№24 理由

№24 理由

 引っ立てられた俺たちは、やがて敵本営までやってきた。


 どんな敵に敗れたか、だとか、どうでもいい。負けは負けだ。


 なのに、俺たちはなぜかここまで連れてこられた。


 本営テントの中に押し込まれると、銃を突きつけられたまま少し待つ。


 やがてやってきたのは、額にホクロのあるスーツのにこやかな中年男だった。


「国家転覆を目論んでこのザマか、いいねえ」


 その男が現れた途端、鉈村さんの顔色が変わった。みるみるうちに顔が怒りでゆがんでいき、怨敵相手の目付きで男を睨みつけた。


「……由比ヶ浜……!!」


 その視線でひとひとりくらい殺せそうな、険のある眼差しだ。ひとは怒りが頂点に達すると顔が赤くならずに青白くなるということを知った。


 これは、過去にこの由比ヶ浜という男となにかあったのだろう。因縁がなければとてもこんな形相はできない。


 しかし、由比ヶ浜はきょとんとした様子で、


「失礼、どこかでお会いしたことが?」


 にこにこと尋ねてきた。とぼけている様子もシラをきっている様子もない。本当に覚えていないのだ。


 その反応に、鉈村さんはますます激怒した。額から頬にかけての傷を見せつけて、


「この傷、忘れたとは言わせないよ!……あんたが、ゾンビハンティングのときにゾンビと間違えたって言って、私を撲殺しかけた傷だ!!」


「……はて、そんなことがあったかね?」


「あんたはゾンビと間違えたフリをして、緊急で駆けつけた私を鈍器で殴って殺そうとした! 私は一週間、生死の境をさまよって、目が覚めたらこの傷で……今でも、頭蓋骨には鉄板が埋まってるんだ!」


 鉈村さんの派手な傷の理由はそれだったのか……女の子の顔の傷だけに聞くに聞けずにいたが、その傷を付けたのは、鉈村さんを殺害しようとしたのは、このにこやかな仏顔の男らしい。


 悔しげに歯噛みした鉈村さんは、手錠で拘束されたこぶしを握り、


「けど、あんたはなにひとつ謝罪しなかった! それどころか、笑って『ごめんごめん、ちゃんと揉み消しておくから』とかほざいてたよね!? 私は殺されかけたんだ! ひとひとりのいのちの重み、あんたにはわからない!?」


「『ひとひとり』じゃない。『ゴミカスのひと欠片』だよ」


 にこにこ、引き続き笑いながら由比ヶ浜はとんでもないことを言い出した。


「ああ、だんだん思い出してきた。たしか、そんなことがあったなあ……いやね、私もゾンビだけじゃなくて、たまには生きている人間を殺したくなったんだよ。ゴミカスならいくら殺しても問題ない。だから、緊急で君を呼びつけたんだった」


 オペラ歌手のように両手を広げて朗々と語る男は、あくまでもにこやかだった。口にしている内容とその仏顔がまったく合致しない。


 サイコパス、というのだろうか。たまにこういう人間がいるということは、知識として知っていた。しかし、実際に対面すると、そのグロテスクさに吐き気がした。


「名前は覚えていないが、まさかこんなところで会うなんて、奇遇だねえ。しかも政治家と敗北したテロリスト、だなんて。なかなかにドラマチックだ。もっとも、私がもっと過去のことを鮮明に覚えていれば。だが」


