№25 選ばれた人間
№25 選ばれた人間
「……今、なんと?」
俺のつぶやいた言葉は、しっかりと由比ヶ浜の耳に届いていた。笑顔のまま声のトーンを落として語りかけてくるが、聞こえてたって構うものか。勢いに任せて俺は続けた。
「ふざけるな、と言ったんだ! お前は頭がおかしい!……女の子だぞ!?」
顔に傷をつけただけでもおおごとなのに、鉈村さんの頭には鉄板が埋まっている。本当に死にかけたのだ。いや、殺されかけた。それも遊び半分で。
それなのに、こいつは……!
どんどん蓄積していく怒りと比例するように、由比ヶ浜の口調が熱を帯びていく。
由比ヶ浜は至極愉快そうな笑みを浮かべて、
「ゴミカスのくせに、言うじゃないか」
そして、俺のみぞおちに革靴の爪先を叩き込んだ。素人の蹴りだが成人男性の全力、さすがに俺もその場に膝をついてしまう。
げほげほとせきこんでいると、今度はひざまずいた頭を踏みつけられる。その場に這いつくばった俺に、由比ヶ浜は嘲笑を浴びせた。
「ゴミカスが、一丁前に人間の言葉で私に楯突くな!」
丸くなって横たわる腹に、背に、何度も蹴りが入れられる。やめろ、俺はサッカーボールじゃない。急所は外れているが、何本か肋骨がやられた気配があった。
鈍痛にさいなまれて、胃から胃液が逆流してくる。その場に嘔吐した俺を、由比ヶ浜は執拗に蹴り続けた。
「見せしめだ! おい、ゴミカス、なんとか言ったらどうなんだ!」
「やめろ!!」
鉈村さんが止めに入ろうとするが、隊員たちに阻まれて身動きが取れない。そうしている間にも、俺は吐瀉物にまみれ、ケモノが身を守るように背を丸めて蹴られ続けた。
「ほうら、抵抗できないだろう! 無力だなあ、実に無力だ! はは、やはりゾンビよりも生身の人間の方が楽しいなあ!」
一方的なリンチにかけられた俺は、由比ヶ浜の言う通り無力で抵抗もできない。ネクロマンシーを取り上げられたら、ただの無気力社畜のオッサンだ。また肋骨がいった。
……悔しい。
痛みに苦しみながら、それよりもつらい事実に涙をのむ。
結局、弱者が強者に挑むことは無謀だったのか?
所詮負けが決まっていた戦いだったのか?
そんな戦いに意味はあったのか?
その答えが現状なら、運命というものはあまりにも残酷すぎる。
絶え間なく俺を蹴りつけながら、由比ヶ浜は勝ち誇った笑みで告げた。
「ゴミカスはゴミカスらしく、我々選ばれた人間のオモチャになっていればいいんだ! それを、国家転覆などと思い上がって……おこがましいぞ、クズが! 這いつくばって死にぞこなっていろ!」
もう胃液さえ出てこない。それでもえづいて、ひゅうひゅうと喉を鳴らしながら、俺はからだを丸くして降りしきる革靴の底の雨に耐えた。
「誰がクズだ! 私たちだってちゃんと生きてる、あんたと同じ人間だ! それをどうこう言われる筋合いはない! なにが『選ばれた人間』だ! 誰に選ばれたんだよ!? いのちを侮辱するな!!」
鉈村さんが精いっぱい叫んでいるが、由比ヶ浜は意に介した様子もない。それどころか、俺の背中を踏みにじりながら肩をすくめて見せ、
「同じ人間!? はっ! ゴミカスがそれらしい形をしているだけの君たちとは違うのだよ! ははは、まるでゾンビじゃないか! 生存権のない生きる屍だ! いたぶるには最適の獲物だよ!」
「そうやってひとを消耗品扱いして、あんたの方こそクズだよ!! 私たちは代わりのきく部品じゃない!! ひとりひとり、生きてるんだ!! それを……このひとでなし!!」
鉈村さんの罵倒に対して、由比ヶ浜は見せしめとして俺の頭を思いっきり蹴った。脳が揺れて意識が飛びかける。しつこく蹴られて満身創痍のふらふらになった俺の髪をつかみ、鉈村さんに見せつけるようにして、それでも由比ヶ浜は仏の笑みを浮かべていた。
