№26 五億寸釘の誇り
№26 五億寸釘の誇り
……ゆっくりと、意識が浮上する。
まぶたを開けると、そこには鉈村さんがいた。心配そうに覗き込んでいる。
「……あれ、俺は……」
声がかすれているところを見ると、かなり気を失っていたらしい。
鉈村さんはどこかほっとしたような顔をして、それからいつもの仏頂面に戻ってしまった。
「寝すぎ。丸一日だよ」
「丸一日も……ええと、ここは……?」
辺りを見回すと、そこは廃工場らしかった。薄暗い部屋には錆び付いた機械が放置されており、壁にはツタが這っている。俺はなにかの作業台の上に乗せられているようだった。
「安心しな。すごい山奥だよ。そう簡単には見つからない」
鉈村さんが言うと、急に記憶が鮮明によみがえってきた。
そうだ、ぼこぼこにリンチされて、殺されそうになって、そこへ五億寸釘が助けに来てくれて……
はっとして見回すと、部屋の隅にむっつりと押し黙ってそっぽを向いている牧師服姿がいた。口元のタバコから紫煙を漂わせて、腕を組んで壁にもたれかかっている。
俺は痛む上半身を無理やり起こして、
「……あ、あの……ありがとう、ございました……」
助けてもらったことについての礼を述べると、五億寸釘は、ふすー、と煙を吐き出しながら、相変わらず明後日の方を見て、
「勘違いしないでもらいたいんですけど」
険のある突き放したような言い方にびっくりしていると、五億寸釘は続けた。
「別に、あなたたちに肩入れしたつもりはないですから」
「じゃあ、なんで……?」
当然の疑問をぶつけると、五億寸釘は吐き捨てるように言った。
「あの男が気に食わなかった、それだけです。本営に仕込んでいた盗聴器でおおよそのことはわかりました。あんな男に従うくらいなら、離反した方がマシだと思っただけです」
言いながら、五億寸釘は短くなったタバコを足元に捨て、踏み消した。
「……それだけのことで……?」
「そうですよ?」
なにがおかしいのか、という具合に返す五億寸釘。世界一のエクソシストの考えることは、俺みたいな凡人にはわからない。第一、政府から依頼を受けるほどのエクソシストというのは、信用商売なのではないか? それを、裏切って俺たちを助けて……五億寸釘の今後が心配だった。
「ご心配なく。クライアントは日本政府以外にも世界中に山ほどいますから」
俺の内心を見透かしたように、五億寸釘はこともなげに告げた。やはり、世界一のエクソシストというのは、俺たち凡人とは違うものだ。
「っていうかさ」
俺の隣に腰掛けてタバコに火をつけながら、鉈村さんが口を開く。
「五億寸釘家って、もともと紫涼院家と同じ、ネクロマンサーの家系でしょ? そんなあんたが、なんでエクソシストなんてやってんの?」
さすがオカルトマニアなだけある質問だった。
五億寸釘が俺と同じネクロマンサーの家系……? エクソシストとは真逆な出自に、俺も驚いた。
五億寸釘は新しいタバコに火をともして、ひと吸いしてから、
「そこまで知ってるんですね」
否定もせずにそうつぶやくと、とんとんと灰を地面に落とした。
「そう、僕はもともと死霊術師の家の子供でした。生まれたころから『五億寸釘』のブランドを背負って、ネクロマンシーを叩き込まれました」
タバコのにおいに誘われて、気がついたら俺もタバコに火をつけていた。三人分の紫煙が漂う中、五億寸釘はしかめっ面をして続ける。
「けど、嫌気がさしたんだ。家の権謀術数やハラの探り合い、『五億寸釘』の看板のしがらみや、小さい頃から『お前は大きくなったら偉大な死霊術師になるんだ』っていうプレッシャー……心底、反吐が出る。だから、僕は五億寸釘家から出奔した」
それは分かる気がする。生まれたときから将来を定められて、そうなるのが当然だと思われて。疑問を抱かせる隙すら与えられなかっただろう。
加えて、死霊術師の家系だ、当然後暗い仕事の依頼ばかりだろう。影の汚れ仕事を押し付けられるのは目に見えている。そして古くからの因縁がある家というのは、親族の中でも常にハラの探り合いだろう。一挙手一投足を見張られて、気が休まるはずがない。
五億寸釘はふと自嘲の笑みを浮かべて、
