数日後の朝、雀の啼き声と共にジョンは起き出して、壁に掛けてある長剣を取った。鞘から抜くと、朝陽を浴びた皎刃が、目映い光芒で部屋を満たした。曇り一つ、刃毀れ一つない家宝の名剣である。

 朝食を摂った後、彼は家を出て、足早に何処かへ向かった。エルマーは、密かにそれを尾行した。

 ジョンが赴いた先は、古道具屋であった。どうやら彼は先祖伝来の剣を売り払うつもりらしい。エルマーが店の窓から覗いてみると、店主が剣をじっと吟味しているところであった。


「どうだ。先祖代々、護ってきた剣だ。幾らで買い取ってくれる」

「そうでございますね……。金貨三十枚、といったところでございます」

「それでは困るっ。どうか、あと二十枚、頼む」


 と、ジョンは誇りをかなぐり捨てて、地面に頭をこすりつけた。道具屋はジョンと知らぬ仲ではないし、本人の人柄も承知である。

 浪人とはいえ、剣士が土下座するさまに、彼も心打たれた様子。大負けに負けて、望み通りの額を支払ってやった。ジョンは雀躍し、そぞろ涙を流して何度も礼を言って店を後にした。

 その足で彼は、御落胤一行の宿泊所に出向いた。応接したサモンは相変わらず、微笑混じりにそれを受け取り、「任せ給え」と言った。


 ジョンが出てくると、エルマーは笑顔で彼に近付き、数日前の無礼のお詫びがしたいと、近くの休息所まで彼を誘った。

 エルマーはジョンに、


「家宝をお売りになったのですね」

「左様。お主は反対するだろうが、私は信じてみたいのだ。私とて、詐欺ではないかと疑ってみたが、恐らくこれが私にとって最後の機会だろう。石にかじりついてでも仕官の道を探ってみたい」

「無論、俺も真だと思いたいです。しかし、そのために家宝を手放すなど」

「それ以外にまとまった金子が手に入る方法がないのだ。お主も、流離いの旅を続ける身なれば、解るだろう」


 と、ジョンは決意の籠もった眼差しで空を見上げた。


 ――ジョンから金貨を受け取ったサモンは、その足で若君の部屋に向かった。扉を三回叩き、訪いを入れると、「どうぞ」という応えがする。

 サモンが入ると、若君は、朝から酒に酔って頬を染めていた。サモンは彼に、


「ジョン、と申す者が金貨五十枚を持って参った。この宿場では彼奴にしよう」

「ウム。そう言えば、そいつに縹緻の良い娘がいるそうだな。もう一働きしてくれ」

「言わずもがな。どうせ最後には、武術試問での事故に見せ掛けて殺してしまうのだから、手間は掛からん」


 若君は酒杯をぐっと干すと、下卑た笑いを上げ、


「それにしても、お前も大した悪党だよ。食い詰めた連中が、すぐに飛び付いてくるのを利用するなんて」

「それでお互い、甘い汁を吸っているのだから似たもの同士だ。お前は女を抱き、俺は金を貰う。では、出掛けてくる」

「頼むぞ。おれ、いや余は、もう少し呑ませてもらう」


 ――家に帰ったジョンが内職に精を出していると、サモンが訪ねてきた。応対したジョンへ、彼は、更に金子が必要だと伝えた。外出していたリコは、家に入れず戸口の影で聞き耳を立てた。

 言うまでも無く、ジョンは赫怒している。顔を朱泥のようにして、


「私を嬲るのも大概になさってください。もしや、貴殿らは、私を蟇の脂のように絞れば絞るほど金が取れると思っているのか」

「何を申すか、無礼なっ。言って良いことと悪いことがあるぞ。私にはお主の娘御と同じくらいの子供がいるから、特別に計らっているのに」


 無論、これはサモンの法螺である。彼は視界の端で、リコが駆け去っていくのを見た。それには触れず、彼は業腹で堪らない素振りで荒々しく出て行った。

 

 リコは人垣を掻き分けて、狂人の如く疾駆して、姉が働く雑貨店へ駆け付けた。メアリーは弟の姿を見、慌てて裏へ通した。

 リコは息を喘々と切らしながら、サモンが家に来て金子を求めたことを伝えた。メアリーは少し思案して、


「大丈夫。お姉ちゃんが何とかするから、リコは安心して。ほら、お客さんがお菓子をくれたからあげる。泣かないの」

「姉さん……」

「リコは何も心配すること無いからね。また後でね」


 メアリーは柔和な笑顔で弟を宥めすかし、店の裏口から帰らせた。しかし、解決策など無い。彼女はその日一日、仕事が手に付かず、沈思黙考しきりであった。


 夕方頃、メアリーが家路を急いでいると、彼女に声を掛けた人がいる。


「サモン様。何か御用ですか?」

「ウム。お父上の仕官の話でな。此処で立ち話もなんだ。来てくれ」


 サモンはメアリーを連れ、自分達の宿泊所まで行った。そこの奥まった静かな部屋で、彼は俄に嶮しい顔付きとなり、人が変わったように過酷な条件を口にした。

 若君と同衾しろと云うのである。当然、メアリーはかぶりを振って拒絶した。すると、サモンは、


「そうか、残念だな。お父上の仕官は私が責任を持つと言うのに。何も怖れることはない。最初、少し痛むくらいだ」

「嫌です! 如何に貧窮しているとはいえ、見くびるのも大概に」

「黙れ! 貴様、良いのか? 父の仕官が叶わなくて。まあ、父子共々野垂れ死にだな」

「卑怯でございましょう。それが、高貴な家の御家来の料簡ですか」

「ははは。貴様が良くても、幼い弟はどうかな? 一緒に死ぬのは幸せな方だ。あの稚い可愛らしい顔、華奢な身体つき、透き通るような声。恐らく、成長しても殆ど変わるまい。世の中にそういう手合いを好む男は多いぞ? 可哀想になぁ」


 と、サモンは芝居掛かった口調で吐き捨てた。もう、豺狼の本性を隠そうともしていない。

 メアリーは静かに紅涙を流し、迦陵頻伽のような声を震わせながら、


「本当に、本当に仕官をお約束下さいますね……?」

「約束しよう。さ、若君はあの扉の向こうにおられる」


 メアリーはゆっくりと、震える足を前に出し、扉に手を掛けた。十畳ほどの寝室は甘い果実のような芳香で満ちている。若君は、寝台で酒杯を手に、薄ら笑いを浮かべながら手招きしていた。

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