姿見に誓う

@natsu_ki

姿見に誓う

「ありがとうございましたー」

 快活な声とともに配達業者のトラックが去っていく。晃斗はたった今届いた段ボールを抱えると、足で玄関のドアを抑えながら家の中に運ぶ。

「何が届いたの? あ、これおばあちゃんからだ!」

 リビングから短パン姿で出てきた姉は、送り主の名前を確認すると喜びの声を上げた。  大分県に住む父方の祖母は、よく果物なんかをうちに送ってきてくれる。今回も果物かと思い、段ボールを開けていくと、中から出てきたものはどうやら僕たちが思ってたものとは違うようだった。

 そこにあったのは布にくるまれた1m程度の長方形の板だった。

「なぁに、これ?」

 姉が不思議そうにしながら、段ボールからそれを出す。布を丁寧に外すと、木枠の姿見が現れた。何年も使われているのか、周りの木は艶のある栗皮色をし、控えめだが細かな模様が掘られていて、中心の鏡をよく際立たせている、ひと目見ただけでも美しいとわかる代物だ。

「素敵ね、この前うちの姿見が一つ割れてしまったから送ってくださったのね」

 母も美しさに関心しているようだった。僕はもう一度鏡を見る。なんだか見ていると引き込まれそうだ、と思う。

「これ僕の部屋においてもいい?」

 言ってから自分でも驚いた。正直、普段から鏡を使うタイプではないし、僕の部屋はこの鏡に不釣り合いな気がする。でもなんだか、この鏡をもっと見ていたくなったのだ。そう思わせる雰囲気がこの鏡にはあった。

「ええ、いいけど、晃斗がそんなことを言うなんて珍しいわね。」

「いいんじゃない?晃斗も高校生なんだし、身だしなみも整えないと!」


 1階から鏡をぶつけないように慎重に運び、なんとか自室の壁に立てかける。

 ふぅ、と汗を拭い、改めて鏡を眺める。ベットと勉強机、棚しか置かれていないこの部屋の中ではより一層目立っている。鏡はよく磨かれていて曇り一つない。どこか吸い込まれてしまいそうな雰囲気さえある。

 晃斗は鏡の前に座りしばらく眺める。


 どのくらいそうしていたであろうか。カナカナ…というひぐらしの声を聞き、ふと時計を見るともう6時半を回った頃だった。外は夕焼けに染まり、遠くの空を鳥が飛んでいくのが見える。

(ひぐらしの鳴き声は嫌いだ)

 晃斗は思う。この短調っぽい物悲しい鳴き声を聞くと、お前は何もせず一日が終わっていくぞと突きつけられている気がする。たまらない虚無感に押しつぶされそうになる。

 部活にも入っておらず、友達ともめったに遊びに行かない。夏休みだというのにやっていることといえば、家でゴロゴロしてるだけだ。明るくて友達も多くて、優等生である姉とは真反対だ。

 別に、自分が人間失格だとまでは思わないが、こんな気分が落ち込んだときには考えてしまう。もしかしたら部屋に鏡があるせいで、いつも以上に自分を意識しすぎているからかもしれない。


 夕飯を食べ終え、もやもやした気持ちを抱えたままベットに寝転がっていると、突然部屋が明るくなった。いや、正確には壁に立てかけていた姿見が光りだしたのだ。

 普通だったらこんな異常事態に恐怖を抱くはずなのに、不思議と内側から漏れ出るような温かい光を怖いとは思わなかった。手を伸ばすとさらに光が強くなり、視界が白に染まる。


 光が収まるのを感じて、目をそっと開けると僕は街中に立っていた。いや、立っていたという表現は少し変だったかもしれない。なぜなら、僕の視線はやけに低く、手足は地面についている、おまけに体中はふわふわの毛に覆われている、そう、猫になっていたのだ。

 自分の姿を確認し、キョロキョロと視線を巡らすと、見覚えのある街にいることに気がついた。たしかここは祖母の家の近くにある通りだ。何度か訪れたことのある場所だ。

 できることもたいしてないので、とりあえず祖母宅に行ってみることにした。

 歩きながら改めて周りを眺めると、ここは異質だ。自分の部屋にいたときは夕暮れ時であったにも関わらず今は昼間、しかも人気が全くないのだから、明らかに元いた場所とは違う時空にいるようだ。

 八百屋の前を通り、右に曲がると祖母の家が見えてきた。家に向かっていくと、晃斗はこの世界で初めて生き物を見つけた。玄関の前に猫がいるのだ。体には黒と茶色のまだら模様が入った三毛猫だった。三毛猫は僕の方を見ると門扉の下をくぐってこっちにやってきた。

