№31 『人間の盾』
№31 『人間の盾』
猛然と本営に殺到するゾンビたちの前に、どこからどう見てもごく普通の人間が唐突に現れた。
自衛隊の装備ではなく、一般的な私服に身を包んだどこか冴えない一般人が、ひとり、またひとりとゾンビの前に立ちはだかる。その手には銃器が握られているが、訓練された様子はまったくない。
意味がわからなかった。
なぜこんなところに普通のひとがいる?
ここは戦場だぞ?
理解できないままゾンビたちを止めていると、やつれた中年女性の元へ、ママー、と小さな子供が駆け寄る。母親らしき女性は子供を抱えて、それでもなお武器を離さなかった。
そして、無精髭の男がゾンビに銃口を向けて叫んだ。
「お前らを倒せば金が手に入るんだ! なんだってやってやる!」
「そうだ! もうニートだコドオジだなんて言わせないぞ!」
「お前らさえやっつければ、俺たちは這い上がれるんだ!」
「ヒキコモリ生活も終わりだ!」
めいめい口にしては、ゾンビたちに武器を向けた。その眼差しは追い詰められたケモノにそっくりだ。
……まさか……!?
最悪の想像は、たぶん当たりだろう。
なんてことだ。
敵は、社会的弱者を『人間の盾』に使っているのだ。
おそらく給付金なんかで徴兵したのだろう、何も知らない弱者たちに銃を持たせて、戦場に送り込んできた。
今対峙しているのは、俺たちと同じ『ゾンビ人間』たちだ。社会からつまはじきにされて、居場所を失っているひとたちだ。
そんなひとたちまで、敵はいいように使い捨てようとしている。
つくづくひとをバカにした作戦だった。
とても同じ人間が考えたとは思えない。おそらくは、あの由比ヶ浜が発案したのだろう。どこまでもひとをひとだと思わない作戦に、ふつふつと腹の底から怒りが湧き上がってくる。
どこまでいのちを蔑めば気が済むのだろう。
あのサイコパスは、『人間の盾』として弱者たちを消費することを躊躇なく選んだ。おそらく、あの仏の笑みのまま。
「……ちくしょう……!」
ぎり、と奥歯を噛み締めて怨嗟の声が漏れた。
人道に外れているが、たしかに俺たちを相手にするなら有効な手段だった。
一般人、それも俺たちと同じ社会的弱者に攻撃を仕掛けることなんて、とてもできない。相手は何も知らないのだ。当然死の覚悟などしていないだろう。覚悟を決めて銃口を向けている自衛隊の隊員たちとは違うのだ。
このひとたちを敵に回すことはできない。
社会的弱者でできた『人間の盾』に牙を剥くということは、敵と同じところまで堕ちるということだ。
到底、そんなことはできなかった。
それをいいことに、『人間の盾』たちは動きを止めたゾンビたちに攻撃を仕掛けてくる。
「このバケモノ!」
ショットガンが火を吹き、ゾンビのからだがばらばらに弾け飛んだ。その反動で、射手はみっともなく尻もちをついている。見るからに素人の動きだ。
それを皮切りに、あちこちから銃声が上がった。次々とゾンビたちが吹き飛ばされていき、指先の糸が切れていく。
当然、攻撃も防御もできず、ゾンビたちはやられるがままに削られていった。銃弾をかわそうにも、『人間の盾』たちは自分たちが攻撃されないと知ってゼロ距離で撃ってきている、かわしようがなかった。
やがてこちらの戦力は半数以下になり、それもいつまでもつかわからない。
こんなことって……!
あまりにもむごい戦局に歯ぎしりしながらも、俺たちにはなすすべがない。ただ無様な敗北に向かってまっしぐらだ。
悔しい。
こんなひとをバカにした作戦に負けるなんて……!
やっぱり俺たちは無力なのか? どこまで行っても負けることが運命づけられているのか?
違うと否定しても、現実が追いついてこない。俺たちは負けようとしているのだ、敗者になにかを主張する権限はない。
またひとつ、糸が切れた。もう数える程しか残っていないネクロマンシーの思念の糸が、終わりが近づいていることを知らせる。
「くそっ、くそぉぉぉぉぉぉ!!」
叫び散らしても状況は変わらない。
何も知らない弱者たちはトリガーを引き続ける。
そして、その前線は次第に俺たちの本営へと近づいてくるのだった。
「……決まった!」
鮫島の隣で、由比ヶ浜が快哉を叫んだ。その顔には相変わらず仏の笑みが張り付いているが、今は勝利に興奮してか目がぎらついている。
由比ヶ浜の作戦は結実した。『敵』は『人間の盾』を前になすすべなくやられるがままになっている。この分では、徴兵された弱者たちは本営まですぐに到達するだろう。
勝敗は決した。
だというのに、鮫島の胸に去来したのは途方もないやるせなさだった。
相手は逃げずにまた立ち向かってきた。勇気を振り絞り、なんとかこちらに一矢報いようとした。
そんな『敵』に対して、この仕打ちはあまりにも非道すぎるのではないか。
鮫島は、たとえ『敵』であっても敬意を払って対峙すべきだと考えていた。自分たちに正義があるように、相手にだって正義はあるのだ。どちらが正しいかどうか、最後まで決めきれなくて、最終的に武力で争うことになる。
そういう局面で駆り出されるのが、自分たち自衛隊だ。正義と正義のぶつかり合いの現場に立ち、ちからでもって『敵』の正義を否定する。どちらも間違っていない以上、ちからを振るうには慎重にならなければならなかった。
だというのに、この男はテレビの向こうのゲーム画面のように戦場を眺めている。当事者意識はまったくなく、散っていくいのちに対してなんの責任も負わない。
ずいぶんとムシのいい話だ。それが許されると思っている辺り、傲慢極まりない。
お前はそんなに偉いのか?
神様にでもなったつもりか?
ひとが踏み込んではいけない領域を土足で踏みにじる由比ヶ浜は、ゾンビたちなどよりよほどバケモノじみていると、鮫島は感じていた。
この欲望にまみれたモンスターの思うがままに、すべては決まってしまうのだろうか。
なにか少しでも救いのあるエンディングにするための手立てはないか。
自軍の将であるにもかかわらず、鮫島は苦い思いで葉巻を噛んでいた。
若人よ、これで終わるつもりか。
頼むから盤面をひっくり返してくれ。
このままでは、自分たちは取り返しのつかないことをしてしまう。強者がのさばり弱者がないがしろにされる現実を受け入れなければならなくなる。
そんな世知辛いバッドエンドで終わらせたくない。
自衛隊のトップではなく、『鮫島魁童』個人として、『敵』の一発逆転を強く願う。
由比ヶ浜の高笑いを聞きながら、鮫島は今まさに崩されようとしている『敵』に向けて、こころからのエールを送るのだった。
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