№18 ゾンビ国家

№18 ゾンビ国家

 ようやく嗚咽が治まってきて、俺は決まり悪そうにタバコに火をつけた。肺に含んだ紫煙は、まだしょっぱい味がする。ぐじぐじと目をこすり涙の残滓を拭って、深呼吸をするようにタバコを吸う。


「……入院中、ヒマすぎて考えてたんだけどさ」


 俺が泣き止むのを待っていたのだろうか、鉈村さんがぽつりとつぶやいた。黙ったままタバコを吸っていると、鉈村さんが続ける。


「ゾンビ国家、作らない?」


「……ゾンビ国家……??」


 まだ鼻声で聞き返すと、鉈村さんは水を得た魚のように饒舌になった。くわえタバコをひょこひょこさせながら、


「ゾンビの、ゾンビによる、ゾンビのための国家! ゾンビだけじゃないよ、あんたみたいなゾンビ人間、社会的弱者だって国の一員。今まで虐げられてきたやつら全員が国民になる、そんなゾンビ国家!」


「……そんな……一体、どうやって……?」


 至極マトモな俺の問いかけに、鉈村さんは身を乗り出した。


「クーデターだよ! この国に、上級国民どもに取って代わるんだ! いい気になってるやつらに思い知らせてやるの! 私たち弱者はここにいるんだ、って目にもの見せてやるんだ!」


 こぶしを握りしめ力説する鉈村さんだったが、俺には今ひとつぴんとこなかった。荒唐無稽すぎるのだ。


「……無理ですよ、そんなの……」


 国を敵に回す、なんて、まさに歴史の教科書の中の話だ。そういうのは偉人がやることであって、俺なんかがやっていいことではない。


 しょぼくれた俺に、鉈村さんは言い聞かせるような声音に切り替えて、


「大言壮語に聞こえるかもしれないけどね、これはゾンビといっしょに弱者を救済する国家でもあるの。虐げられてきたのはゾンビだけじゃない。あんただってそうだよ。そんなんでいいの?」


「……よくは、ないです……」


「でしょ? 私たちみたいな弱い人間だって、ちゃんと今ここで『生きてる』って証明してやるんだ。今の体制をひっくり返してね」


「……でも……そんなの、できるはずない……」


 どこまでもネガティブな反応に痺れを切らした鉈村さんは、俺の胸ぐらを勢いよくつかむと、ぐっと顔を引き寄せて、


「あんた、悔しくないの? ゴミクズ扱いされて、存在すら知られないまま、ただ虫けらみたいに殺される。くたばるまで搾取されて使い潰される。いい気になってる上級国民のいいように使われてね。そんなんでいいの?」


 悔しくないのか。


 俺が五億寸釘に言ったのと同じ言葉だった。


 あのときはハッタリ半分だったが、まさかブーメランとなって自分に返ってくるとは思わなかった。


 五億寸釘は『悔しくないわけがない』と言っていたが、俺はどうだ?


 ……同じ答えだ。


 ただいたずらに消費されるだけの存在にはなりたくない。上級国民どもの肥料にはなりたくない。絞りカスになるまで搾取されて死んでいくのはいやだ。


 俺だって生きてるんだ。ひとりの人間なんだ。その尊厳を踏みにじられるいわれはない。


 かっすかすの弱っちいゾンビ人間だって、この世に存在しているのだ。


 それを、上級国民どもはただの養分として奪うだけ奪っていく。使い捨ての歯車として見向きもしない。


 ……眠っていたルサンチマンに火がつく。


 こころの奥底で、怒りの炎が静かに、しかし勢いよく燃え盛った。

 

「……よくないです」


 俺はそう答えると、逆に鉈村さんの胸ぐらをつかみ返した。そして、泣き顔のまま怒鳴り散らす。


「俺たちだって生きてるんだ! 弱々しくたって、ひとつのいのちなんだ! それをゴミクズ扱いされて、いいように消費されて、死んでいくことすら無視されて、そんなのはまっぴらごめんだ!!」


