第2話 抗呪術IT部門の失葉くん

「や~呪い返しですか」


 安倍あべ晴明はるあきが、苦笑いをして青い顔を見た。盆も終わったというのにそういうことがあるなんて不思議なことだ。と、新人の頃だったら思っていたことだろう。


 もう残暑の季節だというのにあまりにも外が暑いため、相棒の失葉しつはには店内にいてもらった。本人が自称するほどの礼儀知らずで、実際、相談者の目の前でも普通にスマートフォンをいじってしまう程度には遠慮がない。そのため他の客を装って、隣の席にいてもらった。


 相談者と会い、名刺から安倍晴明あべのせいめいと間違われるいつものくだりを終え、ただのオッサンとがっかりされてから、話すうちにどうやら頼れそうだと相手が姿勢を正す。そして、今に至る。


「やはり、呪いに手を出すべきではありませんよ。あ、言われなくても分かってるって顔をしてますね」


「……」


「まぁ、法律では裁けませんが、罪、といいますかね。悪いことをやってしまったのはご自分でよく、分かりますね?」


「……はい」


「うんうん。それはよかった。ちなみに、ちょーっと怖い話なんですけどね、もし効かなかったら、次はどうしましたか?」


 青い顔に少し血色が戻る。こうした復讐が叶うときは、想像するだけでも嬉しくなるものなのだろう。


 呪いの専門とは、悪意の専門でもある。そうと知っていたらきっと別の道を歩んでいただろうと、この表情を見るたび安倍は思うのだった。


「人形を……つ、使った人形を送って、こっちの意思を……」


 言葉は途中で途切れた。みなまで言えない気弱な性格なのだろう。


 呪いの加害者は、得てしてこういう人が多い。本当にヤバい人間というものは、自分の手でやり・・に行く。それができないからこその、呪い頼りだ。


「であったら良かったですよ~、そこまでいかなくて」


「な、なにか……あるんですか? 命に係わる呪い返し……とか」


「いえ、そういう物的なものがあると、犯罪として成立しちゃうんです」


「え……」


 青い顔が更に青くなる。これで名前が青井あおいというのだから冗談みたいだ、と安倍は――失葉も――思った。


 目前の唖然とした顔に対し、いかにも渋い顔をして額をトントンと叩きながら言葉をつづけた。


「えぇっと、まず傷害罪があるでしょう? あれって、結構範囲が広くてですね、相手をこう、物理的に傷付けちゃうだけじゃないんです。精神的に追い詰めちゃうのもあるんですね〜」


「で、でも、ほら、恐喝とか……」


「恐喝は相手を脅しちゃって、それでお金とかを要求すればそうなります。なので、人形を送った上でお金とか寄越せ〜なんてしちゃったら恐喝です。でも今回の場合、相手が具合悪くなっちゃうまで色々しちゃうでしょう? そしたら、ほら、PTAになっちゃうでしょう」


「え?」


 隣で失葉が啜ったコーヒーを吹き出し、咳き込んだ。違ったことは分かったものの、ついに正しい方は思い出せないでいた。


「えぇっと、ちょっと違うかもしれませんが、トラウマ的なアレですよ。法律の方のね、専門用語で『無形的な方法』というものがありまして、こう、生活がうまくできないほど精神がやられちゃったりしたら成り立っちゃうんです」


 安倍は「そして」と指を組み、少し身を前に乗り出した。


「そこまで追い込むことが、呪いの目的でしょう? 世間じゃまだ、呪いがあるかどうかがハッキリしてませんが、その悪意だけは、誰の目からもハッキリあると見える。危うく有罪確定でしたよ~、青井さん?」


「あ……あの……トイレ行っていきます……」


「あぁ。どうぞどうぞ~、おかまいなく」


 気分が悪くなったのだろう。可哀そうだが、二度と同じ過ちを犯させないためには大事なことだ。


 不意にスマートフォンがブルブルと震えた。話したければ通話しようと、失葉と決めていた。相談者に対するただの気遣いだが、スパイ映画みたいだと安倍はちょっとワクワクしていた。


