殉愛

つきみ。

夢は時として夢であるという感覚を忘れさせる。

きっと私は、これからどんな人と出会っても、この事を思い出してしまうだろうと思った。

「湊月。」

私の名前を呼ばないで欲しい。

私は貴方に振り向いてしまうから。

「ごめんね。湊月。」

私に向けて謝らないで欲しい。

責めたくなんてないのに貴方に当たってしまいそうになるから。


遥陽は夜中、特に理由もなく目を開けた。

少しばかりの眠気と、起きてしまったという感覚と。遥陽は目を擦りながら身体を起こした。隣に一人の女性が居たが、特に声をかけたりはしなかった。それは遥陽なりの気遣いだった。

遥陽はこのうつらうつらとした状況が嫌いではない。思考のない行動が好きだった。遥陽は冷蔵庫を開けた。小綺麗という訳でもないが、散らかっているという訳でもない冷蔵庫の中段に、無造作に一つだけ氷結が置かれていた。今日家で湊月と酒を飲んだことを思い出した。忘れていたわけでもなかったが。

少し多めに買ったから1つ余ったのだろう。

遥陽はこれを飲むことにした。この行動にも特に理由はなかった。プシュコン、という音がやけに大きい音で聞こえた。静かだったからだ。

今にも飲もうとすると、ぺた。ぺた。というフローリングの床を歩く足音が聞こえた。

「遥陽?起きたの?勝手に居なくならないでよ。隣に遥陽が居ないと、なんか寂しいよ。」

目を擦りながら湊月は言った。その姿が愛おしくて、今にもベッドに二人で戻りたくなった。でももう缶を開けてしまった。これで戻るのは少し勿体ない。

そうおもった遥陽は湊月に笑顔を向けてこう言った。

「おはよう湊月。ちょっと飲まない?ちょっとだけ。」

「えぇ?いいけど、一個残ってたんだ。」

「うん。残ってたみたい。」

形に統一性のない。雑貨屋でたまたま見つけた好みのデザインや絵のグラスをふたつ並べて、そこにお酒を注ぐ。

「乾杯。」と言って遥陽がグラスを湊月の方に差し出すと、湊月も「乾杯。」なんて言ってカラン。という音を立てた。

この「乾杯」にも、特に理由はなかった。

遥陽はこんな毎日が好きだった。湊月もこんな毎日を愛していた。

缶にして半分の酒、それでも真夜中にたまたま起きた2人を酔わせるには十分だった。

寝室に戻り、ベッドに座ると、遥陽が湊月の髪の毛をそっと撫でた。湊月は何も言わず、ゆっくりと静かに遥陽に口づけをした。少し恥じらいのある顔をしながら。

唇が離れると、遥陽はそのまま湊月を優しく抱きしめた。

「ダメだよ。酔った流れとか。」

「君からキスしてきた。好きだよ。湊月。」

そろそろ日が昇り始める。

湊月はそのまま時の流れに身を任せていた。

「私も。」

なんて言って。


目を覚ました。湊月は隣に人が居ないことを確認する。

うん。知ってる。

スマホのロック画面に映る遥陽は、いつものように笑っていた。

それを見つめていた湊月の顔は対比的に、今にも泣きそうな目だった。間もなく、液晶に雫が落ちた。

「はるひ…はるひぃ…」

湊月は泣いていた。遥陽はとても馬鹿な男だった。本当に馬鹿で馬鹿で馬鹿で馬鹿で馬鹿で馬鹿で、それでも愛おしい男だった。

最後の言葉はごめんねじゃなくて、ありがとうとか、好きだよとか。そんな言葉が良かったよ。

湊月は前に自分がそう言ったことを思い出した。それは嘘だった。いや、嘘ではなかった。湊月にとっては遥陽の【最後の言葉】なんてものはまだ考えていないものだった。これも嘘だ。少なからず、漠然と考えていたものではある。でも、まだ21歳の湊月にとって、遠い未来のように、そもそも訪れない未来のように思えていた。

現実は突然であることを、考えられる中ではかなり、寧ろ一番と言っていい程ショッキングな出来事で、湊月は学習することになった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

次の更新予定

毎週 木曜日 00:00 予定は変更される可能性があります

殉愛 つきみ。 @Tsukimisan_

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る