第16話 三択スープ

 ふわふわの巻き毛を太い三つ編みにして丸眼鏡を掛け、何でも許してくれそうな包容力のある微笑みを浮かべている彼女は確か、


「魔法料理学のエリカ先生?」

「あらあ、私のこと知ってるの? 嬉しい」


 よかった、初日に顔を頑張って覚えた甲斐があった。魔法料理学は魔獣の肉などの特殊な食材を使った料理や食べ合わせを研究する学問だ。興味はあったものの、スノウ様が同じ時間に別の授業を取ったので僕も取っていない。


「こんにちは、先生」

「ハーイ、ジュリちゃん」


 ジュリは授業を取っているらしい。三つ並んだ寸胴鍋の後ろで柄の長いレードルを片手に持ったまま、エリカ先生はひらひらと手を振った。


「思ったより来るのが早いから、先生慌てちゃった。さすが優等生チームねえ」

「……あの、ここが二つ目のチェックポイントで合っていますか?」


 あまりにものほほんとした空気が流れているせいで、ミーシア嬢が思わず訊ねた。


「そうよ。課題はこれを食べること」

「食べるのが、課題ですか?」


 指さされた具沢山のスープは、よく見ると鍋ごとに具材が少しずつ異なるようだった。


「一つ選んで食べていってね」

「……やっぱり何か魔法効果が得られるんですか?」

「それはお楽しみ!」


 嫌な予感しかしない。先生の授業を受けているジュリが一番遠い目をしているところを見ても、たぶん適当に選んだら痛い目を見るやつだ。


「……あの、お腹が痛くなったりはしませんよね?」

「それは大丈夫。ハズレを引いても、ちょっとバッドな感じになるだけだから」


 バッドな感じって何だろう。


「でも、大当たりもあるから頑張って!」


 つまり入っている具材や香りからハズレを見極めろということだ。授業を取っていなくても入試の時点で基礎知識くらいは勉強するので全く知らないということはないが、どう見てももっと専門的なものが入っているように見えた。


「ジュリ、わかる?」


 ミーシア嬢がひそひそと訊ねる。公爵家のお嬢様はそもそもご自身で料理なぞしないだろうから、普通の具材すらよくわからないのではないだろうか。ちなみにスノウ様は、ここまでの疲れもあって既に諦めた顔をしている。


「具を確認してもいいですか?」

「どうぞ。火傷しないようにねえ」


 はい、と渡されたレードルを手に、ジュリは真剣な表情でスープの具をチェックしていく。


「ハズレさえ選ばなければ大丈夫だから。誰もジュリを責めたりしない」


 いつもの高圧的な雰囲気がなりを潜め、完全にジュリに選択を委ねてしまっているところを見ると、ミーシア嬢はどうやら本当に自信がないらしい。学問なら何でも精通しているのかと思ったら、意外な弱点だ。


「ベースは同じみたいです。なので共通していない食材の効果がわかれば……」

「知らない食材は入ってる?」

「ええと……」


 ジュリが丁寧に確認したところ、一番左は良くも悪くもない普通のスープで、真ん中と一番右の鍋に見たことがないキノコが入っているそうだ。つまりどちらかが大当たりでどちらかがハズレということになる。


「これって、班員みんなで同じスープを選ぶんですか?」


 話し合う必要があるか訊ねると、先生は首を振った。


「ううん。バラバラに食べるのもアリよ」

「じゃあ、私は一番左をいただきます!」


 まずミーシア嬢がサッと選んだ。どんな効果が得られるかわからない大当たりを二分の一で選択する博打はしたくないらしい。


「はい、エーレンベルクさんは一番左ねえ」


『こういうのって性格が出るから楽しいのよね』と不穏なことを呟きながら、エリカ先生は手際よく器にスープをよそい、ミーシア嬢に渡した。


「麓でお弁当を貰ってるでしょう? そこのテーブルで休憩していって」

「ありがとうございます」


 ミーシア嬢は空き地に点々と並べられたテーブルの中から適当に選んで座り、背中のリュックサックからお弁当も取り出した。が、まだ手を付けない。全員席についてから食べるつもりのようだ。お行儀が良くていらっしゃる。


「これも、当たりを選んだら加点が貰えるんですか?」

「もちろん。大当たりは五ポイント、当たりは三ポイントあげちゃう」


 さすがに鬼神とのバトルより加点は低いものの、ないよりは良い。どうせならまたスノウ様に最高点を献上したいところだが、罠には反応してくれる便利な魔力探知の魔法も、このスープは魔法料理であるということがわかるくらいで特に効果は得られなかった。かくなる上は。


「うーん、じゃあ僕、真ん中を選びます」


 白っぽいキノコが入っているほうだ。見た目は美味しそうに見える。


「えっ! もしハズレだったら……」

「その時は、スノウ様とジュリが一番右を選べば大当たりですよ。まあ、毒じゃなければ大丈夫です」

「あらあ、大胆。そういう子、魔法料理学に向いてるのよ。二学期からでも、私の授業取らない?」

「検討します」


 エリカ先生は嬉しそうに僕をナンパしながらスープをよそった。毒味のために行儀悪くその場で一口食べて、


「うぇ、苦い」


 舌の上に広がるなんとも言えない苦みに思わず口を押さえた。見た目と匂いが美味しそうなだけに、味とのギャップで少し混乱する。


「ハイドくん、大丈夫ですか?」

「うん。二人はやっぱり、一番右を選んで……」

「身体張ってくれてありがとう……」

「ハイドくんの尊い犠牲、忘れません!」


 そして二人は一番右の鍋の前に並んだ。


「はい、どうぞ。ジュリちゃん、授業で教えた食材をちゃんと覚えてくれていて、先生嬉しい」

「じゃあ、このキノコはまだ習ってないんですね」


 授業で習ったものを忘れてしまったのかもしれない、先生に申し訳ないという顔をしていたジュリが、ようやくほっとして笑顔になった。


「疲労回復効果があるの。次の授業で詳しく教える予定よ」

「わかりました!」


 そうして二人が無事に五ポイントのスープを受け取り、ミーシア嬢の待つテーブルに向かおうとした時だった。


「ちなみにハイドくんのスープに入ってるキノコは、植生が違うせいで味と色が違うけど、大当たりと同じ種類で同じ効果があるキノコなの」

「え? じゃあ、つまり……」


 自然と、僕たちの視線はミーシア嬢に移った。


「まさか、私のスープがハズレ!?」

「言ったでしょ? ちょっとバッドな感じになるだけって」


 うふふと笑うエリカ先生。体調じゃなくて気分の問題だったか。


「そんなー!!」


 この学校の教師はみんな性格が悪いのかもしれない。ちなみに落胆しているミーシア嬢からハズレを少し分けてもらったところ、普通に美味しい普通のスープだった。







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