「PTSDですよ」


「あ、そうそう。そうだったね」


 開口一番で直され、安倍は頬をかいて照れた。


「ていうか、どうしてメカニズムとか説明しないんですか? どうしてダメか、分かった方がいい気がするんすけど」


「うぅん。ちょっと難しいことですが、呪いが技術だって知らず、まだ神秘だと思っている人には、教えない方がいいんです。銃の使い方に失敗した人に、撃ち方教えちゃうようなものでしょう?」


「あ……そうっすね」


 そもそも、神社の樹に釘を打っている時点で器物損壊罪が成立する。が、それはなるべく伝えず、できるだけ訴えないよう神主にお願いしていた。


 痛い目を見れば大抵の者はやめる。とはいえ前科が付いて追い詰められると、失うものが無くなったと早まり、呪詛へ傾倒し、厄介な呪いを振り撒きかねないのだ。


「……そうだ。じゃあ、失葉くん。ちょ~っとド忘れしちゃったから、ちょ~っと教えてくれません? なんで呪い返ししちゃうんだったかな~……」


「く……」


 チラと横を見れば、失葉が苦虫をかみ潰したような顔をしている。安倍は心で失葉の顔に「言うんじゃなかった……」という吹き替えをして、ひとり微笑んだ。


「……気持ちが折れるから、でしたよね。丑の刻参りなら、七日間呪いを溜め続けて、それを送り付ける。でも、途中で止めてしまうと、作った呪いがどこにも行けずに自分の中で、とか」


「お、いい感じですね~。もうちょっと詳しくいけますか?」


「……」


「いいですよいいですよ。最後に説明したのずいぶん前ですし。失葉くんはね、どっちかっていうと心霊・・で、しかもデータ主義って感じですからね。何回でも説明しますから、何回でもね、聞いてくださいよ」


 安倍は話し始めの儀式としてコホンと咳払いのフリ。それから、語り始めた。


「まず、丑の刻参りのおさらいですが、あれは牛の刻に、木へ藁人形を打ち付け、それを七日間。憎しみを貯めて貯めて、呪いとしてどーんっとやる……っていうのが、一般的な理解です。よくできましたね。まぁ牛がうんぬんのところはもう、世間でも忘れられちゃってるみたいですけど」


「牛……?」


「いやまぁ牛さんは置いといてですね。そもそも、丑の刻参り以前から効果のある呪いはあったんです。大切なのは儀式自体じゃなくて、その思いの方なんですねぇ。呪ってやるって思うくらい強い憎悪は、いつでも精神的な、目に見えない攻撃に転じることができる。つまり――」


 通話だというのに安倍は、目の前に人がいるように指を立てた。


「――呪いにするって決めた時点で、〝憎悪は呪いに変わる〟んです。つまり呪いは〝儀式より前に成っている〟んですね~」


「あれ、じゃあ丑の刻参りは……」


「そこです。どの儀式にも、相手を念じるって手順は欠かせないじゃないですか。だからね、念じ続けて、〝もうできている呪い〟を送り付けるの。その送る手順が、呪いの儀式の本質なんですよ。つまり呪い返しはですね、憎悪を呪いにしちゃってから、気持ちが折れて送り付けるところができなくて、自分の中に残し続けちゃったことで起こるんですね〜」


 人に説明することが楽しくて、安倍の解説は止まらない。


「で、実は呪いを作る業と送る業って完全に別々で、送る業が未熟だと全部を送り切れずにちょっと、ひょっとしたら半分くらい残っちゃう。これが『人を呪わば穴二つ』の正体だったりするんですね。あ、ところで、この話を聞いてて、お、って思ったんじゃないかと思います。……思いました?」


「思ったというか、思い出したというか。そもそも何もしなくとも――相手を憎み、呪うと決め、相手を想い続けるだけで、身動きゼロで呪えちゃう、でしたよね」


「そう。それ、正解です。一ミリも動かなくたって理論上は呪えます。でも、いいですか。やられた〝行為〟を思い出して憎むことは――悲しいけど――自動的にできちゃうんですけれどね、やった〝相手〟を想い続けることが、とんでもなく難しいんです。ちっとも邪念が入っちゃいけない。あ、もともと邪念か……」