「……由比ヶ浜……!!」


 俺でさえ吐き気を催しているのだ、鉈村さんの怒りたるや、相当なものだろう。


 鉈村さんがネクロマンシーを使ってゾンビスレイヤーどもに逆襲しようとした理由が、今わかった。すべては、この由比ヶ浜という政治家への復讐のためだったのだ。


 政府の人間であるゾンビスレイヤー、次々要人がゾンビたちに食い殺されていったら、当然ネクロマンサーの前に現れるだろう。鉈村さんはそれを狙っていたのだ。


 クーデターなんて起こしたのも、あの顔の傷が原因だ。死にかけるほど殴られた、なんて到底あっていいことではない。増してや、相手は若い女の子なのだ。


 由比ヶ浜がやったことは、俺としても許せなかった。仮に鉈村さんに利用されていたのだとしても、仕方がないと思えるくらいには。


 しかし、今の俺たちは無力な敗残者だ。仇敵を前にして手も足も出ない。きっと鉈村さんは悔しいだろう。悔しいなんて言葉では足りないかもしれない。


 由比ヶ浜はにこやかに鉈村さんを見下ろし、


「その節は、どうも。殺しきれなくて申し訳なかったね」


「……由比ヶ浜ぁ……!! 由比ヶ浜由比ヶ浜由比ヶ浜由比ヶ浜由比ヶ浜由比ヶ浜由比ヶ浜!! 殺す!! 絶対に殺してやる!!」


 左腕を吊ったまま手拘束されている鉈村さんは、手錠を引きちぎろうとがちがちと鎖を鳴らした。しかし、どんな大男だってこの手錠を壊すことは不可能だ。鉈村さんのようなか弱い女の子ならなおのこと。


 血走った目を見開いて由比ヶ浜を睨みつける鉈村さんは、殺す殺すと何度も叫んだ。だが、拘束されて銃を突きつけられている今、どれだけ怨嗟を吐いても負け犬の遠吠えでしかない。


 そんな滑稽さをあざ笑うかのように、由比ヶ浜はにこやかに告げた。


「ゴミカスごときがわめくな、耳障りだ。どこの誰かは知らないが、我々選ばれた人間の国家を、楽しいゾンビハンティングを邪魔してもらっては困るのだよ。ゴミカスは大人しく我々になぶり殺されていればいい。忘れるな、君たちは搾取されるだけのクズだ」


 これだけ選民意識の強い人間もなかなかいないだろう。上級国民の中の上級国民、といったところか。『先生』と呼ばせている聖人君子のハラの内というのは、どろどろと黒い暗渠のような闇だった。


 由比ヶ浜は朗らかに続ける。


「思い知っただろう、自分たちがいかに無力か。たとえどれだけ特別な能力があろうとも、ゴミカスはゴミカスだ。我々選ばれた人間の手にかかれば、いかようにもできる。それだけのちからを振るうことを許されているのだからね。君たちのようなゴミクズは、どこまで行っても我々の消耗品でしかない」


「……ふざけるな」


 気がつけば、俺の口から言葉がこぼれ出してきた。ハラワタからふつふつとマグマのような怒りが湧き上がってくる。


 ふざけるな。


 なにが『選ばれた人間』だ。


 俺たちだって同じ人間なのに、どうしてこんな扱いを受けなければならないのか。ひとをゴミカス呼ばわりして、何様のつもりだ。上級国民はそんなに偉いのか。


 顔と同時にいのちの尊厳を傷つけられた鉈村さんはどうなる。遊び半分で殺されかけて、そのこと自体をなかったことにされて、挙句の果てにはそのいのちをクズと言われて。


 俺だってそうだ。ゾンビたちだってそうだ。ゴミカス扱いされて、このままみすみすなぶり殺しにされてしまってもいいのか?


 ……よくない!


 たった一矢でも、由比ヶ浜に報いたかった。その鼻っ柱を思いっきりへし折ってやりたかった。鉈村さんにしたことを思い知らせてやりたかった。


 すぐにでもネクロマンシーを使って、ゾンビたちを由比ヶ浜にけしかけたい。ぐちゃぐちゃの肉片になるまで生きたまま食われて、ゾンビスレイヤーどもと同じような悲鳴を上げる様を笑ってやりたい。


 ……だが、今の俺たちにはどうすることもできなかった。


 心底悔しいが、由比ヶ浜の言う通り『ちから』が足りないのだ。絶対的権力を前にして、クーデターなんて無理があったのだ。


 俺のネクロマンシーでは、あと一歩、由比ヶ浜に届かなかった。いや、一歩どころか全然足りなかった。


 ごめん、鉈村さん……俺のせいで……!


 ふーふーと怒りで呼吸を乱す鉈村さんに、俺はこころの中で深く謝罪した。


 そして、おのれの無力さにハラの底から自己嫌悪する。


 あと少しで届きそうだったのに、どうして俺にはそのちからがないんだ……!!


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