それから二時間ほど後、エルマーが宿場町の入り口に差し掛かると、彼と同じく、一癖ありそうな浪人達が盛んに行き交っていた。そんな彼らの手を引く宿娘達の声も姦しい。

 エルマーは人波に揉まれながら、町の中央に行った。大抵、町の中央には命令や人捜しの紙を貼った掲示板があるからだ。掲示板の前も、かなりの人で犇めいている。エルマーが野次馬共の頭と頭の間から差し覗いてみると、一際上等で新しい紙に、


『布告:武芸練達ノ士ヲ求ム。此度、パス家御落胤様一行、領邦ニ御帰リ遊バス。以テ、家臣ニ錬磨ノ武芸者ヲ加ヘル御心ナリ。一廉ノ武芸ヲ持ツ者、御宿泊所ヘ参ルベシ。武術試問ヲ行フ。但:生国ト身元ノ明ラカナラザル者、試問行ワズ』


 と、大書してあった。それで、普段は閑古鳥が啼いていそうな汚い宿場が、浪人共で盛況というわけである。

 広場や大通りの至る所に出店が軒を連ね、合格祈願のお祈りだの合格指南の手帳だのを売る連中がいた。エルマーはそれを見廻し、商魂逞しい者達に呆れもし、感心もしていた。

 彼は人混みを避け、部屋が埋まらぬ内に宿を探そうとした。不意に、広場の一角がざわめきだした。喧嘩でもないらしい。子供の声が、人波の間を縫うようにして響いてくる。


「こんな、人の弱みに付け込む商売なんて辞めろっ。此処にいる浪人達は、皆必死なんだぞ」

「なんだと、このクソ餓鬼。調子に乗ってると引っ叩いてやるぞ」

「やってみろ。僕を撲ったら悪いのはお前だ」


 激昂した露天商が、棒を振り上げて、子供を打擲しようとした。しかしその腕は、振り上げたまま下りて来ない。飛び込んで来たエルマーに掴まれたのだ。

 店主は抵抗したが、藻掻けば藻掻くほど、彼の利き腕はねじれるばかり。エルマーは眉を上げ、


「辞めないか。相手は子供だ」

「だ、旦那には関係ねぇ話でぇ」

「今こうして関係した。それに、子供を撲るのはお前の仕事ではあるまい」


 そう言って、エルマーは店主を離してやった。いつの間にか、棒は奪っていた。衆人環視の中、何処から見ても横暴なのは店主である。彼はばつが悪そうに店を畳み、手負いの獣みたいにその場を後にした。

 エルマーは彼を見送ると、今度は子供の方に向き直った。薄茶色の短髪に鳶色の瞳を持つ少年である。憮然とした顔付きの少年は、幼さの残る表情で、


「ちぇっ。助けてもらわなくても良かったのに。余計なお世話」

「ほう、それは迷惑なことをしたな。迷惑ついでに悪ガキを家に送っていってやろう。家は何処だ?」

「良いよ、そんなことっ」


 と、少年はエルマーを振り切って走り出した。エルマーは、急いで彼の後を追った。広場から出て、暫く走り、薄暗い小路に入った。すると、彼の行く先に白髪交じりの男が立ち塞がった。

 男は少年を摘まみ上げ、怒声を放ち、


「リコッ。またお前は悪戯をしたのか。早くこの御方に謝りなさい」

「と、父さん。違うよ。僕はあくどい奴らを」

「おい、親父さん。本当だ。その子を離してやってくれ」


 エルマーは、父子の間に割り込むようにして言った。思いがけない言葉に、父親は眼を白黒させた。


 ――立ち話も失礼だと云う父親の勧めで、エルマーは彼の長屋に招かれた。そこで、広場での顛末を説明すると、父親は何度も礼を述べ、


「申し遅れました。私はジョンと申す浪人です。この子は倅。リコ、ご挨拶なさい」

「リコです……初めまして。さっきは、どうも」

「いや、倅は十歳になるのですが、最近、めっきり生意気になってきまして。親があれをしろと云えば嫌といい、これをするなと云えば逆らいます」

「父さん、余所の旦那に変な事吹き込まないでよ。恥ずかしいなっ」


 と、リコは顔を背け、唇を尖らせた。やがて、その場に居づらくなったのか、別の部屋に行ってしまった。

 それを見て、エルマーは微笑んでいたが、ふと、武芸者募集のことに話題を移した。貴殿は参加されないのか、と尋ねたのである。

 ジョンは力強く頷いた。


「今から応募しに行く所存です。この歳だし、応募者は無数にいる。狭き門ではありますが、私一人のことではないので、何とか頑張ってみるつもりです。それに」

「只今」


 と、玄関の方から弾んだ声がした。エルマーが顔を向けると、茶髪の若い溌剌娘が立っている。少し陽焼けした肌に臙脂色の唇が際立っていた。この家の娘である。

 「お客さん?」と彼女は、エルマーに視線をやりながら父に尋ねた。父の説明を受け、彼女は呆れ返り、


「リコったらまた生意気なこと云って。お客さん、弟がすみません。あたし、メアリーと云います。弟を助けて頂いて有難うございます」

「いや、何の。通り掛かっただけです」

「そう言えば、お客さんも浪人ですよね。試問は受けるんですか?」

「いや、俺は窮屈な宮仕えより、気楽な一人旅の方が性に合っている。第一、受けようにも身寄りが無いので、受けられん」


 と、エルマーが言うと、メアリーは花が咲くような笑顔を見せた。腕利きらしい彼が、老父の競争相手にならないからである。

 横にいたジョンは、娘のそんな姿を叱りつけ、やおら立ち上がった。御落胤一行の宿泊所へ行き、書類を出すつもりである。彼は、エルマーに、


「もし、お宿にお困りなら、向かい側をお使いなさい。こんな薄汚い長屋ですから、空き部屋ばかりです。では、私は出掛けてきます」


 と、言い残して立ち去った。

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