№29 邪道

№29 邪道

「ふざけるな!!」


 会議室に、五億寸釘が机にこぶしを叩きつける音が響いた。五億寸釘だけではない、作戦会議に集まった将校たち全員が渋い顔をしている。


 かく言う鮫島も、煮詰めた下水を飲んだような表情を浮かべていた。


「こんな作戦……人道に反するだろう!! あんたにはひとのこころがないのか!?」


 由比ヶ浜が発案した『作戦』は、たしかにひとの道にもとるものだった。鮫島もすぐに納得できるようなものではない。


 しかし、あくまで防衛大臣の意向だ、自衛隊としてはどんなに不承不承でも従うことしかできなかった。


「君はもともと頭数に入っていないよ、裏切り者の五億寸釘くん」


「なんだと!?」


 冷ややかに笑う由比ヶ浜に、五億寸釘が食ってかかる。が、由比ヶ浜は意に介した様子もなく、


「まったく、君には失望したよ。世界最強のエクソシストの看板を信じた私が愚かだった。君はもう不要な駒だ、今すぐこの場から出ていきたまえ」


 まるで犬を追い払うように手を振る由比ヶ浜に、とうとう五億寸釘が自席から立ち上がった。

 

「いいだろう、僕は降りる! やってられるか!!」


 そして、そのまま会議室から出ていった。ばたん!と勢いよく扉が閉まる。


 五億寸釘という手札を失うのは痛い。どうせ由比ヶ浜はそのことをわかっていないだろう。『世界最強のエクソシスト』は、対ネクロマンサー戦において、ただの使い捨ての駒として扱っていい代物ではないのだ。


 鮫島はたっぷりと葉巻の煙を口の中で転がしてから、


「……しかし、低所得者を対象にした給付金で徴兵とは……なかなかエグいことを考えるな、由比ヶ浜よ」


 そう、由比ヶ浜独尊が発案した作戦は、給付金をエサに低所得者を戦地に立たせて、膨大な数の肉の壁とするものだった。いわば、社会的弱者を使っての人海戦術だ。


 渋面を突きつけられた由比ヶ浜は、にこにこと笑いながら言い放った。


「低所得者を武装させてゾンビと戦わせる、ゴミカス同士潰し合わせる。画期的な試みでしょう? これは見物だ」


 どこまでも高みの見物、ということか。腕を組んでにやにやと笑いながら、由比ヶ浜は続ける。


「我々選ばれた人間の娯楽だったゾンビハンティングができるんだ、給付金も手に入る。ゴミカスどもも大よろこびでしょう。まあ、少しばかり死んでしまうかもしれませんが」


 肩をすくめて、まるで他人事だ。ゾンビも社会的弱者も、取るに足らないという点では同じだと考えているらしい。どうせなら社会のお荷物同士、共倒れになってくれればいいという思いが透けて見えた。


 思い出したように由比ヶ浜が付け加える。


「敵もただの民間人、しかも自分たちと同じ社会的弱者となれば、攻撃の手も鈍るでしょう。いのちだ誇りだとわめいている甘ちゃんどもです。狼狽した隙をついて、今度こそ一気に畳み掛けます」


 自信満々に作戦を立案してきたと思ったらこれか。つくづく傲慢な男だな、と鮫島は葉巻の灰を落としながら告げる。


「『人間の盾』ということか……お前さんのような怪物が相手でもない限り、有効と言えば有効だ。敵も同じ境遇の民間人相手には手出しできまい」


「そうでしょう、そうでしょう。こちらは一方的に攻撃できます。まず間違いない作戦ですよ」


 うんうんと機嫌よくうなずきながら、由比ヶ浜は成績を自慢する子供のような顔をした。


 しかし、鮫島とて手放しで褒めてやるつもりはない。これはれっきとした邪道である。ひととしてやってはいけないことを、この男はやろうとしているのだ。


 正直なところ、鮫島は敵に同情すらしていた。テロリストに迎合するつもりはまったくないが、弱いものが勇気を振り絞って立ち上がり、巨大なちからに押し潰されようとしている。それも、極めて悪質なやり方で。