 角度的に、失葉からよく見えないであろうに、安倍は困った顔になった。


「人間ってヘンなもので、行動が伴っていない思考は、す〜ぐに霧みたく消えてしまいます。相手を想うためだけに、儀式の手順を実行しているといってもオッケイでしょう。なのでヘンな話ね、最近使われてる、意味ないけどやっちゃうって意味の『儀式』の方が、呪術においては本質的なんです。考えるから思わず行動し、行動するから考えが持続する」


「それで、『ルーティン無しで相手を想い続けられることが、呪いの才能なんですね~』でしたっけ」


「あ、そこまで思い出せました? そうそう。そういうことなんですね~」


 嬉しそうにする安倍の横で、失葉は中空を見上げ、以前の加害者であった美容師を思い出していた。


「……思ったんすけど、じゃあ、相手の髪とか爪とかいらなくないっすか?」


「うん。別に要らないよ?」


 あまりにもあっさりと言うので、スマホを耳に当てたまま失葉は安倍へ向く。


「でもね、苦労して手に入れたものほど、達成感がある。今から呪うぞ~って気合が入り直せばね、相手を想う気力になるんです。その人の持ち物なら、その人のことを連想しやすいですし。あ、そうだこの話したっけな。実は呪いと幽霊って……」


 ブツりと通話が切れた。何かと思えば、相談者の青井が戻ってくる所だった。


「えぇ、えぇ、どうも、どうも、は~い、はい……」


 下手な相槌を打ちながら電話を切った。


「いやぁ、すみません、急に電話がねぇ」


「…………」


 青かった顔が、これ以上にないほど青い……というより、真っ白になっていた。


「おや? どうしました? もしかして、警察からお電話とか……」


「いや……あの……」


 彼はワナワナとトイレを指さした。


「お……おばけ……幽霊……って……呪いの……?」


 思わず失葉と顔を合わせ、共に立ち上がった。相談者はふたりを見比べ、それに対し安倍は両手を合わせて謝った。


「いやすみません。お気を遣わせちゃいけないので、実は相棒が隣にいまして、口は固いので通報とかはしないとお約束します」


「は、はぁ……」


「それより、幽霊とは? どんな様子でした?」


「お、女の人が、個室に立ってて、横に……横から見てたんです……」


「なるほど。ちょっと来てくれます?」


「や、いやですよ!?」


 拒絶する彼の両肩へ、安倍ががっちりと手を置いた。


「ま、ま、私たちがついてますから。幽霊は、あなたの中の呪いに反応してるんですよ」


「で、でも……」


「じゃあ、青井さん。こういうのはどうです? 協力してくれたら、その呪いがかなーり楽になるおまじない、してあげますよ」


「ほ、ホントですか……?」


「悪いことをしようとした罰としてほっとこうと思いましたが、青井さん、もうたくさん反省したでしょう? ですから、あとこの一押しっ。ね?」


 人畜無害のオッサンしかできない顔に、青井は恐る恐るながらも口を結び、深く頷いた。


「いよ! オトコですねぇ。あ、いまこういうのダメなのか。まぁいいや。ではね、私と彼が先導しますからね、青井さんは後ろから付いてきてください」


「は、はい……」


 三人でゾロゾロとトイレに向かう。扉の前に着くなり、安倍が呟いた。


「いや~、ちょっと前の霊ですよね。少なくともこの店が立つ前の……」


「え、分かるんですかそんなこと?」


 青井が期待に目を輝かせ、血色を回復させた。


「あ、いえいえ。だって男子トイレですからね、ここ」


「あぁ……」


 青井の血色が元に戻った。


「さ、失葉くん。いいですか?」


「ちょっと待ってください」


 失葉はカバンから、ひとつの古いカメラを取り出していた。彼いわく、とあるゲームから着想を得て、インスタントカメラを買い、それを古めかしいように塗装したり、フレームを少し改造したりした一品だ。


