで申すなら受けて立とう。だが、勝負は木剣ではなく」


 言いながらサモンは、近くに置いてあった剣を取り、それを示威しながら、


「真剣だ」


 ジョンは無言で抜剣した。サモンは佩剣に手も掛けず、脱力して待ち受けた。両者、緘黙。静謐が、場を支配した。

 ジョンから斬り込んだ。サモンが、佩剣に手を伸ばす。刃金はがねが交叉して火花が散った。サモンが腕を上げる。刃が離れた瞬間、振り下ろされた。ジョンが横翳しにした剣は、無惨にも折れてしまう。

 ジョンは歯噛みして剣を捨てた。跳足。しかし、サモンは距離を離さない。転瞬、下から刃が振るわれる。ジョンの腕が、斬り飛ばされた。均衡を失った身体は、独楽のように回って地面に落ちた。「メアリー……リコ……」と、かすれ声で言うのと同時に、サモンが彼に止剣とどめを刺した。


 ――ジョンの屍体は、翌朝、若君一行の宿泊所へ乗り込んだ狼藉者として役人の手に引き渡された。番所へ屍体を引き取りにきたのはエルマーとリコであった。

 メアリーは、若君の元から解放されてすぐ、父の栄達を祈る書き置きを残し、自害していたからである。リコは、一夜にして身寄りの無い孤独者となってしまった。

 エルマーは、人目も憚らず慟哭する少年に何も言えず、無言で臍を噛んでいた。その時、飛脚が番所にやって来て、エルマーに手紙を渡した。

 驚くべき手紙の内容に、エルマーは思わず瞠目した。


『御落胤ヲ称スル一行、当家ト血縁ソノ他一切ノ関ワリ無キ者達ニ候。然レドモ侍従ノ者、一昨年金子横領ノ咎故、御役御免申渡シ候者也。若君ヲ騙ル男ハ、ソノ腹心ニ候』


 エルマーは手紙を一読すると、阿修羅も震え上がりそうな形相となった。忿念を燃やし、低く、しかし肚の底から絞り出す声で言った。


「許さん……!」


 ――その夜。偽若君一行総勢二十名は、明日の朝出立ということで、巻き上げた金を使い大広間で酒宴を催していた。

 偽若君はほろ酔い気分で、横にいたサモンに、


「あの女、中々の上玉だった。土壇場で嫌がったので、無理矢理突っ込んでやった。ははは、そしたら泣くのなんの」

「次の宿場では商人達からも金を巻き上げるか。そうだな、家督を継いだ暁には重く用いてやると言ってやれば簡単だろう」


 その時、中庭から物音がした。一人が確認に出て行った。すると、彼は暗闇から突き出された白刃に、血煙を上げてぶっ斃れた。

 突然のことに座中は騒然となった。大広間に飛び込んで来た男はエルマーであった。

 エルマーは、血刀を下げたまま、その場にいる全員の鼓膜に響く大声で、


「サモン・ブルワース! その方、御役御免となった御家の若君を偽装して数多の浪人を誑かし、挙句の果てには、その身寄りの者まで喰いものにするとは言語道断! その所業許し難し。天に替わって成敗してくれる!」

「食い詰め浪人が小癪なっ。此奴を叩き斬れ!」


 サモンの下知が飛ぶ。一斉に、護衛の者達が佩剣を抜き払った。

 エルマーが地を蹴った。着地と同時に剣を払い、三人を一気に斬り捨てる。右。白刃が来る。彼はそれより早く剣を振り、一人の腰車を両断した。向かって来た一人を真っ向から斬り下ろし、身体を廻して、後ろにいた二人を斬り斃す。

 エルマーの前方。雄叫びを挙げて、敵が斬り込んだ。エルマーが剣を翳す。刃を防ぐ。同時に押し返し、怯んだ相手の袈裟を斬った。


 猛然とした乱刃の中でも、確実に味方が減るのを見、偽若君とは怖れを成し、広間の中を逃げ回った。その間にも、エルマーは返り血を満身に浴びながら敵を斬っていく。

 三人が彼を取り囲み、殆ど一斉に跳び込んだ。エルマーは、僅かな誤差を逃さない。右から来た男を斬り捨てた。一寸下がる。間合いがズレた前方の男の額を斬り、最後に残った者の首を刎ね飛ばす。

 大広間は、数分前までの情況とは打って変わり、血の池地獄の様相を呈した。サモンは偽若君の前に立ち、剣を抜いた。エルマーは瞋恚に満ちた表情のまま、ジリジリと二人に近付いていく。


「おのれっ」


 と、サモンが彼へ斬りつけた。エルマーは、それを軽く受け流し、無防備になった偽若君へ突貫する。「あッ」と言った瞬間、偽若君は黒血を噴き上げていた。

 サモンは、なおも諦めない。気声と共に、エルマーへ刃を伸ばす。しかし、その剣は虚しく空を切り、身体は押さえ込まれてしまう。

 エルマーは、サモンの片腕を捻じ上げ、首元を押さえたまま、


「リコ君! こいつが仇だ」


 と呼ばわった。いつの間にか、物陰から全てを見ていたリコは、少し逡巡していたが、意を決した。その場に落ちている剣を取った。

 リコが、叫び声と共に駆ける。小さな身体が、サモンに吸い込まれていく。リコが離れると、相手の脾腹には深々と剣が突き立っていた。

 

 ――翌日、エルマーは宿場町から出立した。しかし、彼が町の外れまで行くと、後ろから呼び止める声が聞こえてきた。

 振り返って見ると、リコである。旅装束を纏い、一尺五寸くらいの短い剣まで差していた。エルマーに追い付くと、彼は恥ずかしそうに、地面を爪先で擦る仕草をし、


「エルマーさん、僕も連れていってっ」

「何だリコ。お前は叔母さんの所に行くんじゃなかったのか?」

「へへ。良いでしょ、そんなこと。いつまでもあの町にいたら、哀しくなるだけ。エルマーさん、凄く強いから弟子にしてよ。僕が一番弟子だっ」

「止めろ止めろ。碌な事にならんぞ」

「僕だって、父さんから剣の手ほどきは受けてるんだよ。そっちが何と言おうと、付いていくもんね。さ、行こうよ」


 と、リコはエルマーの横に付いた。

 エルマーは溜息を吐きながらも、拒絶はしない。盛んに話しながら行く二人の男が、旅の街道に遠ざかっていった。

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