「待っていたぞ、晃斗」

 あろうことかこの猫は喋りだしたのだ。

「え、猫がしゃべ…え…?」

 晃斗は固まる。あまりにも驚きすぎて、うまく言葉が返せなかった。

「何だ、この世界に来たときもたいして驚かなかったくせに、こんなことで目を丸くするのか」

 三毛猫が呆れたように言う。

「そもそも、はたから見れば晃斗も今は喋る猫だぞ」

 続けて言う。

「た、確かにそうだけど。というか、君は誰?僕のことを知っているみたいだけど」

 未だに動揺を隠せない。

「わしのことはテツとでも呼んでおくれ。わしはこの世界の作り主といっても過言ではない。どうだ、その猫の姿も良いだろ、こっちのほうが気軽に話せるかと思ってな。」

 突然の爆弾発言。一見ただの三毛猫に見えるこの猫が鏡の中の世界を作ったと。さっきから驚くことが立て続けに起こりすぎて、晃斗の頭はもうパンパンだった。

「つまりテツが僕をここに呼んだってこと?」

「いや、呼んではいない」

あっさりと否定されて、肩透かしを食らう。

「ここは来るものを拒まず、ってやつだ。晃斗はこの世界に来る前に少なからず元の世界に嫌気がさしていたのではないか?」

 ふと自室で考えていたことを思い出して黙り込む。

「まあなんだ、ちょっと歩かないか。わしで良ければ話は聞くぞ」

 テツは息を吐き、道路を歩き出す。僕もその背中を追って歩き出す。しばらく陽炎を眺めながらたんたんと歩いていたが、少しずつ心の内を打ち明けた。自分に取り柄がないこと、学校に馴染めてないこと、特に何もせずに日々が過ぎていく不安感。こんなこと誰にも話したことがなかったのに、不思議と口にできたのは相手が猫だったからかもしれない。

 話が途切れると、テツは公園に入っていった。花壇と2,3個の遊具がおいてある普通の公園だ。花壇といっても手入れは行き届いておらず、雑草が好き勝手に生えている。

「例えば」

 テツが花壇の方へ歩きながら話し始める。

「あそこに絡まっているヤブガラシは最初から絡まれる物があるところに芽生えたと思うか」

 公園のフェンスは夏になるとあっという間にツル植物に覆われて見えなくなってしまう。きっと冬になってもそこら中に根が残っていてまた生えてくるのだろう。

「いや、木やフェンスがないところにも生えるんじゃないかな」

「そうだ、だがこいつらはどこに生えようとも触れたものの方へツルを伸ばし、なんとか絡まって光を得ようとする。そうやって生きてきた」

 テツがこちらを振り返る。

「人間だって同じだ。自分から動かなければ、どうにもならない。なんとか光を得ようと手を伸ばしてこそだ。世界は広いし、人間の寿命は長いんだ」

 テツの声色はやさしい。テツの言葉がすとんと胸に落ちる。僕の世界は学校だけじゃないし、高校で人生が終わるわけでもない。たしかに視野が狭まっていたようだ。まさか猫にそれに気付かされるとは思ってもいなかったが。

 猫の姿でわからないが、テツが笑った気がした。

「さあ、そろそろ時間だ」

 テツは空を眺める。さっきまで真っ昼間のように明るかった空が今では赤みがかっている。どうやら帰らなければいけないらしい。だが、心の内を吐露できたからか晃斗の心は来たときよりもずっと軽い。

「そうだね、僕戻らなくちゃ」


 二匹はまた祖母の家まで戻ってくると、家の中へ入る。そこには元の世界では僕の部屋に移動したはずの姿見が置いてあった。

「もとの世界に戻るにはもう一度鏡をくぐれば良い」

 晃斗は鏡に近づく。手を伸ばそうとして、もう一度テツの方へ振り向く。

「僕、本当は体操続けたかったんだ」

 引っ越しをすると同時にやめてしまった体操教室。もうやる機会はないと思って諦めていた。

「じゃあね、テツ。ありがとう」

ああ、頑張れよとテツが答えると、ここに来たときと同様、光に包まれていくのがわかる。

「かつ子によろしく」

 聞き返す間もなく、視界が白一色になる。


『8月14日 7時00分をお知らせします』

 デジタル時計が7時になったことを伝える。そっと目を開くと、晃斗は姿見の前に座っていた。

 かつ子、とつぶやく。同時にコンコンとドアがノックされ、姉が入ってくる。

「晃斗、朝ご飯できた、ってなんで座り込んでるの?起きたらカーテンくらい開けなさいよ」

 姉がカーテンを開ける。

「ごめん、考え事してて。ねえ、かつ子って誰だかわかる?」

「なに、急に。かつ子はおばあちゃんの名前だよ」

 訝しげに答える。なるほど、聞いたことがあると思ったら、祖母の名前だったようだ。

「そういえば、おじいちゃんと哲朗さんが亡くなってからおばあちゃん家に行ってないね」

 哲朗さんというのは祖父母が飼っていた猫だ。よく縁側にいて、仕草がお年寄りっぽいから、「哲朗さん」とみんなは呼んでいた。

「あ」

 気づいて、鏡をぱっと見る。そうだ、確か哲朗さんは三毛猫だった。四年前、祖父が亡くなってすぐに後を追うように死んでしまった。

 ついさっき、頑張れよと声をかけてくれた猫を思い浮かべる。もしかしたら、お盆に猫も帰ってきたのかもしれない。もしかしたら、気まぐれに飼い主の孫を励ましてくれたのかもしれない。

 ふっと笑う。

「どうしたの?」

 鏡を見て、黙ってしまった弟を姉が不思議そうに見ている。

「なんでもないよ」

 晃斗は立ち上がる。

 空は快晴で、窓からは朝日が差し込む。部屋から出ていく晃斗の背中は、日光のせいなのか少し明るい。

「ところで、ここから一番近い体操教室を知らない?」

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