ぼんくら剣士

アラビアータ

御落胤の話

 水薙鳥が一羽、陽光を切って飛んだ。彼方には、紺碧に輝く海が見える。

 雲一つ無く澄み切った晴天の下、少し水を含んだ土道を、旅鴉や馬子が今日も行き交っていた。そんな街道の脇、梅若葉の下で、一つの影が起き上がった。

 鉄漿色の蓬髪を戴き、薄汚い木綿の服を纏った浅黒い肌の男である。歳は、二十を過ぎて間も無い。明眸を瞬かせ、締まりの無い欠伸を漏らしながら、彼は剣を杖に立ち上がった。男の名は、エルマーと云う。何処の家にも仕官せぬ浪人剣士である。

 エルマーは、旅に馴れているらしい。寝起きの、霞掛かったような鼓膜でも、せせらぎを聞き取った。近くを流れる小川に屈み込み、何の躊躇もなく顔を付け込んだ。すっきりと眼を醒まし、汚れを落とすと、意外に端正な目鼻立ち。


「腹が減ったな」


 と、エルマーは頭を掻きながら言った。懐から財布を取り出して改めた。殆どない。彼は弱り切った顔で溜息をついた。

 ふと、彼は道の脇に綺麗な財布が落ちているのを見た。食い物を見つけた野良犬のように顔を輝かせ、彼はそれに駆け寄った。


「うんうん。こんなに綺麗な財布なら、金貨くらいはありそうだな。楽しみ楽しみ」


 と、エルマーは滾る気持ちを抑え、それを手に取った。金を束ねていると思われたものは、スルルっと長い布に早変わり。ただの手拭であった。

 三日ぶりにまともな宿に泊まれると思っていたエルマーは、舌打ちしてそれを振り回した。すると、いま彼の立っている街道の向こうから、行列が近付いて来る。総勢二十人で、荷物持ちの小者や護衛に囲まれた中央には、白馬に乗った若者がいた。先頭には中年の剣客風の男が一人いて、周りに隈なく視線を送っていた。

 行列を横目に見送りつつ、エルマーは荷物に刻印された紋章を確認した。この王国は天領を除く宏大な領土を、三百の諸侯が封土として治めている。そして、いま行列が掲げている紋章は、此処ローグ伯爵領から、少し離れた封地を戴くパス家のものである。


 行列が過ぎ去った後、エルマーは道端に除けていた旅人に、


「不思議なものだな。なんだ、あの行列は」

「何だ、御武家様。知らないんですか。あれはパス家の御落胤という話ですよ」

「へえ、そうなのか」


 それだけで、エルマーは連中への興味を打ち切った。彼の一番の関心事は、訳のわからない御落胤よりも、今宵の宿のことである。

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