 啖呵を切るとはこういうことか。これまでの人生で初めての経験に、威勢よく言っておきながら俺は少し狼狽した。


 その隙に、鉈村さんは俺の手を振り払う。


「女子に気安く触れんな、オッサン」


「あっ、はい……すいませんでした……」


「ちょっと、さっきまでの勢いは?」


 萎縮する俺に、鉈村さんは呆れたような顔をする。


 啖呵を切ったはいいが、さてこの衝動をどうしたらいいか、それは俺にもわからない。


 わからないことは鉈村さんが導いてくれる。俺はそれに従えばいい。今まではそうだった。


 しかし、これからは違う。


 わからないなりに必死で考えて、考えてもわからなかったら鉈村さんを頼って、それに納得できたら自分の意思で選択する。


 自分の行動に責任を持つのだ。


 そうすれば、いつかきっと鉈村さんにきちんと謝ることができる。『自分の口から』話すことができるのだ。


 遅いなんてことはない。これからでも、やれることはある。変えられるのだ、性根の底から負け犬だった自分を。

 

 胸を張って、ひとりの人間として『生きていく』ことができる。


 もう流されるのはおしまいだ。今度は俺がその『流れ』になるんだ。


「じゃあ、思い知らせてやろうよ。私たちは今ここで生きてるんだって」


 鉈村さんが、にやりと笑う。


「弱者救済のゾンビ国家、作ろう!」

 

「はい!」


 今なら、クーデターだって何だってできるような気がした。おのれの意思を変革するだけで、そこには途方もない万能感が待ち受けていた。


 倒れたって、何度でもよみがえる。


 ゾンビ人間のおそろしさ、思い知らせてやる!


「……今のあんた、いい面構えだよ」


「そうですか?」


 さっきまでみっともなく号泣していた男の、どこがいい面構えなのだろうか。不思議そうに鉈村さんを見やると、


「そうだよ。テキトーに生きてた時より、うじうじ悩んで泣いてた時より、ずっとマシなツラするようになった……『生きてる』って顔してる」


 そう言うと、鉈村さんははにかんだように、にっと笑って見せた。


 こんな笑顔、見るのは初めてだ……不覚にも、ちょっとかわいいと思ってしまった。反則だ、こんなの。


「……なんだよ?」


 ふいっと顔を逸らしてしまった俺に、元の仏頂面に戻った鉈村さんが鋭い視線を向ける。


「じろじろ見てんじゃねえよ。キッショ」


「……すいません……」


「ああもう、こんなんで大丈夫!?」


「……たぶん……」


「多分じゃダメなんだよ! 私たち、これからこの国にケンカ売ろうとしてんだから!」


 そうだ。敵として相手取るのは、この国……日本。そして、それを構成している上級国民ども。途方に暮れるほど強大な敵だ。


 しかし、今は勝てる気しかしなかった。


「……大丈夫です」


 今度は断言して、俺はうなずいた。


「『俺じゃなきゃダメ』なんでしょう? だったら、やってやりますよ。俺にしかできないやり方で、この国から奪い返してやりますよ」


「そう来なくちゃね」


 俺と鉈村さんは共犯者の笑みを交わし、またどちらからともなくタバコに火をつけた。


 ふたつの紫煙が、ひとつになって立ち上っていく。


 もう、後戻りはできない。


 誰に言われたから、ということもなく、自分の手で選び取った道だ、引き返せない。


 ……やるしかないのだ。


 生まれて初めて自分の意思で決めたこと、そう簡単には曲げられない。


 責任を持って生きる、とはそういうことだ。


 これでやっと胸を張って『生きている』と言える。


 ゾンビ人間がよみがえったのだ。こうなったら、俺みたいな人間は強い。それこそ、鉈村さんと同じくらい。


「……そんじゃ、いっちょカマしてやりますか」


「やってやりましょう!」


 そして、俺と鉈村さんは二度目の握手を交わした。小さくて、でもごつごつした熱い手は、ネクロマンサー同盟を結成した深夜の激安居酒屋のときと同じだ。

 

 ……そんなわけで、今ここに、ゾンビ国家建設の礎が築かれたのだった。

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