囀り
葉桜
一話(完結)
さえずる。
限りなく深い水槽のような空に呑まれる。
一杯の青が胸を詰まらせる。
いつの間にかこの生活も、すっかり私を染め上げてしまった。はじめは莫大だったその違和感が、大量の水で薄められているかのように少しずつ消えていっている。
思えばいつもそうだ。どんなに楽しくても、どんなに悲しくても、どんなに感動しても、気がつけばその感情の大きさは褪せて失われてゆく。思い出そうとしても靄がかかってうまくいかない。そのうち思い出そうともしなくなる。
そしてそれがたとえどんなに大きな出来事であっても___自分が自分でなくなるほどのことでも___その事実が不変であるということを、私は今、身をもって思い知っているのであった。
今この瞬間、自分が人間でないということを、信じられないほどにすんなりと受け入れてしまえるような、なにひとつ受け入れられないような、なんとも不思議な気がした。
すっかり姿が豹変した自分の、いつ消えてしまうかもわからない記憶に触れようとする。
歌が好きだった。趣味は他にもあったけれど、歌は特別であった。私の人生すべてを歌に費やしたと言っても過言ではないほど、のめり込んでいた。いつしかそれは夢というものに変わっていた。他の選択肢について考えることも特になく、私は歌に生きるのだという根拠のない確信があった。
迷わなかった。意思決定に時間はいらなかった。大変な道のりであるとわかるだけの頭は私も持ち合わせていたはずだった。狭き門であるとか、そんなことは誰でも知っている。
私の苦悩は、別のところにあった。
ただただ歌が好きであった私は、毎日練習に励んだ。練習とは、好きなことを好きなだけできる時間だった。それが苦しいわけもなく、歌詞やメロディを覚え、アクセントやブレスの位置を研究し、イメージを広げ、思うままに表現する。その過程の全てが、私にとっては至福のものであった。将来のために勉強をがんばっている友人たちが、とても不憫に思われた。好きなことをひたむきに頑張れば夢を叶えられるというのなら、それほど幸せなことはないように思われた。
中学校に入学して少ししたころ、電車で数十分のところにある養成所のオーディションを受けた。同い年くらいの子から大学生くらいの人まで、かなりの人数が集まっていた。全員が課題曲と自由曲を一曲ずつ歌い、基礎力があるか、伸びしろがあるかなどを審査されるものだった。
オーディションが初めてだった私は、何もかも見様見真似で、ただ必死で、けれどだからこそ、日々の練習の全てを、ただそれだけを見せようという気になれた。
そのこともあってか、私はオーディションに一発で合格してしまった。あまりにもすんなりとこの結
果を貰えてしまったので、何度も落ち続け苦しむ人の気持ちは今でもあまりわからない。いや、最後までわからなかったと言ったほうが正しいか。
そういうわけで、私はこのときから養成所に通うこととなった。週に四度のレッスンは、全て違う講師がついた。歌は正解のないものなので、好みなどで指導が偏らないよう、より多くの指導者からの指導が得られるような仕組みが整っている。
中には厳しい言葉もあったが、そう簡単に諦めるわけがないし、そういう言葉が自分を成長させるのだろうと思った。今まで自己流で練習を続けていたから、プロからの指導はこの上なくありがたかった。
直接的に関わる機会こそは少なかったが、先輩などの存在も非常にモチベーションに繋がっていたと思う。上を見ることは大きな刺激になる。憧れの気持ちと共に、あの人たちを超えて自分が頂点に立つのだという野望も併せ持っていた。
高校生になってからも、養成所には通い続けた。入学してまもなく、歌詞を書く練習をするよう講師の方に言われた。
講師の方が作ってくれたデモに合わせ、歌詞を書く。テーマ、情景を整理して構成をまとめる。メロディの音の数と、文字数が合うようにフレーズを考える。頭に浮かんだものとメロディのハマりが悪いと、そこは一から考え直しになる。作詞の勉強はしてこなかったので苦戦した。
一作目は、完成に一ヶ月ほどかかった。締め切りギリギリになってしまったけれど、歌詞をゼロから完成させた達成感は凄まじいものだった。
二作目、三作目と重ねるごとに、ほんの少しずつではあるが思うように言葉が出てくるようになった。歌うことに比べ慣れないことばかりであったが、表現したいことをひたすらに綴る時間は、やはり楽しかった。
いい時代だったな、と思って笑う。残念ながら、私の人生のクライマックスはこのころだった。
いつからだったかはもうとっくに忘れたが、私の歌詞からは、いつの間にか「私」が消えた。
歌詞を書き始めたころは、とにかく日頃から頭に浮かんだものを忘れないようメモにし、歌詞につづった。自分の世界を表現することにとにかく忠実であった。
それなのに、いつしかそれはすっかり変わってしまっていた。
人に愛される歌、と言えば聞こえがいいが、他人からの評価によって初めて価値が生まれる歌しか書けなくなっていた。
自分の感性に百パーセント頼ったまま成功を掴む人は、生まれつきなにかが違っているのだ。私にはそれがないから、普遍的な感情を歌詞に起こしてそれを認めてもらおうとする。受けたコンクールや事務所のオーディションは、私に知識と、刺激と、たくさんのものを与え、そして個性を奪っていった。
そして今、私はここにいる。
さえずる。
もうあのころのような歌は歌えない。私の鳴き声にメッセージなど込められていない。
しかし、時々足を止めて鳴き声に聞き入る人がいる。どこに鳥がいるのかと、きょろきょろと探す人がいる。美しい鳴き声だね、と笑い合う人たちがいる。
人々にとっては、鳴く鳥がどの鳥であろうと構わない。美しい声の正体など、だれも気にしない。
そうだ。だれだってよかったのだ。良い評価を受け、大衆に認められる歌詞と歌で表現したいのなら、私でなくとも、だれだっていい。
歌を純粋な心で愛し、その心を歌詞に投影していたころは、私の言葉で、私の声で歌うことにこそ意味があった。けれども、今はもう違う。
歌をだれかに聞いて素晴らしいと思ってもらいたいというだけなら、鳥の鳴き声だって、別に変わらないじゃないか。
私が今、前のような人間に戻っても、なにか違った、意味のあることができるとは、到底思えなかった。
それなら、鳥でいい。なにも思い出すことは無い。このまま歌えばいい。
吸い込まれそうな空の青が、私の声を遠い彼方へさらっていく。
囀り 葉桜 @Na731zu2007
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