 このまま逃げてくれ。立ち向かおうとするな。鮫島は敵にそう言ってやりたかった。無理に抗おうとして、卑劣なちからに手酷く踏み潰されてしまうくらいなら、背中を見せて逃走しろ。それは恥ではない、と。


 だが、立場上それを口にすることは許されなかった。鮫島はこの国の軍事力をまとめ上げる地位にある。防衛大臣の命令は絶対だ。それが規律であり、軍隊には必要不可欠なものだからだ。


「……気乗りはせんが、命令ならば従うしかあるまいな」


 ため息混じりに葉巻の煙を吐くと、由比ヶ浜は大袈裟に咳をして見せて、


「そういうことです。既に低所得者への通達の手配はしてあります。マスコミにも手を回しておきましょう。『テロリストに立ち向かう栄誉ある市民たち』として報道させます」


 すべてはこの男の手のひらの上で終わるのか?


 鮫島にはそれが不愉快でならなかった。


 由比ヶ浜は異様に目をぎらつかせて笑い、


「今度こそヤツらの息の根を止めてやる、不愉快なゴミカスどもが!」


 仏顔でそう吐き捨てるのだった。


 その増長ぶりは、鮫島も苦々しく思う。驕り高ぶり、ひとをひととも思わない由比ヶ浜の思う通りにことが運ぶのはシャクだ。


 しかし、防衛大臣を影から操るこの男の言葉は絶対だった。


 軍隊とは、規律によって統制されているちからだ。そのトップにいる鮫島は、誰よりも規律を重んずべき立場にある。いやなこったと軽々しく離反することは、部下に敗走の背中を見せることは許されない。


 国のために忠誠を尽くす、それが鮫島魁童だ。


 ……しかし、果たしてこの国は、いや、この男は、忠誠を尽くすに足るものか?


 弱者を食いものにしてのし上がる、そういうやり方を許していいものなのか?


 この『鮫島魁童』は、はっきりと否定する。そんな無法が許されていいわけがない。まかり通ると思ったら大間違いだ。ゆえに、五億寸釘が離反したこともわかる。


 しかし、『自衛隊統合幕僚長』は肯定する。なにせ防衛大臣の勅命なのだ、その下にいる鮫島はうなずかざるを得ない。たとえそれがどんなに人道に反していたとしてもやる。それが規律というものであり、職業軍人というものだ。


 ……軍人というのは、つくづく偉くなるものではないな。


 ため息といっしょに葉巻の煙を吐き出して思う。


 出世すればするほど、しがらみにがんじがらめにされる。今回のように卑劣な作戦を呑むこともあるし、部下に死ねと命じなければならないこともある。


 もちろん鮫島も、いつでも腹を切る覚悟でいる。すべての責任を負い、なにかあれば泥をかぶることもいとわない。


 しかし、いつだって最初に犠牲になるのは現場の最前線なのだ。鮫島は大将で、最後の最後まで動くことを許されない。偉くなるということは、その最前線から退くということだ。


 王将がとられてしまえば将棋は終わる。戦いを終わらせないためにも、鮫島は座して命令を下さなければならないのだ。


 こんな男のためであっても、部下を犠牲に生き延びなければならない。


 大将の生き様というのはそういうものだ。


 にこにこと作戦の詳細を語り始めた由比ヶ浜を眺めながら、新しい葉巻に火をつけ、ため息をつく。


 老いたものだ。


 五億寸釘のような若さがうらやましい。


 しかし、若さと引替えに得たものもある。それは事実だ。


 老獪にして豪胆。そんな鮫島魁童は、なんとかしてこの盤面をひっくり返してくれと、『敵』であるはずの男に届かぬ願いを込めるのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る