 ゲームや漫画からアイデアを得て実行するのは青いと思っていたが、それでしっかり結果を出しているのだから大したものだ、と安倍は評価していた。最近では、呪術師の漫画にハマっているのだというので、また新しいガジェットを作ってくれるんじゃないかと期待している。


「か、カメラって、『壱』じゃあるまいし」


「あ、やってるんすか? 名作っすよね」


「い、いや、そういうことを言ってるんじゃ……」


 安倍がどうなだめようか考えていると、失葉がカメラを、ぐっと青井へ向けた。


「そもそも、どうしてあのゲームでカメラが幽霊を閉じ込められるのか……ご存じっすか?」


「いや……でも、ほら、心霊写真とかあるし……」


「そう。心霊写真。あれが元ネタっすよね。で、心霊写真なんすけど、人が幽霊を見たという目撃情報より、最近じゃカメラが幽霊を写す割合の方が高い。どうしてだと思います?」


「……み、みんながカメラを持つようになったから、とか」


「惜しいっすね。それも大事ですがもっと単純です。――霊を視る能力が人間より優れてるから、なんすよ。いままで撮った写真、見てみます?」


「い、いや……分かった。信用する……。だ、だが、どうして安倍さんじゃ……」


 そう言われ、安倍は後頭部を掻いた。


「いやぁ実はね、人からこぼれた呪いは対処が難しいんですよ。ただでさえ成ってしまった呪いは消すのが難しいのに……あ、出ました出ました」


 砂浜から蟹でも出てきたように、安倍が指さした。そこには、うすぼんやりとした白いモヤがあった。


「あ~れ、さっきもこんな感じでした? 女性……かなぁ」


 こんな状況にあってしても冷静、かつ、柔らかい雰囲気を保つ安倍に、叫ぶため肺いっぱいに貯えた空気を、吐息に全て使い切った青井だった。


「な、なんでそんなに冷静なんですか?」


「うぅん。初めてインフルエンザとかになったらビックリすると思いますが、二回目以降は別に、嫌だなぁって思うけど、うわぁ死ぬかもっとはならないでしょう?」


「はぁ……」


「じゃ、失葉くん、よろしくお願いしますね。あ、で、さっきの話の続きなんですけど――」


 オッサンのちょっと嫌なところである、語りが長い部分までオッサンであり、青井は妙に気抜けした。


 だが安倍の内心は、あまり穏やかではなかった。呪いは呪いを寄せる。それは誘発するとか、それだけの話ではない。


 あまり近づけすぎたり、霊に意識を集中させすぎると、実際に引き寄せ、青井という器に入り込んでしまうのだ。看護師が採血のとき、迷走神経反射やそれに伴う失神を起こさないよう話しかけるように、呪いで霊を具現化させ、かつ霊への集中力をそいでしまう。その間に、失葉に処置をお願いする。


「――ふつう、のろうときいわうとき、つまりまじないをかけるときには、相手を想うものです。ですが幽霊というのは、想うべき相手がいない。ですから、呪いと幽霊のたもとが同じだとしても、それに対処する専門は違うんですよ。相手を想わなくていい分、実は失葉くんの方が得意だったりしまして……」


「袂が同じ……?」


「えぇ、幽霊とは即ち、人という器を失った呪いなんです。効果が消えるまでは、死んでも残り続けちゃう。完全にほっとけば消えますが、他人の呪いから力を得て残り続けるものもあるんです。いま対応しているのがそのタイプですね〜。トイレは誰でも入るでしょう」