「思春期だ反抗期だ、っていうなら笑ってくださいよ。けど、僕は自分の手で未来を切り開こうとして、正反対の仕事であるエクソシストの道を選んだ。知らないことだらけだったし、風当たりも強かった。けど、それでも努力して、自分で自分の道を切り開いてきたんです……それが、僕の誇りです」
ネクロマンサーの家系というだけで世間の目は冷たかっただろう。エクソシストになろうだなんて尚更だ。
しかし、五億寸釘は前に進んできた。並々ならぬ努力をして、這いつくばるように一歩一歩。つらいなんて言葉では片付けられない道行きだったに違いない。
それでも、五億寸釘はエクソシストとして大成した。そうなるまでの過程があるからこそ、誇りが生まれた。他ならぬ自分自身で選び、切り開いてきた道だからだ。
五億寸釘はまた苦々しい顔をすると、煙といっしょに吐き捨てた。
「その誇りに、あの男は水を差した。だからこそ、離反した。あんた言ったでしょう。『生きることは抗うことだ』って。その言葉、割と響いたんですよね……だから、僕も抗ってみた。それだけの話です」
意外だった。俺なんかの言葉が五億寸釘のこころに届いていたとは。がむしゃらに放った一言は、たしかに五億寸釘の琴線に触れ、そして同じように抗う道を選ばせた。
五億寸釘も、『生きている』のだ。
そんな志に、由比ヶ浜の言動は真っ向から傷をつけてきた。『悔しくないのか』という、以前問いかけた言葉への返事が記憶によみがえる。
苦々しい顔で、『悔しくないわけないじゃないですか』と言ったのだ。
五億寸釘だって、消耗品としていいように使われるのは納得できなかった。だからこそ、今回離反したというわけだ。
「紫涼院さんも目を覚ましたことですし、僕はこれで」
タバコを落として踏み消すと、五億寸釘はなにごともなかったかのように壁から背を離し、立ち去ろうとした。
「ちょっと待って! これから俺たちはどうすればいい!?」
俺が呼び止めようとすると、五億寸釘はイヤそうな顔をした。
「知ったこっちゃないです。あとはご自由に」
「そんな無責任な!」
今の俺たちは敗残者だ。身を守ることで精いっぱい、逃げることしかできない。五億寸釘が助けてくれればなんとか逃げ切れるかもしれなかったが、ピンチから助けてくれた割にはどうも協力的とは言い難い。
「……ああ」
思い出したように立ち止まる五億寸釘。俺の言葉が聞き届けられたのかと思ったが、違った。
「あんたらの会社の周りにひとよけの結界を施してありますんで。長くは持ちませんが……一回帰ってみたらどうです?」
それが五億寸釘ができる最大の『気遣い』らしかった。
今度こそその場を立ち去った五億寸を途方に暮れながら見送る。廃工場の外からバイクのエンジン音が聞こえてきて、それはやがて遠ざかって聞こえなくなってしまった。
「……どうしましょう?」
俺と鉈村さんは同時にタバコを消しながら、今後について相談することにした。またも同時にタバコに火をつけると、
「どうもこうも、会社戻るしかないでしょ。五億寸釘の結界があるから、追手はかからない。今安全なのはそこしかない以上、私たちに選択肢はない」
「……ですよねー……」
選択肢があるだけマシだ、と自分に言い聞かせる。ただし、そこから先はノープランだ。このままだとジリ貧になる。
なんとかして、打開策を見つけなければ。
俺と鉈村さんはしばらく無言でタバコを吸って、会社に戻ることにした。
「歩ける?」
「なんとか……鉈村さんも、左肩、大丈夫ですか?」
「これくらいなんてことない。吊ってんの邪魔くさいけど」
いまだに左腕を肩からぶら下げている鉈村さんだったが、強がるように、つん、と澄ましている。銃弾を食らって骨が砕けて、リハビリが必要なほどの傷なのだ、つらくないわけがない。
……俺ばっかりがしんどいわけじゃないんだ。
「じゃあ、行くよ」
「はい」
痛む腹や胸をかばいながら、俺と鉈村さんは廃工場を後にする。
暗中模索の状態だが、今は会社に戻って体制を立て直すしかない。業務停止命令が出ているので、きっと誰もいないだろう。だが、ここよりはマシな場所だ。
追手に気づかれないように慎重に、俺たちは会社への帰路を辿った。
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