御落胤一行の宿泊所は、町でも屈指の高級宿であった。一行は、パス公爵領に辿り着いた後、代金は利子を付けて支払うと主人に伝え、宿を丸々借り切ってしまっていた。

 宿の出入口の横、『パス公爵家御落胤様御宿』と書かれた看板から塀に沿って行列が絶えない。自分の武術を売り込む浪人達は、僥倖なり、と挙って応募に参上していた。ジョンも、身分や家族を証明する書類を整えて列に並んだ。

 一時間ほど並び、彼は漸く、中に通された。広い廊下には上等な敷物が敷かれ、壁には高級な飾り照明がある。自分の家との余りの違いに、ジョンは思わず嘆息した。


 奥の一間で、パス公爵家近侍の一人だという中年男、サモンに目通りした。引き締まった身体に鋭い眼光を持つ男である。剣術に卓越しているらしく、武術試問は彼が行うらしい。

 サモンは書類を丹念に検分し、顔を上げてジョンを舐めるように見、


「相解った。十六の娘御と、十歳の御子息がおられると。定めし、目に入れても痛くないほど可愛いであろう」

「仰る通りでございます。親心が解らぬ者達ですが、掛け替えのない子供達です」

「ウム。時に、我らは今まで、日の目を見ること無く、田舎で過ごされてきた若様と共に封土へ下る。それを快く思わぬ連中が大勢いる。例えば、老臣や上級の使用人達だ。彼らを懐柔するためには、有り体に申せば金が必須だ」


 そう言いながら、サモンはもう一度、書類に目を落とした。何故か、ジョンの家族に関する書類である。

 サモンはその書類を、目の前の卓に置き、


「いかがであろう? お主とて、易々と仕官出来るとは思っていまい。若様の御為、お主と家族のため、幾ばくかの支度金を用意してはくれまいか」

「支度金? 私がですか」

「仕官が叶えば、その金子の穴埋めも出来よう。そればかりか、公爵家の家臣として、家族と共に、些かの不自由も無い暮らしが出来る。どうかね」


 ジョンは押し黙ってしまった。彼の家は家族総出で働いて、どうにか、その日暮らしに等しい暮らしぶり。サモンは微笑を浮かべ、彼の応答を待っている。

 ジョンはひとまず、「承知致しました」と言い残し、宿屋を辞去した。彼は腕組みしながら道を歩き、降って湧いた難題に頭を働かせた。


 ――空が茜色になった。群鴉が夕焼けに向かって飛び、宿場町の店々の軒先に灯が入った。メアリーが夕餉を馳走してくれると云うので、エルマーは支度を始めた彼女を手伝い、薪割りや火起こしをした。

 粗末だが心づくしの食事が整った頃、濡れ鼠になったリコが帰って来た。エルマーは彼を見、


「どうした、そんな格好で」

「ふん。父さんを莫迦にする奴らがいたから、一発殴ってやったんだよ。広場のオヤジどもさ」

「それで捕まって、噴水に投げ込まれたのか。だが、大した度胸だ。男はそうでなくては」

「こ、このぐらい、どうってことないよ」


 リコは少し嬉しそうに顔を背けた。メアリーは、腕白な弟に、日々手を焼いている様子である。馴れた様子で彼を叱り、


「莫迦じゃないの。怪我したらどうするの。さっさと着替えてきなさい」


 リコは、不服そうに唇を尖らせて、奥の寝室に入った。すると、ジョンが思い詰めた顔で帰って来た。食事中も、溜息ばかり吐く彼の様子に、座中の雰囲気は、水を打ったように静まり返った。


 夕餉の後、メアリーが、父を案じて訳を尋ねると、彼は苦々しい表情で、サモンに云われたことを語った。エルマーは黙然と聞いていたが、話が終わると、断固とした顔で、


「お止しなさい。胡散臭いとは思いませんか。その話、何か裏がある」

「そんなこと、何故解るのです」

「由緒正しい公爵家の御落胤。それが本当なら、何故金子を求めるのです。騙り者に相違無い。悪いことは申さん、手をお引きになった方が良い」


 ジョンは眉をピンと上げ、白髪を逆立たせた。明らかに苛立った口調で、


「もうこんな暮らしは真っ平なのだ。私はともかく、子供達にまで苦労を掛ける。折角の機会を無碍には出来ぬ」

「連中はそこに付け込んでいるのです。俺も出来る事なら力を貸したいですが、この仕官話は、どうも怪しい」

「お主に何が解るっ。先刻から薄々感じていたが、お主は恐らく何処かの貴族、いや、それ以上の大身の生まれだ。裕福に育った世間知らずに、説教される筋合いはない」


 と、ジョンは座を立ち、そのまま壁の方を向いてしまった。リコが幾ら声を掛けても、啞のように黙ったままである。エルマーは一言詫びを残し、彼らの部屋から出て行った。

 

 それから暫くして、夜半、ジョンの家を訪ねてきた者がいる。御落胤一行のサモンであった。古長屋の隣室なので壁は薄い。エルマーは壁に耳を当てた。


「夜分遅くに失礼する。先程申した一件、目途は付きそうか」

「はっ。何分にもこの暮らし故、手の打ちようがなく」

「惜しいのう。あらゆる伝手を頼り、仕官せんとする者が沢山おる。それがしが訪ねてきたのは、お主の娘御、そして奥で寝ているであろう幼いリコ君の身を案じてのことだ。もう少し、あと金貨五十枚くらい用意出来んか」


 この世界の金貨一枚は、現代の日本で云えば二万円くらいである。そのような大金が、すぐに工面出来る筈もなく、ジョンは項垂れた。

 サモンは彼の苦悩を煽るように、一歩踏み出し、


「仕官を求める者達は世に雲霞の如くいる。若君は二、三日で此処を発つ。他人事とは思えぬので口出ししたが、急ぐことだ。では、それがしはこれで」

「わざわざ、ご足労掛けまして」


 サモンが扉から消えると、ジョンの考える声と、メアリーの小声が聞こえてきた。話題は矢張り、金子のことである。メアリーの勤め先の給金が支払われるのは、まだ先の話だし、ジョンの内職の給金を合わせても、到底足りないのである。

 エルマーが壁から離れると、部屋の奥で、月明かりの中に立つリコがいた。稚い笑顔で、知らない者から見れば少年とは思うまい。

 彼は、エルマーの横に座り、


「エルマーさんは、ずっと旅をしていたの?」

「そうだ。二十歳の頃に旅を始めたから、もう二年になるな。旅は良い物だよ。つい昨日までは知らない仲だったリコ君と、こうして話しているのだから」

「良いなあ。僕も旅に出たいな」


 と、リコは仰向けになって星空を眺めた。エルマーもそれに倣い、二人は並んで寝そべった。

 リコは暢気な口調で、


「僕なんて今すぐ旅に出て、世界中を見て廻りたいんだ。姉さんは駄目だって云うけど」

「ははは。そりゃそうだ。まだ、剣も使えないだろう」

「少しくらいは出来るさ。僕の身体に合わせた短い剣もあるんだよ。それよりさ、エルマーさんの旅の話、聞かせてよ」

「解った」


 と、エルマーはこれまで訪れた町や地域の思い出話を聞かせてやった。いつの間にか、リコは静かな寝息を立てていた。

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