「…………」


 青井が黙ったタイミングで、失葉が後ろから顔を覗かせた。


「あ、終わりましたよ」


「え……」


「ほら、写ってる」


 インスタントカメラから現像された写真を見せる。現像剤がすっかり馴染んだその写真には、明らかに不自然なモヤが映っていた。


 青井がトイレを覗き、安倍も覗く、その後ろの方で、不審な三人を恐る恐る店員が覗いていた。


 トイレの個室には、もうモヤがない。


「ほ、ホントに消えてる。凄い……!」


「でしょう? ウチの失葉くんはもう将来有望で。新しい機械とか作ってくれないかってワクワクしてるんですけどね」


 どさくさにまぎれた希望を無視して、失葉は店員に話しかけに行く。


「あ、店員さん。悪いっすね。ちょっと除霊しました」


「じょ、除霊……?」


「別に、なんか撒いたりしてないんで安心してください。勝手にやったんで料金とかも要らないっすよ」


「は、はぁ……」


 安倍はちょっとショックを受けた顔をして、それでも青井に微笑みを向けた。


「ところで、青井さん、何か気付くことないですか?」


「え……髪とか……?」


「そうそう、暑いから思いっきりすいてもらったらこんなに薄く、ってこらこら~っ。……ね~……」


「ふ……ははは……」


 滑ったことに対する愛想笑いではなく、ただ静かにツボに入った、大人しい笑い声だった。


「お、効いてますね~」


 まじないが利くことはいつでも嬉しいが、そのリトマス試験紙となるのが自分の全力おちゃらけであることに、切なさを感じていた。


「それが呪いが楽になるおまじないです。お箸が転がっても面白いので、笑っちゃいけない瞬間だけは頑張って耐えてくださいね」


「は、はい……ふふ」


「さ、そろそろ行きます。えっと、これがカフェ代で……」


 財布から失葉の分を合わせ、二千円を抜いて渡す。素早く手渡したいが、過剰に多くて遠慮させないよう、一人当たり千円弱、キッチリ飲み食いするのが安倍と失葉が持つ暗黙の了解だった。


「あと、名詞の裏にね、失葉くんが作ってくれたQRバーコードありますから、もし、ちょっとお財布があったかい時とかね、千円とかでいいので寄付をしていただけたら嬉しいです」


「QRバーコード……ふふは……ぜ、ぜひします」


「ありがとうございます。ほらほら、失葉くんも」


「え、ああ、どうも」


 失葉は簡単に会釈した。それに対して安倍はいつまでも、小刻みに空間を刻みつつ、青井にお礼をしながら退店した。


 外は暑いが、まだ冷えた身体のおかげで、しばらくは快適そうだ。


「安倍さん」


「はいはい、なんでしょう?」


「QRコードっすよ」


「QRコード……はい」


 ピンと来ていない彼に、失葉は微笑んだ。


「さっきQRバーコードって言ってましたよ。バーコードは、長い棒で出来た古いヤツです」


「あらら、いや恥ずかしい。なんだかそこ、いっつも間違えちゃうんですよ、ぼくは……」


 ホームセンターに良さげな懐中電灯があれば買ってしまうクセ、機械の扱いがてんでダメな安倍に、失葉はいつも呆れていた。


「なんつーか、いままでいなかったんです? 機械で呪いとかに対応するの」


「いやぁ、やっぱり呪術って厄介ですからねぇ。術があんまり関係ないって分かって来た最近だからこそ、色々と情報共有するようになりましたけどね。以前はもうね、この術が世に出たらヤバいっ、みたいにみんな秘匿しちゃったの。そしたらおまじないと機械の両方に強くないといけないわけだけど、いま聞かないってことは、いなかったんだろうねぇ……」


「へぇ……」


「いやだからね、失葉くんがもう、すごいアレですよ。新しい風、ね、起こしてるんですよ」


「……そうっすか」


 失葉はわざとらしくムスッとして前を向いた。照れるのはダサい、なんて思っているんだろう。


「ところで、連絡はまだっすか?」


「あ、そうだったそうだった。えーっと」


 安倍がスマホを取り出す。


「あ、どうもどうも、抗呪術エンジニアの安倍です~。はい、除霊の件で、また写真を撮りまして……」


 連絡の先は、除霊師だった。


 失葉の発明によって除霊師を現場へ呼ばなくてよくなったものの、急に呪いが消滅することはない。安倍ほどの手練れになれば呪いを解くこともできるが、彼は人という器に収まっているものが専門であった。呪いを解く業を広く伝える神社でさえも、大幣おおぬさへ穢れとして移し、水に流してしまう。そういう点では、幽霊はもっとも厄介な存在ともいえる。