「君たちは、我々選ばれた人間に使い潰されるしか能がないんだよ! 消耗品としてね! 弱者はどこまでも強者に絞り尽くされる! 精々甘い汁をたくさん出して死んでいってくれたまえ! はははははは!!」
「……いいきに、なるなよ……」
切れたくちびるで、俺は茫洋としたまま口にした。ぴたりと由比ヶ浜の動きが止まる。
「……いまに、みてろ……かならず、つぐないを、させてやる……」
由比ヶ浜は、『おおこわい!』とばかりに大げさに渋面を作って見せてから、元の狂気じみた笑顔に戻った。
「無力なゴミカスがなにをしようというのかね? 君たちは今ここで死ぬのだよ?」
由比ヶ浜が片手を上げると、周りにいた隊員たちが一斉に俺たちに銃口を向けた。この数のサブマシンガンに撃たれては、蜂の巣確定だ。
「政府からはテロリスト射殺の許可が下りている……まあ、下りていなくてもここで死んでもらうのだがね」
ないしょ話のように付け加える由比ヶ浜は、アニメで敵がぶっ飛ばされるシーンを見ている子供のように目をきらめかせていた。
囲んでいる隊員たちはみな悲愴な顔つきをしているのに、由比ヶ浜だけが嬉々として片手を上げている。暗い銃口が複数、俺たちのことをじっと見ていた。
一巻の終わりだ。
俺たちはここでおしまいらしい。思えばクーデターを決意したときに覚悟は決めていたが、いざ殺されるとなると様々な後悔が胸に押し寄せる。
どれもこれもがどうでもいいことだったが、唯一鉈村さんの無念だけが重くのしかかった。俺のことはどうでもいい、鉈村さんはさぞかし悔しいだろう。
「さあ、テロリストどもの処刑と行こうじゃないか! ゴミカスどもをよーく狙え!」
由比ヶ浜は今にも手を振り下ろそうとらんらんと目を輝かせている。絶体絶命だ。
せめてラクに死なせてくれ、と願っていると、どこからか地鳴りのようなものが聞こえてきた。それはどんどん近くなっていき、バイクのエンジン音だと分かるようになる。
とたん、大型の黒いバイクが本営テントに突っ込んできた。椅子や機材をなぎ倒し、派手な音を立てて現れたバイクには、なぜか五億寸釘が乗っている。
「乗れ!」
ぶぉん、とエンジンを吹かしながら、五億寸釘が叫んだ。
もしかして、助けようとしてくれているのか……?
反射的に動いた鉈村さんは、怯んだ隊員たちの制止を振り切り、唖然とする由比ヶ浜の手から俺を奪い取る。そして、ふたりしてバイクの後ろにまたがると、五億寸釘は一気にアクセルを開けた。
「なにをしている! 撃て!!」
取り乱した由比ヶ浜がわめくが、隊員たちは狼狽して銃口はさまよっている。
そんな隊員たちを蹴散らすようにバイクが発進し、猛スピードでその場を去っていった。
ようやく我に返った隊員たちから銃撃されるが、五億寸釘は車体を左右に振って弾丸の雨をかわす。おかげでバイクから落っこちそうになった。
やがてマックススピードで焦土と化した市街地を走り抜け、バイクは完全に敵から逃げ切った。
……なんとかなった……?
五億寸釘の意図はまったくわからないが、とにかく大ピンチを脱したのは事実だ。今ごろ由比ヶ浜は地団駄を踏んでいることだろう。
ざまあみろ!
そう快哉を上げたくなった。
バイクを走らせる五億寸釘は何も言わず、鉈村さんも俺を落とさないようにバイクにつかまっている。『なぜ』だとか、そういう問いかけは後回しにしよう。
窮地を脱した安心感からか、蹴られまくったせいなのか、俺は鉈村さんに抱えられながら次第に意識を薄れさせた。
やがて、完全に意識が闇の中に落ちていき……
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