第15話 良い匂い
中心に亀裂が入ったゼッケンは傷を中心に赤色に変わっていて、一瞬血が出たのかと思った後、『そういえば色が変わるって言ってたな』と思い出して安心した。槍で刺されたにもかかわらず、服が破けただけでオーリー先生の背中には傷一つなかった。どんな強化魔法だ。
「つ、疲れた……」
課題をクリアしたことがわかったとたん、まずジュリがへなへなとその場にへたり込んだ。ミーシア嬢も悔しそうに顔を歪めながら、膝に手をついて息を整えている。そしてスノウ様はというと、僕が先生の背中を確認しているのを槍を杖替わりにしながら眺めていたと思ったら、ふらふらぱたりと静かに倒れた。同時に槍も消滅した。
「スノウ様ー!?」
僕は先生そっちのけで慌てて駆け寄る。
「大丈夫……。ちょっと気が抜けただけ……」
「頑張ってましたもんね。お疲れ様です」
意識はあるが、しばらく休憩した方がよさそうだ。
「……ありがと、サポートしてくれて」
「もったいないお言葉です」
スノウ様はしんどそうに目を閉じて、ぼそりと言った。何でもわかっていらっしゃる。
「はあ、俺も疲れた。三分は長ェな、次の班から二分にしよう」
オーリー先生は地べたに座り込んで胡坐を搔き、またタバコに火をつけた。なんだか他の班に悪いことをしてしまった気がする。
「ハイド、お前まだ余裕があるな。ゼッケン替えるのを手伝え」
「はい」
懐からゼッケンの替えを取り出した先生は、受け取るべく手のひらを差し出した僕をじとっと見下ろした。
「何でしょうか」
「最後の、本気で俺を殺す気だっただろう」
先生はきっと、僕たちが攻撃するならゼッケンだけだと思っていたことだろう。実際、ミーシア嬢とジュリは律儀にゼッケンを狙っていた。当たる場所がはじめからわかっている攻撃を避けるのは容易だ。そしてスノウ様の攻撃も急所を外した牽制がほとんどだ。戦場で命のやりとりをしてきたオーリー先生にとってはぬるい攻撃だったに違いない。
「いやー、ははは」
ならば本当に殺すつもりで急所を狙ったら、危険度の低い相手のことは一旦頭から除外してくれるのではないかと考えた。
「当たってたらヤバかったぞ」
「すみません」
へらへら笑う僕を見て、先生は呆れていた。
ヤンさんからは武術や体術だけでなく、それを使いこなすために必要な戦いの心得も習った。中でも一番役に立っているのは、『やる時は躊躇うな』という教えだ。戦場では一瞬の躊躇が生死を分けることがある。自分の命を守るためには時に他者の命を奪う覚悟が必要だと、ヤンさんは常々言っていた。万が一また誘拐された時のことを考えてくれていたのだと思う。
「先生なら絶対に避けると思って、安心して狙いました」
「おう、嬉しいこと言うじゃねえか」
オーリー先生の実力を信用していたからこその本気の殺意だ。もちろん先生は応えてくれた。反射的に手が出そうになったのを、自分からは手を出さないというルールを思い出してぎりぎり踏み留まってくれた時には内心で冷や汗を掻いた。しかしスノウ様なら、その躊躇った一瞬のチャンスを見逃さないと信じていたので、引くわけにはいかなかった。
「次代の【ホラントの氷】の従者はずいぶん忠誠心が高いらしい」
「恐縮です」
さすが先生、僕がスノウ様にポイントを取らせようとしたことも気付いていた。
スノウ様の回復を待ってから全員の状態を確認し、次のチェックポイントまでの作戦を話し合う。今のところ一位なので、場合によっては歩きやすい道を選んだほうがいいのではと思ったものの、
「まだいけますっ」
「ええ、私も大丈夫」
「頑張る……」
ということで、ベストを尽くすタイプの負けず嫌いたちは満場一致で険しい道を選んだ。
オーリー先生に別れを告げてまた山道を歩くことしばし、
「この先が噂の崖ね。慌てず慎重に行きましょう」
話に聞いていたとおりの切り立った崖が現れた。幅は五十センチくらいだろうか。辛うじてまっすぐ前を向いて歩けはするものの、油断すれば足を踏み外しかねない。兄がおすすめしないとしきりに言うわけだ。
「さすがにここには罠はなさそうですね」
「あったら抗議よ」
一列に並んでおそるおそる難所をクリアしたら、二つ目のチェックポイントはもうすぐだ。
「……次は体力のいる課題じゃないといいな……」
スノウ様がだいぶお疲れだ。オーリー先生はかなり特殊な部類だと思うので、次はまともな課題だと信じたい。
すると辺りを見回していたジュリが、空を指さした。
「あそこ、煙が上がってませんか?」
確かに、森の木々の向こうに細く煙が上っているのが見える。
「あっちって、ちょうどチェックポイントがある方角よね?」
「山小屋みたいな目印がないから、場所を教えてくれているんでしょうか」
僕たちは顔を見合わせ、不思議に思いながらも煙の上がる方に向かった。すると、
「良い匂いがする」
「料理してる……?」
確かにそろそろ昼食時だ。そう思ったらお腹が空いてきた。他の三人も似たような気持ちのようで、急に疲れを自覚し始めた顔をしている。
そして料理の匂いと煙の出所を辿って着いた空き地には、
「あらあ、いらっしゃい。疲れたでしょう、お昼ご飯はもう食べたかしら?」
寸胴の大鍋でぐつぐつとスープを煮込んでいる、おっとりとした雰囲気の女性がいた。
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