 写真に宿った呪いを、託す先が必要だ。


「……えっ!? 今日はむりぃ!?」


 安倍の声に、失葉と数人の通行人が振り向いた。


「あ、明日……は~。あ、いえ、すみません、ええ大丈夫です。はい……では明日……」


「……今日はいないんです?」


 失葉の問いに、安倍は苦々しい顔で振り向いた。


「台風でお盆の帰省から帰れなかったって……」




「いやなんすか」


 安倍からの電話に、脱衣所で上半身裸のままで失葉が眉を潜めた。


「いや、大丈夫かな~って思いまして……お酒もすすみませんよぉ……」


 彼は何度も、それはもう何度も「今日は家に行こうか」と訪ねてきた。が、失葉としては仕事の上司が家にまで来るのはごめんだった。


 幽霊が収まっている写真もまた、失葉が持っていた。安倍に対応出来なければ、自分が対応するまでだ。


「それは安倍さんが心配し過ぎっすよ。前の電話から一時間もたってないじゃないっすか」


「あらら、ごめんなさいね。あ、そうだ。この間ね、撮ってたあの心霊写真、通ってましたよ」


「あぁ、そうすか」


 撮った写真のコピーを心霊番組や雑誌に送って、その賞金を貰うことも、業務の一つになっていた。意外と馬鹿にならない収入のひとつだ。


 ふと時計を見る。時間・・までは、まだ少しありそうだった。


「さっきの話、聞いてて思ったんすけど」


「はいはい、なんでしょう?」


「霊がほっとけば消えるなら、どうして人がいない廃墟に霊が残るんですか?」


「あぁ、それはですね、廃墟に幽霊がいるって噂があるからですよ」


「……幽霊がいるから誰かが来るんじゃなくて、誰かが来るから幽霊が残り続けるんですか?」


「そうです。そういうところに行く人には、強い呪いをもつ方が多いですから」


「へぇ〜」


 そして、少しだけ会話をした。普段は無口だが、たまには、話すのもいいかなと会話を続ける。すると安倍が本当に楽しそうに話すので、その後にも、たまには……と話してしまう。


 不思議な……いや、変な人だ。と失葉は思っていた。


「ね、幽霊の対抗策に、こう、めちゃくちゃハッピーになれるおまじないしようか」


「や、やめてくださいよヘンなクスリみたいに言うの。じゃあ、無事がわかったからもういいっすね? 切りますよ? 業務時間外なんで……」


「あぁ、ごめんね、ほんと、気を付けてね、いつでも寝袋持ってける準備してるからね」


 そのまま電話を切って、スマホを起き、やっと服を脱ぎ切って洗濯機へ投げ入れた。


 それから風呂場へ入るなり、背後で、嫌な気配がした。


「安倍さんの言う通り、か」


 呪いは加害そのものだ。相手を弱らせる目的で生まれ、相手が弱っているところを更に狙う。


 安倍いわく、陸の動物が本能的に感じる水への恐怖や、何一つ守れるものがなくなった裸であることへの恐怖など、呪いみたく幽霊を具現化させる条件が揃うのが風呂の時間だという。


 後ろを向けば、さっきよりもハッキリとした像を結ぶ、青白い女の霊。


「ま、知ってましたよ。今までの傾向から、そろそろ抜け出せるようになる頃でしたし」


 多くの心霊写真から、失葉はこっそりとデータを取っていた。写真を撮った時、その霊の濃さはどの程度か、どれだけの時間で写真から出てくるのか、どのタイミングで出やすいのか。


 失葉にはデータがある。


 データがあれば、神秘は現象へと降りてくる。


 現象であるものは――科学における統計が放つ『運命の予言』から逃れられない宿命を負う。


「ねぇ、幽霊さん。写真が出たてのころ、撮られたら魂を抜かれるって言われてたらしいんすけど、どうしてだか分かります?」


 話し掛けながら、失葉は、風呂場に用意しておいたカメラを手に取った。


「迷信じゃあないからっすよ。普通に撮れば姿だけ写りますが、ちょっとしたワザを使えば、人間に収まっている魂すらぶっこ抜けるんです。なんで、人間に収まってない呪いレベルなら――」


 安倍は霊を捕まえられることに着いて、まず時を止めて写したものの変化を許さず、写された者の想いを一枚の紙に閉じ込め、その〝想い〟には呪いに転じたものも含まれるのだと考察した。


 失葉は呪いを、原理的に理解できない。だが、この技術が使えるという事実がある。それで十分だ。


 前髪の左側をかき上げ、右手で持ったカメラ構え、左目で覗いたファインダーの中心へしっかりと収める。


 そして、シャッターを押した。


 パシャリと鳴る。同時に、霊の姿が消えてなくなった。


「――ヨユーで捕まえられるんすよ。臨時収入、いただき」


 真っ黒な写真を、洗面台へ置く。


 写るまで、三十秒。実はシャッターを押した瞬間に捕えられるのだが、技術と呪いの関連をうまく理解できていない安倍は、しっかりと現像が終わるまで相談者の気をそらそうとする。


 イタズラ心に、そのことを教えていない失葉だった。


 そのままシャワーを浴び、カラスの行水みたくさっさと出てしまい、カメラとスマホと写真を持ってリビングへ向かった。


 現像されきった写真をそのままコピー機に突っ込み、データ化して、パソコンのメールで安倍に送る。


「……やれやれ」


 メッセージでいいだろうとは思うが、失葉は電話をかけていた。なんとなく、その方がいいような気がしていた。


「安倍さん」


「えっ! 緊急事態!?」


「違いますよ。対応したって話っすよ」


「あぁなぁんだ。失葉くんから電話とか、初めてじゃない? あ、メール」


「あぁそれ、その一枚も応募しといてください」


「え……いいのぉ? こんなに……」


 妙な声に、失葉はまた微笑んだ。


 そういえば自分から時間外労働をしたのは、これで初めてかもしれない。


「収入のためっすよ。ちゃんと残業代出してもらうんで」


「ひえ〜……が、頑張ります……」


 そして、電話を切った。


 次の日、除霊師との待ち合わせのため、また別のカフェで待っていたふたりだが、不意に安倍がスマホをいじり始める。


 会話中に前触れもなく触るのは本当に珍しく、失葉が安倍の表情を覗いていると、彼が呟いた。


「あのね……失葉くんがくれた写真、おかげでねぇ、すんごい反響だよ」


「ただのモヤで?」


「いや、最後に送ってくれた方」


 たしかに、比較的ハッキリと映っていたはず。とはいえ、いままで通りのはずだが……。


「ほらこれとか、見て見て」


 差し出されたSNSの投稿を見るなり、失葉の口と目が――彼にしては――大きく開かれた。


『こちら、昨日投稿された心霊写真になるんですが……』


 という文言と共に、オカルト系のアカウントから失葉の取った写真が投稿されていた。


『エッッッッ!!!!ロ!1!!』


 という返信がついているが、その原因は心霊写真に写り込んだものだった。


 幽霊の後ろの鏡に、目元だけ消された裸の失葉が、下腹部まで写り込んでいた。


 安倍はまた、嬉しそうな顔をした。


「失葉くん。やっぱりフツメンじゃなくてイケメンくんだったじゃないですか。どうですか? これを機に、うちのホームページのトップページで宣材写真なんてね――」


 失葉が、やっと動いたと思ったら、手元のスプーンを投げ飛ばした。


「――なに送ってんすかぁッ!」


 スプーンは、安倍の額にクリティカルヒットした。


「送って良いって言ったのにぃ……!」

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抗呪術エンジニアの仕事 能村竜之介 @Nomura-ryunosuke

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